第16話 成就

 昔々、あるところに一組の男女が居た。


 男はその女のことがずっと好きだった。テニスサークルとは名ばかりの飲みサーの新歓で、たまたま隣に座った女性のことをずっと――結果としてテニサーに入らなかったその女性の後を追って、全く興味のない映画研究サークルに入ってしまうほどに――好きだった。


 女はその男のことなど全く覚えていなかった。

 同じサークルに入っているその男のことなど微塵も覚えていなかった。


 そしてそんな状態で関係など進展するはずもなく、三年が経過した。

 唯一の共同コミュニティである映画研究サークルでの追いコン当日。男は彼女に告白した。いや、正確には告白するつもりだったらしいが、前日のテニサーでの追いコンで肝臓を破壊されたせいで、「告白と同時に嘔吐する」という前代未聞のホラー告白イベントとなっていたらしい。

 普通の女性なら泣き出すか、一生嫌悪するか、ともかく二人の関係が途切れるはずだったが、はその類では無かった。奇人である。

 

「――あの時、ヒロキのこと初めて認知したんだよね。てか、ゲロまみれで告白は流石にギリ面白さが勝っちゃうわ」


 らしい。

 三年も同じコミュニティで活動していながら「その男のことを認識していなかった」というのが、男の存在感の希薄さによるものか、女の他者への興味の無さから生れたものかは不明だが。

 ともかく、二人の真の出会いはそこだったらしい。

 そして、そんな衝撃的かつ破滅的なファースト(?)インプレッションをぶちかました二人は一気に距離を縮める。

 具体的には男からの猛アプローチ。嘔吐シーンという最大の醜態を見られたことでタガが外れたのか、断れども断れども新たな遊びの約束を取り付けようとしてくるその姿勢に折れ、女は徐々に男の誘いに付き合うようになったのだという。


「――ま、別に元々嫌いでもなかったしね。フツーにシャキッとしてればいい男だし」

「……い、良い男——」

「ホントに良い男は浮気なんてしないけど。あーあ、見る目腐ってたなぁ私。一生の恥だわ」

「………………」

 

 一瞬湧いたはずの松方の生気がまた掻き消えた。

 が、まあ、それは自業自得である。

 昔話に戻ろう。


 二人はいつからか互いの家に入り浸るようになった。

 最初のきっかけは、女が興味のある映画を鑑賞するためだったらしいが、ともかく気付けば二人の関係は当初からは考えられないほど親密になっていたらしい。

 そんな折、男は改めて女に告白する。

 ゲロではなく赤い花束を携えて、都会の夜景が一望できる公園で。

 女曰く「アレ、私の好きな映画で見たようなシチュエーションだったけど、別に映画ってエンタメとして見てるだけだから、まあまた面白いことしてんなぁって感じ」だったらしい。

 男にとっては一世一代渾身の告白だったような気概を感じるが、女にとってはそれすら「おもしろ」だったようである。

 しかしそれが功を奏したのか、女は告白を受け入れた。

 一組の男女が一組のカップルになったのである。


 あぁ、なんて良い恋物語だろう。

 一目ぼれを貫いた男と、一風変わっているが最終的には男と真剣に向き合った女の恋愛物語。

 あぁ、素晴らしい、素晴らしい! なぁ! そう思うだろ!


 だからこの話はここで終わr――


「ちょ、ヒロ。なに勝手に話まとめて終わらせようとしてんの、これただのプロローグでしょ。本題はこっからじゃん。――ヒロキと恋の浮気物語の前座だよ、これ」


 なんら恥じらいも、躊躇いもなく、羽佐間恵はここまで話しきった。

 そしておそらく一息ついてから、続きを話すのだろう。


 というか、あまりにも理路整然と時系列に沿って分かりやすく話すものだから聞き入ってしまったが、これが現実に起きていたのかと思うと二人の関係がやけに生々しく感じられてしまった。俺にとっては想像の世界の産物が現実としてそこに座っている、そういう感覚が一気に押し寄せて変な汗をかいてしまう。


 しかし、しかしだな。


 その先はただの地獄だぞ……。


 恋人となった松方と羽佐間恵の間に生まれる亀裂。

 その経緯はたとえ如何なるものであったとしても、誰も幸せにしない「負」そのものであるに違いなかった。


 天海恋は、俯いたままだった。

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