第17話 反抗
松方と羽佐間恵が付き合っていながら、天海恋という女性と浮気した理由。
「——私がヒロキと一年間セックスしなかったのが、事の発端」
「――っ」
突然の直球に、俺は飲みかけていたコーヒーを吹き出しそうになる。
なに、大学生ってそんな簡単に、そういう単語を会話の中に織り交ぜられるの? いや混ぜていいの?
「……あーレスとかじゃないよ。飽きたとかマンネリとかじゃなくて、ただの一度たりともヒロキに体を許さなかった。それが浮気の原因。そうでしょ? ヒロキ」
はい、発言どうぞ、と招くように松方の方に手を伸ばす羽佐間恵。
「そ、それは……」
「だからヤラせてくれる女と浮気したんでしょ? それとも、他になんか理由があるの? なら教えてよ」
「そ……れ、は……」
「それはそれはって何。違うなら違う、違わないなら違わない。はっきりして」
「……違わ、ない……けど」
「けどもクソもない」
「…………」
項垂れる松方。
認めた……。
潔いかと言われると微妙だし、仮に潔くても認めた内容があまりにみっともなさすぎるので、松方の褒めるべきポイントが見つからない。
……分かっていたことではあるが、当事者に直々に詰められているのを見るとなかなか来るものがあるな。
羽佐間恵は答えを得て少し満足したのか、こちらに向き直った。
「――で、付き合い始めたころ、親友ってことで恋をヒロキに紹介してたんだけど、これが災いしてヒロキが恋に相談しだして、んで、なんか知らないけど二人が浮気してた訳。あれだねあれ、一夜で城作られた戦国時代の逸話みたいなもん、ホントに」
やれやれ、と。
やけに他人事のように、嘲笑するように語る。
そして天海恋と松方の方を見て話しを振った。
「てのが私の認識なんだけど――二人とも、なんか反論とか異議ある?」
意見を求めているようで、そこに反論の余地は無いように見えた。
「…………ううん、ない」
「…………自分もないです……すんません」
完全に委縮しきった二人はそれだけ言ってまた気まずそうに俯いた。
そんな二人の様子を見て、「んー」と羽佐間恵は首を傾げて唸った。
「なんか、違うんだよね。別に今更二人のことを問い詰めて謝罪させたいわけじゃない。そんなしょうもないことしたって私が罪悪感に駆られるだけ。だからこれはあくまで本来の目的を果たすための前段階。そうでしょ?」
後半の言葉は間違いなく俺に向けられていた。
切れ長の目で、俺を視界に捉える。
「――キミがヒロキを連れてきたのはもっと違う目的のはずでしょ?」
羽佐間恵は俺がここに松方を連れてきた理由を知りたいのだろう。
そしてそれには大方の予測がついているように見えた。
だからこうして、場を整えて、「俺に主導権を握らせたフリ」をしようとしている。
俺が「二人を復縁させようとしている」とか、そんな予測の元に「天海恋」というカウンターカードを持ち込んで破綻させようとしているのだろうか。
……や、考えすぎか。
「……そうっすね。俺はお通夜に参列しにきたわけではないので」
「お通夜て。言い得て妙だけど」
この余裕かつ達観しっぱなしの女性に一杯食わされたのは癪だが、別に俺は彼女を貶めに来たわけでは無い。
それにそもそも、羽佐間恵に向けるべきカウンターカードは俺じゃないしな。
肩の力をストンと抜いた。
そして俺は、隣に座る松方を見遣る。
松方はここまでのあまりに擁護しようのない彼自身の所業に打ちのめされ、消えかかっていた。現実逃避というやつだ。
肩を揺すって、声をかける。現実に引き戻すために。
「――なあ松方。俺がお前に言った言葉、覚えてるか」
「……あぁ、覚えてる」
「よし――じゃ、大丈夫だな」
「俺らは……ライオン――」
「――ちげえよそっちじゃねえ」
「あ、あぁ、あっちね」
アホかこいつ……。まあ、いいや。
その瞳は、いつものまっすぐな松方の瞳だった。
俺がヒロキをここに連れてきた理由。
それは、二人の関係を修復することでもなければ、どちらかを断罪することでもない。
ただ、ただ。
二人で腹を割って話し、そして二人の関係の答えを出すこと。
それだけである。
当初は松方を羽佐間恵にぶつけた後に、俺は適当に席を外す予定だった。
その予定は天海恋の登場により狂わされたわけだが。
――狂った予定は、もう一回狂わせれば良いだけだ
俺の視線は羽佐間恵から、もう一人の彼女へと移る。
「――天海さん」
「……へ? 私」
「ちょ、キミもしかして――」
間に入ろうとする羽佐間恵の言葉など掻き消して――
「――俺とデートしましょう、今から。例のケジメです」
「え、わ、私と?」
「そうです。そういう話だったじゃないですか」
言って、俺は天海恋の手を引いて立ち上がる。
当然彼女は困惑した表情を見せたが、そんなことは知らん。
同時に、松方の背中をそっと叩いた。
生気を失っていた松方に、もう一度「逃げるな」と念押しするように。
そして、天海恋を連れて出口の方へと向かって歩き始めた。
「――え。いや。ちょ、待ちなさいよ、ヒロ!」
一緒に立ち上がろうとする羽佐間恵の手を、松方が瞬時に繋ぎ止めた。
「……——恵さん、俺。二人で話したいです」
「は、はぁ? ヒロキ、アンタ急に何を……」
「――二人きりで、話をさせてください」
「い、いきなり、意味わかんないんだけど――」
「――お願いします」
もう大丈夫そうだな。
背後の覚悟を決めた友の声を確認してから俺は喫茶店の扉を開ける。
「――――――」
軽やかな鐘の音と共に、外の世界の喧騒が一気に広がった。
車のエンジン音。遠くの人通りから聞こえる会話。
見上げると、晴天だった。
今日の天気は晴れ。
喫茶店の中だけ、これから豪雨雷雨の予報。
「……え、えーと、本堂くん。わ私たちこれから何するの? あと手……」
「おっ……と、すみません」
手をパッと離す。白く冷たい手だった。
俺に引っ張られるまま出てきた天海恋は、喫茶店の中の様子をしきりに気にしているようだった。
「とりあえずちょっと歩きましょうか」
「そ、そうだね」
目的地など決めず、二人で歩き始める。
ずっと喋らなかった彼女に聞いてみたいこともあるしな……丁度良いかもしれない。
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