第19話 思考

 俺は思う。

 パンケーキは至高の食べ物であると。


 幾層にも積み重なり、それでいてその弾力を忘れない生地。

 表面の茶色と、側面の白色のコントラスト。

 俺が紅一点だとでも言いたげな黄色いバター。

 蜂蜜が溶け込んでいる透明なシロップがパンケーキ自体をコーティングし、食べる人を快楽の頂点に――


「――なんか、気遣わせちゃってごめんね」


 !? なんだ!? 俺の甘く遠い回想に邪魔がッ――


「ホントはこういうの、私と恵の二人で解決しなきゃいけないのに……。松方くんは勿論だけど、元々部外者の本堂くんにまで飛び火しちゃって……ごめん」

 

 …………。


 天海恋は、積み重なったパンケーキの一番上の生地をフォークで意味もなく突いていた。

 早く食べればいいのにとは思いつつ、俺もナイフで丁寧に切り出した一片を口に運んで堪能してから、両手の食器を机に置いた。


 俺の聞いておきたかったこと、は大したことではなかった。


「あの人——羽佐間さんとは結構長い付き合いなんですか?」

「んー。二年くらい前、共通の友達の紹介がきっかけで一緒に遊ぶようになった感じかな」


 共通の知人の紹介で、なんて俺のようなコミュニティが狭い世界ではあまり聞かないワードだ。


「学部とかバイト先が一緒、って訳じゃないんですね」

「違う違う~流石に畏れ多いよ。……見てたらわかるかもだけど、私と恵って正反対なタイプでしょ? 真面目でシャキッとしてる恵に対して私は不真面目でドジだし。本来は生きてる世界が違う、みたいな?」


 言いながら、彼女の綺麗な顔が少しずつ翳る。


「――ホントは、居ちゃいけないんだよね」


 カチン、と。

 フォークとお皿のかち合う音で、呟いた彼女の声が掻き消える。

 天海恋のパンケーキがようやくその一片を切り取られていた。


「あは……ごめん。勝手に暗い話にしちゃった。パンケーキ食べながらする話じゃなかったかな。……はむっ……んー、甘うま~っ」


 口いっぱいにパンケーキを頬張り満足げな表情を浮かべる天海恋の顔から、さっきの影は消えていた。

 俺も一口至高のパンケーキを口に運ぶ。

 甘い、ウマい。

 人間の大抵の悩み事はパンケーキを食べてれば忘れるんじゃないか? と思わせてくれるくらいにウマい。

 しばし、談笑しながら互いにパンケーキを食べ進める。


*** *** ***


「わ~ここ、カフェオレもおいし~。ここ来て正解だったね本堂くん」

「そうすね。結構人気店みたいなんで、予約なしで入れてよかったです」

「私を置いていったあのスピードにはびっくりしたけどね」

「……返す言葉もないです」

「んふふ、冗談だよ冗談。それより、他に聞きたいこととか無いの? 恵が居ない状態って結構レアだよ? 多分」

「聞きたいこと……連絡先とかですか?」

「……本堂くんて、真面目な顔して冗談言うタイプなんだ」


 良かった。ちゃんと冗談だと通じたらしい。が、見上げた天海恋の顔は思ったより真剣だった。

 俺は少しかしこまって、改めて答える。


「こうして楽しい時間を過ごさせてもらえてるんで、俺としては十分満足ですよ」

「そう、なんだ……」


 天海恋は少し逡巡してから、それでも両手を膝の上に置いて、真っ直ぐ俺を見据えて言った。


「嫌じゃないの?」


 と。


「……へ? 何がです?」

「私と一緒に過ごすの、いやじゃないの? あの場では私を連れて出ざるを得ない状況だったわけだし……不可抗力みたいなもんだったわけでしょ?」

「何言ってんですか、嫌じゃないですよ」

「だって私は――親友の彼氏と浮気して、バレた後も親友ヅラしてる酷い女だよ」


 自分で言った。

 誰かに語られる天海恋ではなく、彼女自身がそう自覚する天海恋が、ハッキリとそこに現れたように感じた。

 だがそれも、俺の思考を揺るがすようなものではなかった。


「……俺は当事者じゃないんで」

「第三者から見ても、いやな奴じゃない? わたし」

「……天海さんには天海さんなりの事情があったのかなと。今はそう思ってます」

「……ただ性格悪いだけの、貞操観念ないだけの、ゲス女かもしれないじゃん?」

「…………」

「事情とか、心境とか、経緯とか、そういうの、私に聞かないの?」


 天海恋の顔が、先ほどと同じように翳っているのが分かった。

 翳っていても尚、そこに儚さと美しさを残す彼女の表情。

 俺では手が届かないことに悶々とせざるをえない。

 ――俺では彼女を救えない。

 が、少なくともこれまでの時間で彼女と接し、俺が彼女を嫌悪する理由は見つからなかった。

 だから、俺は俺の返せる言葉を返すだけ。


「聞かないですよ」


 と。


「天海さんの事情や心境を無理矢理聞き出したところで、俺は天海さんにはなれません。共感することはできても、当事者になることは絶対に出来ない……。それなら、大して天海さんを知らない俺が話を聞いて共感するよりも、こうしてパンケーキの美味しさを分かち合う時間の方が、よっぽど有意義かなと」


 しばらく、天海恋は口を開けてポカンとしていた。

 

「なんか……難しいこと、言ってる……」


 他人事だった。


 ――でも、と。続けた


「ありがとう、ごめんね」

 

 そう言って一瞬俯いてから、勢いよく笑顔で顔をあげてパンケーキを頬張った。


「はむっ……やっぱり美味しいね、パンケーキ」

「はい、美味しいです」


 残り3分の1程度になったパンケーキがシロップに浸かり、徐々にその体積を小さくしていく。その中に凝縮されているであろう甘味を想像するだけで、また喉が小さく鳴る。


「あ、本堂くん、一応デートだし、あーんでもしてあげよっか?」

「遠慮しときます」

「えー、なんでー? いやだった?」

「いや、俺、そういうの弱いんで」

「弱い……?」

「はい、ウィークポイントなんで」


 天海恋の頭に小さな?が浮かんでいた。

 昼過ぎの太陽光が温かく差し込む店内で、白く儚い彼女の姿が一層映えて見える。


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