第15話 寄道

 お通夜みたいな空気だった。

 と言えば分かるだろうか。俺は別にお通夜に参加したことが無いのでその空気感は詳細には分からないのだが、恐らくこういう状況を指すのだろうという予想はできた。

 それくらいに、重たい、沈み込んだ空気だけが漂っていた。

 ――ただ一人、羽佐間恵を除いて。


「えー、なんで皆そんな俯いて暗い顔してんの? 誰か死んだわけでもあるまいし」


 いつものように掴みようのない飄々とした雰囲気で話す羽佐間恵。

 確かに誰も死んではいない。


「……あ、あぁ……」


 隣で真っ白に燃え尽きて灰になってしまった松方も、かろうじて返事を返せる程度には生きている。

  

「……あ、あははぁ……そりゃそうなんだけど、ね~」


 正面に座る天海恋も引きつりまくった苦笑いをしてみせた。


「…………」


 そして俺の沈黙。


 いや、なんという重々しい空気だ。咳払いすら憚られるような息詰まる雰囲気。

 だというのに、羽佐間恵はそんな空気などお構いなしに滅茶苦茶なことを喋る。

 スマホを見ていたかと思えば、突然「あ、このカフェよくない?」とか言い出してこの場にどう考えても合わないラテアートの写真を見せてきたりする。

 それに対して松方と天海さんは「お、お~」とか「き、きれ~」みたいな反応しかできず、そこで会話がピタリと止まる。そしてお通夜モードに入り、また突拍子もない話題が始まってピタリと止まって……なんという惨いループだ全く。

 かれこれ15分くらいこのループを見せられている俺の頭も、徐々におかしくなってきた気がする。


 しかしまあ、そうなってしまうのも無理はないというか、なんというか。

 松方と羽佐間恵という元カレ/元カノコンボですら険しいはずだったのに、そこに元浮気相手——天海恋セットまで付いてくるとは……子供も泣いて逃げ出すアンハッピーセットである。

 勿論、俺は天海恋が来ることなど知らなかった訳で、完全に彼女に一杯食わされたわけである(俺が松方を勝手につれてきたのが元凶という説はあるが)。


 ただ、一つ救いがあるとすれば「羽佐間恵が松方の浮気について触れようとしていない」ことだった。

 案外このまま4人で会話ともいえない言葉を交わし続けていれば、喫茶店にまた常連たちがやってきて、自然と解散になるパターンもあるのではないか。


 そんな淡い期待を抱きつつあった俺の耳に、少し離れたTV(喫茶店に常設されているもの)から聞き捨てならない言葉が聞こえてきた。


『――さあ、本日も始まりました。昼のから騒ぎ。今日は女性関係でひと悶着あった方々に来てもらって "人生いろいろあるよね特集" で2時間お届けしまーす』


 平日の真昼間によくやっているバラエティーチックな番組。

 ……おい、なんか不穏なの始まったぞ。

 メインパーソナリティーらしい中年の男はスーツに身を包み、元気よく続ける。


『――まずは、婚約者が居ながら8股で世間を騒がせた――』


 ――やばい


 即決した俺は勢いよく席を立った。


「ちょっと俺はお手洗いに――」


 トイレに行く振りをしてチャンネルを変えよう。マスターを脅迫してでもTV番組のリモコンを奪わねばならない。あまりにもタイムリー、いや、タイムリーというかもう死刑宣告である。かさぶたを引っぺがして塩塗りたくってもう一回傷つけてるみたいなもんだぞこれ。


 しかし、俺のあまりに唐突な動きを彼女は許さなかった。


「――どしたの? 浮気特集してるのがそんな気まずい?」


 こちらに視線は向けず、羽佐間恵は俺を言葉で拘束する。

 おいぃ、バレてるよ、俺のコッソリチャンネル替え作戦バレてるよぉ。


「……別に気にしなくてよくない? 過ぎたことだし――」


 いや気にするだろぉ~。

 過ぎたことであるならば、当事者の二人があまりにも生命力を失いすぎているこの現状に説明つかないってぇ~。

 もう顔青ざめてますよ二人とも。

 さっきから息してるかも怪しいですよ。


 そんなことはお構いなしに羽佐間恵は俺に話し続ける。


「さっきから二人に気遣いすぎでバレバレ。……てかそもそも、ヒロってこの二人が合体した経緯とか知らないんじゃないの? ヒロキが話すとも思えないし」

「合体した……経緯……」


 合体て……ロボットじゃないんだから……。いや、大事なのはそこではないか。


「そもそも浮気って言ったって色々あるじゃん? 心の浮気とかカラダの浮気とか、そういうの」

「……まあ、あるでしょうな」


 もはや気配を感じない二人のことは見ないようにした。


「ヒロキがしたのはカラダの浮気。で、そういうのにはどうしたって経緯がつきまとうの。ただの一目ぼれとかも該当しちゃう心の浮気とは違ってね」


 ……当事者が居る前でする話じゃないってコレ。

 松方が命の灯が凄い勢いで小さくなってるって。


「――ヒロがそれを知らないのはフェアじゃないよね。この場において」

「……できればその不平等は甘んじて受け入れたい所なんですが……」

「だめだよ。――だって、キミがヒロキを連れてきたんでしょ?」


 俺の甘えた言葉が最後の決め手だったかもしれない。

 彼女の冷徹な視線が、瞳が、俺を獲物としてロックオンした気がした。

 絶対に射殺すと言わんばかりの鋭い視線。


「――キミは私の諦めを許さなかった。キミの勝手で私の勝手を許さなかった。だから、ここからは私も我儘を突き通させてもらうから」


 ――あ、でも大丈夫、と前置きして、


「――ケジメの付け方なんて、いくらでもあるから」


 ……何が大丈夫なのだろうか。

 俺の葬儀の日程はもう立ってるとかそういう意味の大丈夫? ごめんだぞそんなの。

 俺は蛇に睨まれた蛙のごとく立ち尽くす。


 ……マズったなぁ。


 俺が警戒すべきは松方と羽佐間恵の関係の行く先や、この4者面談での会話の気まずさなどではなかったのかもしれない。


 ただ純粋に、ただ明快に、ただ単純に。


 ――羽佐間恵という人間の深淵にこそ、意識を向け続けておくべきだったのかもしれない。


「――さ、全部話そうよヒロ。それに恋もヒロキも。どの道全員、これまで通りの関係じゃいられないのは分かってたことじゃん?」


 彼女は、その澄んだ瞳の内側に深い影を映したまま、笑みだけ消して言う


「だから全部——ここで清算しよ?」


 清算という言葉がここまで恐ろしかったことはない。


 真の地獄は沈黙ではない。

 真の地獄は開かれた罪科である。


 助けてマスター。

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