第14話 使者

「――久しぶり、元気してた?」


 例の喫茶店に入るや否や、待たせていた彼女は手を挙げながらそう言った。

 その言葉は俺に向けられたものか、はたまた――元彼氏である松方に向けられたものか、正直よく分からなかった。

 しかし、元彼氏の突然の登場にすら微塵も動揺を見せない――いや、ある程度予測はしていたとはいえ――羽佐間恵という女性の底知れなさをまじまじと感じざるを得ない。


 そんなことを思っていると、隣の松方が恐る恐る手を挙げ返した。


「け、恵さん……ひ、久しぶり――」

「もー。そんな固くなんないでよ、こっちもやりづらくなっちゃうから。――さ座った座った。あ、ヒロ、マスターにコーヒー3杯追加で頼んでもらっていい?」


 言って、羽佐間恵は店の奥を指さした。店頭にマスターの姿はないので奥に居るということなのだろう。

 ……しかし、なぜに3杯?

 疑問を浮かべながら彼女の手前を見遣ると、コーヒーカップの中身は半分を切っていた。自分のお代わりも含めて3杯という訳か。


 ――と店の奥に向かおうとすると、突如松方から袖を引っ張られ耳打ちされる


「――おいヒロっ……お前、恵さんから下の名前で呼ばれてんのかよ!」


 ……あー。そういえば。


「……ただの成り行きだ」

「――っ」


 松方は小さく唸ったが、数秒も経たないうちに俺を解放した。

 この場において俺が下の名前で呼ばれていることなど取るに足らない事象であると判ってくれたのだろう。

 いや本当に、取るに足らない事象である。俺はこの場において本来ただの第三者なのだから。


 店の奥のマスターにコーヒー追加を頼んでから席に戻る。

 当事者の二人は向き合う形でテーブルに付いていた。俺は松方の横に座る。

 

「ふぅん。キミはそっち側、ってこと?」


 怒るわけでもなく、寧ろ楽しんでいるかのような不敵な笑みを浮かべ、俺に問う羽佐間恵。


「別にどっち側でもないですよ、俺は」

「事前連絡もしないで私の前にヒロキを連れてきておいて、そっち側じゃないって言われてもねぇ?」

「……事前に伝えてなかったのは謝ります、すみません。ただ、松方は俺の意思で無理矢理連れて来ただけです」

「……そうなの? ヒロキ」


 羽佐間恵の淡々とした、それでいて冷たい語調の問いに、松方は頷く。


「…………だいぶイカれた行動じゃない? それ」


 訝しむように俺を見る羽佐間恵。


「……まあ、そこは自覚してます」

「ふふ、自覚してるのにやっちゃうんだ。やっぱ面白いねキミ」


 ――瞬間、横の松方から肘で見えないように小突かれる。大方「お前恵さんとどういう関係なんだよ!」という意思表示なのだろうが、別に何も後ろめたいことはない。この女性が意味深な言葉を使っているだけだ。


「ま、それはそれとして……」


 羽佐間恵は「俺が松方を連れてきた経緯」の話はこれで終わり、と言わんばかりにそう言ってコーヒーを啜った。


「――ヒロキは何しに来たの?」


「――っ、お、俺は、け、恵さんと話を、ちゃんと、しに――」


 急な指名にドギマギする松方。

 松方は俺の知る限り、誰とでもコミュニケーションを取れる人間で、それはつまり「誰にも臆さない」という強い精神性を持っている人間であった。

 しかしそんな彼であっても、この羽佐間恵という女性に対して「怯え」にも似た感情を抱いているのが如実に分かった。

 ……ま、浮気してフラれてんだから、罪悪感の一つも感じてなかったらそれこそ異常だが。


「もう別れたんだから、話すことなくない?」

「……そ、それは……ま、まあ、ある……かもだけど」

「あるってどっち? 話す必要ないってこと? それとも話すことがあるってこと?」

「あ、あぁいや、えぇと…………」

「はっきりしてよ。私と話に来たんでしょ? それともなに? 浮気した以上になんか後ろめたいことでもあるの?」

「そ、そんなことはない、んだけど、いや、話す必要はある、というか……」


 防戦一方、いや、もはや防御が成立していない。俺がセコンドなら白タオルを投げ入れて松方を熱い抱擁で助け出してやるくらいの惨状である。

 羽佐間恵がここまで松方に対して強い圧を見せるとは思ってなかった。

 ここに来る道中で、松方にあんなことを言われてなければ、俺は助け舟を出していたろうに。


 ――恵さんと話してどんなことになっても、ヒロは手助けしないでくれ。これは俺のケジメでもあるんだ


 それはつまりこういうことなんだろう。

 俺は黙って、言葉に詰まる松方を見守るだけだった。


 しばし、ただボコられるだけの松方を見守りながらコーヒーを啜る。

 届いた残り二つのコーヒーは未だ手付かずの状態であった。


 ……?


 わき腹に小突かれる感覚があった。


 ……松方の肘だった。

 「頼む! 助けてくれ!」と言わんばかりに、羽佐間恵の刺々しい質疑が飛ばされるたびに、松方の肘が俺のわき腹を小突く。


 ……おい、道中のかっこいい言葉はどこ行ったんだよ


 呆れながらも、俺も会話に混ざることにした。会話というより一方的な攻撃に近かったが。


「――だから、なんのためにヒロキがここに来たのって聞いてんの」

「お、俺は……」


 流れを見て、差し込む。


「すみません、松方は俺がいきなり連れて来たんで、ちょっと混乱してるのかなと――」

「やっぱそっち側じゃんかぁ」


 羽佐間恵は少しむすっとして頬を膨らませる。

 そうして、また不敵な笑みを浮かべてから言う。


「ま、ちょっとからかいたかっただけだから、時間つぶしにはちょうど良かったかな」

「時間つぶし……?」


 俺の疑問が彼女に届く前に。

 

 ――軽快な鐘の音と共に、背後の扉が開かれる。


 ……俺はこの感覚を覚えている。

 

 嫌な予感が一瞬湧き上がり、そしてそれは即座に現実となる。

 振り返ると、見覚えのある来訪者の姿。


「ごめーん恵、また遅れちゃ――」


 来訪者もこちらの状況を瞬時に把握し、固まる。


 天海恋。

 羽佐間恵の友達にして、松方の元浮気相手。

 当然、俺が彼女をこの場に呼ぶわけもなく――


「恋、こっちこっちー。早く来て」


 アンタか。


「――わざわざキミが畏まった遅刻連絡してきた時点で、なんかあるんだろうなぁとは思ったんだけど、流石にヒロキ連れてくるのは意外だったなぁ――キミってさ、真正面から噓付けないタイプでしょ」

「……まいったな……」


 ご名答ではあるが、それにしたってカウンターが強すぎる。

 猫パンチに対して世界タイトル取ったボクサーのパンチみたいな、軽自動車と2tトラック的なそういうレベルの違いを感じるぞ。


 元カレと、元カノと、浮気相手と、元カレの友達。

 何だこの構図。


 手付かずだったコーヒーの一つが羽佐間恵の横に座った彼女——天海恋の元に回される。

 まさかまさかの4者面談が始まろうとしていた。


 隣の松方から「あぁ」と息も絶え絶えな声が漏れているのが聞こえた。

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