第9話 関係
「――じゃ、あたしそろそろ帰るね」
松方の幼馴染——美咲瀬里奈は「裸体を見た俺」に対して凡そ100点満点の当たり障りの無い会話を繰り広げ、小一時間談笑してから無事松方の家を去ろうとしていた。
「あ、瀬里奈、充電器忘れてんぞ」
部屋の奥の松方が座ったまま玄関先の幼馴染に声をかけた。
「えー? 持ってきて」
「めんどい」
「も~靴履いちゃったよ~。まあ今度来るときで良いや。保管頼んだ」
「充電器無いと流石に困るだろ」
「だいじょーぶ、ストックあるから。デキる女は何個も充電器キープしてんの」
「はぁ? んなの聞いたことねえよ。ヒロは聞いたことあるか?」
「……え? あぁいや、無いな。初耳だ」
「ほらな」
「男には分かんない世界なの」
俺の返答だけがワンテンポ遅れた。
余りに日常的な会話に、俺は俺自身の存在をこの場から消し去って客観的に俯瞰してしまっていた。
「じゃあまた今度連絡するね」
「はいはい、とっとと帰れ」
「かわいげないやつ~じゃバイバーイ」
バタン、と青い扉が閉じられた。
部屋には俺と松方だけが取り残される。
――さっき聞いた話だが。
美咲という女性は年齢が俺と松方の1つ上で、近所のドラッグストアで働いているらしい。美容師を目指して専門学校に入ったが、度重なるセクハラに耐えかねて退職。現在は晴れてフリーターなのだと面白おかしく経歴を語っていた。
社会を知らない俺のような人間が思いを馳せるのは烏滸がましいが、逞しい女性だと思った。……いや、裸を見た後に「逞しい」とかいうとちょっと生々しいのでダメだな。
「あ」
少しして、スマホに目を落としていた松方が小さく声を漏らす。
「美咲、"充電器やっぱ持ってきて"とかほざいてるわ」
「なら、持って行ってあげたらいいんじゃないか」
「いやそれがさ」
「?」
「"本堂くんに持ってこさせて~"だってよ。」
「え、俺が持っていくのか……?」
「頼んだ、友よ」
「いや待て、お前立つのがめんどいだけだろ」
「あぁぁ催促のメッセージが止まらねえ! 早く行ってあげてくれヒロ! 俺は足が床にへばりついて離れねえええ!」
「………………」
松方のスマホ画面にチラリとゲーム画面が映ったのが見えた。よくは分からんがやけにリアルな野球のゲームだ。
「……頼むヒロ。大事なランク昇格戦なんだ」
「……はぁ。充電器はどれだ?」
そんなわけで、
キリっとした表情でバカ真面目に頼んでくる友人を残し、部屋を出た。
*** *** *** ***
松方の幼馴染はヒロキの部屋を出て少し歩いたところ――階段の踊り場付近に立っていた。俺に向けて手を振って合図する。
「わ、ホントに来てくれた~頼んでみるもんだね」
「これ充電器です。どぞ」
「ありがとありがと~」
「じゃあ俺はこれで――」
「待ってよ、せっかく来てくれたんだからちょっと話そうよ。そのために呼んだんだし」
「……はい?」
「――私とヒロキの関係? みたいなの、3人で居る時は話せないじゃん? だから今伝えとこうと思って」
二人の関係。
「幼馴染」とは別の特殊な関係性。
――二人がSEXをするに足る理由。
彼女は恥ずかしがる素振りもなく続けた。
「私とヒロキはね、いわゆるセフレってやつなの。だから付き合ってるわけじゃないんだよね」
セフレ。
セックスフレンドの略ですか、とは聞けず。……というかそれしかないが。
「アイツが "元カノがやらせてくれない~" ってボヤいてたのがきっかけなんだけどね。なんか一回やった後はしばらく会うことなかったんだけど、その後彼女に振られたらしくって、今もこうしてズルズル関係が続いてるって感じ」
「……初対面の俺にそこまで話していいんですかね?」
「初対面の本堂くんに裸見られてる時点で、じゃない?」
「……うぐ、それは、まあ……」
言葉に詰まる。カウンターとしては強烈すぎる一撃だった。
「それに変に誤魔化した状態で本堂くんに接するのもやりづらいしねぇ~。居心地良い場所では気遣いたくないじゃん?」
「まぁ、それは、そうですね」
それとこれは話が違うような気もするが、あっけらかんとしている彼女につられて俺も不本意ながら同意する。
「――という訳で、あたしとヒロキの関係、変に誤解しないでもらえると嬉しいなーって感じ」
俺は頷いておいた。
セフレの時点で変に誤解はしなくても、変には思うだろうとは思ったが。
「あーあ、あたしもちゃんとした彼氏作りたいなぁ」
「そ、そうすか……——」
ため息をつきながら項垂れる彼女の目線が、突如として鋭さをもってこちらに向けられる。
「あでも、本堂くんの顔ってよく見たらあたしのタイプかも。ヒロキみたいに量産型イケイケ大学生みたいなチャラさもないし、義理堅そうだし」
「……それは、どうも」
「え~、あたしのこと警戒しすぎでしょ。大丈夫だよ半分冗談だし」
どこを区切った半分だよ。どこからどこまで本気だよ。
「別に警戒はしてないです」
「あたしとしては~? "裸見られた男"って時点で変に意識せざるを得ないんだけどな~?」
「ぐっ……その件はマジですみません」
痛いところを突かれて謝罪すると、彼女は俺の背中を軽く叩きながら笑った。
「あはは、冗談だってば。次会う時までにお互いしっかり寝てちゃんと忘れとこね~」
「……善処します」
「――あ、でも忘れられなかったらそれはそれで教えてね? ヒロキには内緒で」
「?……それはどういう――」
「じゃ、まったね~」
それだけ言って、彼女——美咲瀬里奈は階段を駆け下りていった。
それとほぼ同時に、松方の部屋の扉が開いた。
「――おい瀬里奈いつまでヒロと話してんだよ――てあれ、ヒロだけじゃん。瀬里奈はもう帰ったのか?」
「……あ、あぁ、ついさっきな」
「そか。ったくアイツマジで急に来るから困るんだよなぁ~。俺からすりゃいい迷惑だぜ」
――そんな彼女と仲良く腰振ってたのはどこの誰だよ……と心の中で吐き捨てつつ。
「あーあ。アイツが恵さんだったらウェルカムだったのになぁ……」
…………。
……………………。
「なあ松方」
「ん? どした?」
「今日ここに来た理由。まだ話してなかったな」
「あー。そういや聞いてないな。」
――俺は今、松方に何を伝えようとしているのだろう。
「俺さ――この間、羽佐間恵に会ったんだ」
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