第10話 エゴ

 俺は思う。

 ヒトは「自分の感情」でしか物事を考えられない生き物だ。

 「相手の気持ちになって考える」なんて道徳的な教えも、結局求めるところは「相手の理解」ではなく「自己の客観視」でしかない。相手の気持ちを真に理解することなど出来るはずもないのだから、「自分が自分から見てどう見えるか」という一点の理解に終始せざるを得ない。

 「誰かのため」という魔法の言葉は、エゴを押し通すための免罪符でしかない。

 ――だから、こんな感情を抱くのは間違っている。

 ――だから、こんな言葉を吐くのは間違っている。


「俺さ――この間、羽佐間恵に会ったんだ」

「……へぇっ!?」


 俺の言葉に松方はのけぞり、目を丸くした。

 その姿を見て、俺は「しまった」と思った。ついうっかり喉を突いて出た言葉のその先を、俺はずっとしまい込んできていたはずだった。

 あの日からずっと抱えている言葉にできない不快感を、沸々と胸の奥から湧いてくるソレを、俺は「自分のエゴ」だと押し留めてきたはずだった。


「恵さんに……? どこで!? いつ!?」

「この間2人で飲んだ夜とその翌日」

「えぇっ!? なんで? どういう関係? え? 知り合い、じゃないよな!?」

「飲みの夜はたまたま帰り道に会ったんだよ。なんなら隣に松方もいた。寝てたけど」

「……確かに記憶はねえけど……。で、でもその翌日も会ったんだろ? どういう流れだよ」

「まあ、だからそれを話そうと思ってな」


 質問を畳みかけてくる松方。

 この疑問に1つずつ答えないと本題に入れないと悟った俺は、これまでの経緯を洗いざらい松方に話すことにした。

 羽佐間恵が俺を喫茶店に呼び出したこと。

 その場に松方の浮気相手1号(あるいは2号)である天海恋もいたこと。

 そして俺に「天海恋とのデートを要求してきた」こと。


 色んな人が生活しているアパートの生活圏でこんなドロドロした修羅場話をするべきではなかったかもしれないが、松方は目を見開いてただ話を聞いていた。


*** *** *** ***


「恵さんが……そんなことを……?」


「……別れてからは特に連絡とってないのか?」


「あ、当たり前だろ。浮気したの俺なんだから会わせる顔がないっていうか……そもそも俺のことなんて、完全に忘れ去ってるもんだとばかり思ってた……」


 あからさまに動揺している松方。

 そこには正と負の感情が入り乱れているように見えた。


「でもなんで、わざわざヒロと恋さんをデートさせるって話になるんだ……?」

「さぁな。寧ろ元カレである松方に教えてもらうつもりだったんだが」

「わ、分かんねえよ。恵さんとは長い付き合いだけど、ミステリアスなところがあるってか、まあそれも魅力的なんだけど……」


 ミステリアス。

 彼女を見てその言葉が思いついたことはなかったな。

 ……まあ好感度の違いによるところはあるかもしれないが


 と、松方に聞いても彼女の思考回路を理解することは難しそうであった。

 大方彼女――羽佐間恵も松方のことを完全に忘れ去れないからこそ、踏ん切りをつけるために訳の分からないケジメを付けようとしているのだろうとは思っている。

 松方の前では口にしなかったが。


「――で、その上でなんだけどさ」


 俺はもう「なるようになれ」と投げやりに思っていた。

 ここまで事情を話した上で「じゃ俺がケジメ付けてくるわバイビー」と帰れたのなら、さぞ友達思いの「良き友人」だろう。

 だが俺は残念ながらそういう人間ではなかった。そういう人間ではいられなかった。

 ――少なくとも、この松方という男の前では。


「俺と一緒に羽佐間恵に会いに行かないか」


「―――――――――」


 松方の表情は時が止まったように固まっていた。

 いや、もしかしたら俺が発言したつもりでいるだけで、一切の声が出力されてなかったのかもしれない。


「俺と一緒に――」

「き、聞こえてる聞こえてる!」


 漸く松方の動作が再生され始める。

 聞こえていたらしい。


「聞こえてるけど……何意味わかんねえこと言ってんだよ……急に」

「別に難しいことは言ってないだろ。羽佐間恵の連絡先は俺が持ってるし、なんなら今日会う予定がある」

「む、無理に決まってるだろ!」

「なんでだよ」

「はぁ!? そんなの決まってんだろ! 俺は……俺は恵さんの気持ちを裏切っちまったんだ……会いに行くなんて……できるわけねえだろ」


 もがくように胸あたりの服を掴みながら話す松方。苦虫を噛みしめるような険しい表情で、彼自身の罪を数え直しているようにも見えた。


「浮気しちまった俺が100:0で悪い、だからフラれるのは仕方ない。それで終わり。これ以上迷惑かけちゃいけないんだよ俺は」


 ――迷惑、ね。

 人がかけてしまった迷惑の総量なんてわかりっこないのに、それを自主的に制限しようとすることにどれほどの意味があろうか。

 意味があるならそれは、唯のだ。人に迷惑をかける自分を許容できない自分のエゴだ。迷惑がかかってしまう相手への配慮では断じてない。


「なあ、松方——」


 俺は深呼吸しながら、これから吐き出す言葉をもう一度頭の中で繰り返す。


 ――こんな感情を抱くのは間違っている。

 ――こんな言葉を吐くのは間違っている。


 それでも俺は。

 心の中で、俺を押さえつける俺を押しのける。


「――お前、

 

 これは、俺のエゴだ。

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