第8話 もう一人
「友達の家のクローゼットで裸体の女性と出くわした」俺の心は、自分でも驚くほどに冷静だった。
驚きは「思い込み」から生まれる。何かを分かった気でいればいるほどに、そうでない現実に直面して驚愕する。そう考えると、驚かない俺は「思い込んですらいなかった」ということになるわけで「松方が遠い存在になっていること」に自覚的だったのかもしれない。
などと訳の分からないことを考えているとキッチンから短い距離を駆けてきた松方が弁明を始めた。
「ヒロ聞いてくれ、違うんだ。いや何がとかではなく、ホントに違うんだ。こいつは只の幼馴染で、職場が俺の家に近いって言うもんだからたまに遊びに来るようになってだな。今日はたまたま……、そう、たまたま……」
「……たまたまでSEXはしねえだろ」
どんな偶然だよ。
「……とりあえず、服着てもらって良いですか?」
手で目元を隠しながら、 裸体の女性の足元だけを見てお願いする。
松方も意味のない釈明など辞めて早く彼女に服を差し出してほしかった。
「え、あ、あたし? 良いの?」
なんで服着るのに許可が居るんだよ、どういう立ち位置の部屋なのココ。
そんなことを思いながら指でOKサインを作った。すると裸体の女性は部屋の隅っこに隠されていた衣服を回収し、それらを身に着け始めた。
あーそういうとこに隠してたのね。
「ヒロ聞いてくれ、ホントに違うんだ。コイツは、えーとその、ただの幼馴染で――」
「それさっき聞いたぞ」
「と、とにかく俺とコイツは特別な関係ではなくてだな。単なる腐れ縁というかなんというか――」
「腐れ縁でSEXするかねぇ……」
「…………」
俺の言葉に俯いて黙りこむ松方。コイツはこの言い逃れの出来ない状態から何を挽回したいのか。不明である。
というか、俺は別に二人がSEXした現場を見たわけでは無いので「かまをかけている」のである。否定してくれた方が俺としては嬉しいのだが、沈黙は肯定を意味していた。
「あ、あはは……えーと、お兄さんはヒロキのお友達? であってるかな?」
衣服を着たらしい女性が俺とヒロキの会話に入ってきた。
――来ている服はヒロキのシャツだった。彼シャツじゃねえか。
「まあ。そんなところです」
「そ、そうなんだぁ! あたしはヒロキの幼馴染——美咲っていうの。よ、よろしくね」
「……本堂です」
この女性も大概である。見知らぬ男に一瞬とはいえ裸体を見られたというのに、なぜ平然とこの場に居られるのか。
「ま、まぁ? ヒロキとは小さい頃は風呂に一緒に入ってたレベルの幼馴染だしぃ? たまたまクローゼットに入ってたら衣服が無くなってた、みたいな奇怪な事象も発生したりしなかったりするかもなぁ、ていう感じ?」
「……たまたまSEXしますかねぇ……」
「…………」
女性も俯いて黙り込む。いやだから、否定してくれよマジで。
女性に対して直接的な言葉を使ってしまったことは反省に値するが、しかし寧ろ「なんて下品な!」と罵ってくれても良かったものである。
沈黙は、時に言葉より重い。
俺の周りには俯く男女だけ立っていた。
非常に気まずい。
「いや、まあ別にそこらへんはこの際どうでも良いんで、一旦座りませんか。二人の関係にモノ言うつもりはなくて、単にヒロキに話があっただけなんで」
言って、顔を上げた二人と一緒にリビングに腰かけた。
しかし、当たり障りのない自己紹介と身の上話を少ししたと思えば、
「……あ、あぁ……ええと俺はお茶でも淹れてこようかな……」
「あ、ヒロキ、あ、あたしも手伝うよ」
二人は席を立つ。
まあそりゃ気まずいか……。
申し訳ない気持ちは感じながら、二人の後姿をリビングから眺めた。
自然と近くに並び立つ二人の背中。
それはきっと「幼馴染」という特殊な関係性だけでは成立しない距離感だった。
そうして俺は一つ、得心する。
――あぁ。松方はこの女性とも浮気をしていたのだ
と。
しかし、それも俺にとってはさほど驚くべきことではなかった。
浮気をする人間の心など、分かったと「思い込む」ことすら至難の業である。
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