第12話 真摯さ

 

 ――その人、楽になりたいんじゃないですかぁ。多分


 謎の甘い物体を飲みながらそう話す、甘ったるい声をした後輩の顔が思い浮かぶ。

 「折り入って相談事をしたい」と連絡したときはなぜかノリノリだったのに、俺が経緯を話すと突如不機嫌になった可愛げのない後輩。

 「これだから先輩は……」と複数回ボヤかれたのは納得いってないが、それでもぶっきらぼうに言い放ったその言葉の意味を理解して、俺はハッとさせられたのだ。


 ――松方の、羽佐間恵の、そして俺のエゴを


「松方。お前、逃げんなよ」


 もう引き返せない。引き返すつもりもなかった。

 ずっと言葉にならなかった感情が、一気に形を成して吐き出される


「――お前は楽になりたいだけだ。相手に決断を押し付けて、自分は相手の為に身を引いたと思い込みたいだけなんだよ。そんなの、何の解決にもなりゃしない」


「なっ、ヒロに俺らの何が分かるんだよ!」


 俺の乱暴な言葉に、松方は怒ったような表情を見せた。

 松方のそんな姿を見るのは随分珍しいことのように思えた。

 ……松方から見た俺も同様なのだろうが。


「何も分かんないから言ってんだろ。経緯なんて知らねえけど、それでも、どんな経緯があってもそんな終わらせ方は納得いかねえって言ってんの」

「お、俺たちが納得した終わらせ方なら、それを他人にどうこう言われる必要はないだろ」

「居酒屋で延々と後悔を語ってたくせに、何を納得してたんだよ」

「……お、俺は良い。恵さんが納得してたら……俺がでしゃばる権利はない」

「羽佐間恵も納得してねえよ。してないからこそ、俺に訳の分からないケジメを頼んだんだ」

「そんなの……ただの憶測だろ」

「お前の言う、恵さんが会いたくないと思ってる~だとか、恵さんは納得してるーとかいうのもただの憶測だろ」

「それは……」


 羽佐間恵が本当に松方に会いたくないのなら、あの夜、俺と羽佐間恵が出会う訳はなかった。

 いや、本心では会いたくはなかったのかもしれない。怖いもの見たさだったのかもしれない。だがそれは、間違いなく「心残り」であるに違いなかった。わだかまりであるに違いなかった。


 しかし、松方もそう易々と「うん」とは言わない。

 無意味な問答がしばらく続いた後、埒が明かないと思った俺は本意ではないが、強硬手段に出ることにした。


「羽佐間恵との待ち合わせ場所までは電車で行く。財布は持ったか」

「い、いや部屋の中だけど……そもそも俺は行くなんて一言も――」

「いややっぱ運賃は出してやる。だから諸々準備してから来い。それまで俺はここで待つ」

「……は、はぁ? なんだよそれ、俺がこのまま引き籠ったらどうするんだよ」

「待ってやる」

「い、一生出てこなかったらどうすんだよ」

「俺はここで野垂れ死ぬかもな」

「……頭おかしいのかよ……」

「かもな」

「かもなって……」

「よし、とっとと準備して来い」

「ちょ、ちょま――」


 松方を彼の部屋の中に押し込めて、

 バタン、と青い扉を外側から閉めた。

 部屋の中から「お、お前正気かよ!」という声が聞こえた。


「あぁ。至って正気だ」


 ――あとは待つだけだ。


 扉の前で仁王立ちしたまま、俺は沸々と煮えたぎっている自身の感情に目を向ける。

 俺に言わせれば、どちらも腹立たしい。

 浮気した元彼氏のことを嫌いになれず、かといって許すことも、元彼氏と向き合うことも出来ず、本質とはズレたケジメで無理やり納得しようとしている羽佐間恵という人間が気に喰わない。

 大切な彼女を浮気して傷つけておきながら、別れた後も浮気相手と逢瀬を重ねておきながら、それでも元彼女を尊重しているような素振りを見せる松方弘樹という人間が気に喰わない。

 自分の意思で、真正面から相手と向き合おうとしない二人に俺は心底腹が立っているのだ。


 ひとしきり俺の感情が煮え切ったところで、扉の向こうから松方の消え入るような声が聞こえた。

 

 とっとと準備してくんねえかな。


「…………なあヒロ。なんのためにお前はこんなことをするんだ? 俺が恵さんに会って、そこで何が起きたって、ヒロの得になるようなことは、何もないだろ」


「それはそうかもな」


 得どころか損しかない気はする。

 二人からボコボコにされる可能性だってあるだろうな。


「じゃあ、なんで――」


「損得じゃないんだよ。これは」


 気付いてしまったんだ。


「お前が本心から羽佐間恵を愛していたと言うのなら、その気持ちから逃げるべきじゃないんだ。自分の罪から逃げるのを辞めて、彼女と向き合うべきなんだ」


 俺のエゴに。


「それが――お前を大切な友人だと思っている俺に出来る、最初で最後の忠告だと思った。俺が貫き通すべき意思だと思った。それだけだ」


「…………」


 扉の向こうにいるであろう友の沈黙が流れる。


 俺は恋のキューピットではない。二人の一度途絶えた恋路をくっつけ合わせるつもりなど毛頭ない。


 ただ。


 おかしな方向を向いている二つの矢印の終着点を揃えたいと思ってしまった。

 なぜか? そんなの分からない。分からないけれど衝動的にそう思ってしまったのだ。

 羽佐間恵に肩入れしている? いや違うね、あんな気の合わない人間の肩を持って何になる。大体俺は今日ここに「羽佐間恵に命令されたから会ってくる」ということだけ伝えに来たつもりだったのだ。勝手に訳の分からないケジメを付けて、勝手に納得しようとする彼女を見て、それでいいと思っていた。

 松方を支援する気もない。大体あんだけ居酒屋で元カノとの愛があーだこーだ語っていたのになんだこの体たらくは。結局、愛が肉欲に負けてしまったことを体現しているこんなアホ友に煎じて飲ませる薬はない。こいつは一生大事なモノを大事に出来ない人生を送るのだ、それでいいと思っていた。


 二人が同じ方向を見ていないなら、それで終わりだったはずなのに。

 二人とも、同じ方向を見ていた。汚れてしまった二人の思い出を各々が勝手に納得して、忘れ去ろうとしている。空いてしまった穴を、サイズの合ってない何かで埋めようとしている。

 ――そして二人とも、楽になろうとしていた。


 ふざけんな。


 互いに、互いの気持ちから逃げんな。


 俺はそういうのが大嫌いだ。


 本心があるのに、その本心に向き合わないやつが嫌いだ。


 自分を蔑ろにするやつが嫌いだ。


 伝えたい言葉があるのに、伝えないやつが嫌いだ。


 相手を大切にしようとするがあまり、結果的に相手を大切にできないやつが嫌いだ。


 嫌いだ。大嫌いだ。


 大嫌いだからこそ、俺は俺のこの感情から逃げない。


 嫌いになるということは、そいつと真摯に向き合うということだ。

 「そいつを嫌いになろうとする自分自身」と真摯に向き合おうとすることだ。


 その顛末を他の誰かで代替することなんて、出来やしないのだ。 


 俺がやることはただ一つ。


 「松方と羽佐間恵を直接会わせる」ことだ。


 忘れようとする男と女を向き合わせることだ。


 二人とも互いから逃げている。

 

 逃げて、忘れて、消し去ろうとしている。


 向き合わず、離れようとしている。


 俺はそれが納得いかない。


 結果二人の仲が決定的に引き裂かれようが、気まずかろうが知ったことか。

 

 おせっかいだろうが迷惑だろうが関係ねえ。 


 ただ、俺の眼前で二人の行動を粛正したいという俺個人のエゴ。


 きっと理解はされないだろう。

 でも、それでいいと思っている。

 それが俺なりに本気で向き合うということだから。

 俺が楽をしないということだから。


 ……ただまあ。


 全てが終わった後でなら、いくらでも松方のやけ酒に付き合おう。

 ここまで滅茶苦茶言ったんだ。お前に一発殴られたって文句はない。


 懐かしさを覚える青い扉の前で、

 松方に向けて。

 そして、傍観者であり続けようとした愚かな俺に向けて。


 俺は小さくつぶやいた。


「――真摯さから、逃げんな」


 青い扉が開いたのは遥か数十年後の未来



 

 ——ではなく、数十分後の現実だった。

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