第20話 釈然
「あー、美味しかったっ」
「ですね」
至高の食べ物「パンケーキ」に二人で舌鼓を打ち、店を出る。
「なんだかんだで、結構時間経ったかな~」
「ざっと1時間半くらい、すね」
腕時計を見ると、針は15時半を指していた。
……そろそろ喫茶店の中の豪雨雷雨は収まっただろうか。
「じゃ、ぼちぼち帰りますか」
「あ、折角だから写真撮っていい?」
言って、天海は鞄からスマホを取り出してカメラを起動した。そして店に背を向ける。店の看板をバックに自撮りするつもりだろうか。
彼女と店の間に俺が入っているのを理解して、俺はすっと横に避けようとした。
「ちょっと邪魔ですね俺」
「何言ってるの、一緒に映ろーよ」
「――ほえっ?――ッ」
ぎゅむ。
と彼女の胸元を重心とした引力で腕を引っ張られる。俺は為されるがまま、彼女の肩に自らの肩をピタリとくっ付ける形となってしまった。
揺れる彼女の髪から漂う柔らかく心地よい香りが鼻孔をくすぐる。
あばばばばばばばばばばあば。
不覚にもドキリとしてしまった俺などお構いなく、彼女はとびきりの笑顔を作って合図する。
「はい、ちーずっ」
パシャリ、とカメラのシャッター音が鳴る。
「お、良い感じに撮れてる~見て見て本堂くん、これ、デート写真っぽくない? 後で恵に見せたげようっと~」
見せられたスマホ画面に、麗しい天海恋と腕を組むマヌケな俺の表情が写っている。なんだ、世のカップルたちはこういうことを日常的にやってんのか? 精神という名の「文明の格差」が激しすぎやしないか?
「は、恥ずかしいんで羽佐間さんには見せないでもらえると……」
『アンタこんな鼻の下伸ばして、やらし~。真面目そうな顔してやっぱそう言う魂胆なんだ』とか言われかねない。いや、別に鼻の下を伸ばしていたわけでは無いんだけども。ホントに。
俺の苦々しい顔での依頼に、天海恋は少し残念そうにした。が、仕方なく了承してくれた。
俺の胸をツン、と指先でつつきながら
「二人だけの秘密……だねっ、えへへ」
らしい。
天然の男たらしか、計算されたものかは定かではないがこれで彼女の虜になる男たちのことを俺は咎めはせん。
と、そんな戯れもほどほどに、修羅場が待つ喫茶店に帰ろうとした矢先だった。
「――あれ~? せぇんぱいじゃないですかぁ」
デジャブ。
いわゆる「既視感」というやつ。
聞きなれた甘ったるい声で、そんな感覚が一気に押し寄せる。
「先輩、こんなとこで何してるんですかぁ?」
駆け寄ってくる後輩——桑名真凜は俺の目の前まで猛スピードでやってきてピタリと止まる。
天海恋が俺の隣にいることなどお構いなしで。
「……いや、桑名、すまん。今取り込み中で――」
「へ――?」
その言葉で漸く桑名の視界に天海恋という女性が入ったのだと分かった。
瞬間、
「…………え、あ、え……あ、そういう……?」
桑名が両手で口元を抑える。
いや、殺人現場にでも出くわしたみたいな、「この世のものとは思えない」みたいなリアクションをするな。
「いや待て桑名。何か盛大な誤解を生んでいる気がする。この人はだな――」
俺の言葉を遮るように、俺の口に封をするように、選手宣誓がごとくピタッと指の揃った手をこちらに向ける。
「――皆まで言わなくても……わかります」
どこか力ない声だった。
「わか……るのか?」
なんと。
俺と天海恋の関係性を今の一瞬で全て理解したというのか?
俺が羽佐間恵に指示された通り、天海恋と偽装デートを行っているというこの現状を、理解したというのか?
「勿論です。女の直感を舐めないでください。……こんな直感嫌ですけど」
「……?」
「いーですいーです。こっちの話なんでぇ。はー……」
ぶつぶつと小言をつきながら、ため息をついた。
なんだか良く分からないが、桑名はやはり全てを理解しているらしい。
正直一から話しても経緯をうまく説明できる気はしていなかったので、言わずとも納得してくれたのであれば言うことはなかった。
すげえな桑名。見直したぜ。
流石文学部に首席で入学しただけのことはある。
1を聞いて10を知る、みたいな。
「……で、先輩。あの人とはどれくらいの付き合いなんですか?」
「どれくらい?」
「付き合いの長さですよ」
「あーなるほど。……えーと、今日で会って二日目だな」
「二日目ェ!?!?!?!」
突然大声を上げる桑名。
俺の眼前で彼女の目がぐるぐる回っていた。「!」「?」「△」「×」「〇」が交互に彼女の瞳に映るような、そういう昭和アニメに有りそうな驚き方だった。
「ど、どうした桑名」
「ど、どどどどどどどど―したもこーしたも無いですよ先輩! え、なんですか、え、先輩って実はスゲーそういう事に興味なさそうに見えて実は肉食系だったんですかかかか? 会って二日でって、もはや獣ですよ! 獣!」
今にも俺を押し倒さんばかりの勢いで詰め寄ってくる桑名。
今日も今日とてゴスロリ衣装に身を包んでいるが、しかしその気迫は常人のそれではなかった。
「お、おい落ち着け桑名。どうしちまったんだ」
「いやそれこっちのセリフですよぉ!?」
瞬間、桑名の頭上にひらめきのイナズマが走った。
……ように見えた。
「あーいや、分かった、分かりました。これは私の勘違いです。そうです、全ては勘違いなのです。さぁ先輩、ここであの女性と何をしに来たのか教えてください。……そうですそうです、どうせ先輩のことだから大して仲良くもない女性におせっかいでも焼いて、そのお返しにお散歩でもすることにでもなったんでしょう。ねえ? そうでしょうせんぱ――」
「何って、デートだろ?」
羽佐間恵に指示された通りの、偽装デート。
全部わかってるなら、わざわざ聞くことでもなかろうと思いつつ。とはいえ困惑している彼女に対しては答えを提示せねばならないと思ったのだ。
しかし、その答えを聞いた彼女は――
「――――――――――(絶句)」
桑名はムンクの叫びのような、驚きと嘆きが合体した表情を見せた。
いや、後輩とはいえ女性の顔をムンクの叫びと比喩するのは憚られるが、まあ桑名らしい、かわいいムンクの叫びだった。
「く、桑名?」
俺の問いに、しばらく桑名は答えなかった。驚きの表情で固まったままだ。
数十秒後——。
虚空を見つめる桑名が天を見上げた。
「先輩、私、悪い夢でも見てるんでしょうか」
「何を言ってるんだ……?」
「そうですよね……おかしいのは私……すみません。先輩、私、ちょっと、帰ります、ね……」
「お、おう、そうか……」
「さよなら……先輩……」
「ま、またな……」
力なく手を振りながら去っていく桑名を見送る。
「だ、大丈夫? 今の娘……」
背後でことの一部始終を見ていた天海恋が俺の袖をちょいとつまんで問いかけてくる。
うーんあざとポイント1!。
「あ、あー、ただの後輩です。ちょっと挙動不審でしたけど、別に怪しい奴じゃないですよ」
天海恋が何に対して「大丈夫?」と問いかけたのかはわからなかったので、とりあえず弁明しておく。
アイツはああ見えて至って一般人というか、常識と良心を正しく持ち合わせていることを、俺は知っている。
「あ、怪しいって言うか、なんかすごいショック受けて帰っていったみたいだったけど……」
「まあユニークなやつなんで」
「ユニークっていうのかな、あれ……」
「……多分」
言われて見れば、確かに桑名の驚きぶりには不可解な点があった。
……俺、なんか地雷踏んだかな? と首を傾げた。
しかし、何も思い当たる節はない。
大体、俺のような人間が他者の気持ちを推し量ることなど、烏滸がましいにもほどがある。
考えるくらいなら、直接聞けば良いのだ。その方がずっと合理的で、効率的だ。
そう思えば桑名のやや不審な挙動への疑問などすぐに掻き消えた。
次会った時に聞けば良いや、と。
「っと、流石にこれ以上ここに長居しててもあれなんで、戻りますかね」
「ん、そーだね。そろそろ二人が心配かも」
「…………」
「どうかした? 本堂君」
「あーいや、なんでもないです」
桑名の小さくなってしまった背中を見て、なにか大きな「しこり」のような後味の悪さを感じたが、その所在を俺はまだ知らないままだ。
言葉に出来ない感情から目を背けて、俺は目下の問題にだけ意識を向ける。
……あのアホヒロキはうまくやれているだろうか。
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