第6話 依頼

「私がお願いしたいのは1つだけ」


 羽佐間恵は困惑する俺などお構いなしに、綺麗な人差し指を立ててみせた。


「この子――の。勿論本当の彼女だと思ってね。で、後日デートの感想を教えてほしい。何をしたかどんな会話をしたかも含めて詳細に」

「は…………はぁ?」

「それが、

「せき……にん……」

「そう、責任」


 羽佐間恵は当然と言わんばかりに頷き、隣に座る天海恋を見遣った。当の天海恋は蛇に睨まれた蛙のように気まずそうに俯いているばかり。

 俺は……空いた口が塞がらない。


「え、えーと。すみません、マジで何が何だか分かってないというか――」


 しどろもどろになりながら俺は言葉を発する。話す内容を整理する余裕もなかった。


「そこの天海さんはで」

「うん、友達」

「……で、……なんでしたっけ?」


 今からでも遅くない。全て冗談でドッキリでしたと言ってほしい。そんな願いを込めて恐る恐る確認を取る。


「それさっき言ったよね。もう一回聞く必要ある?」

「…………いえ」


 冷たく鋭い刃物を首元に充てられたかのような恐怖。負の感情を一切見せず、ただ殺気だけを以て返された。

 どうやらガチらしい。いや、俺も別にふざけてるわけではないんだが。

 

「あーでも、別に変に意識しなくていいから。フツーにデートして、フツーに会話して、フツーに過ごしてほしいの。そんでフツーな感想が聞きたいの、私は」

「普通……」


 普通とは。脳内に広がる銀河でその言葉だけが反芻される。

 どこの宇宙にが居ようものか。前提が異常すぎて普通という言葉が遥か遠い存在に感じられた。

 と、銀河的思考に耽る俺を現実に引き戻すかのように、羽佐間恵が体を乗り出してこちらに顔を近づけてきた。


「――なんで私がこんな事お願いしてるか、分かる?」

「――まったく分かりません」


 即答だった。

 分かるわけねえ、考える時間さえ惜しい。

 浮気相手とのデートの感想を知りたがる元カノなんて聞いたことが無い。訴訟でもするのか? 物証集めか? 俺もセットで訴えらるのか?


「ヒロキが私を裏切るに至った魅力が、どんなものなのか知りたいの」


 答えを聞いても、脳内で絡まった疑問のほつれは解けない。


「相槌がうまいーとか、さりげないボディタッチがそそられるー、とか。そういうレベルでも良いの。とにかくどんな些細なことでも良いから"二人の幸せを壊す決断に踏み切るきっかけ"がなんだったのか、知りたいの」


 聞けば聞くほど、ほつれは複雑になっていく。

 この人は……一体何を言っているんだ?


「でも、それを恋の口から直接聞いたら私は私でいられる自信がない。怒り狂うかもしれないし、泣きじゃくるかもしれない。殺してやるって叫ぶかもしれないし、死んでやるって喚くかもしれない。――だから、第三者であるキミに頼みたいの。それなら、どこか他人事でいられると思うし、私もヒロキも恋もバカだったんだなぁってあっさり笑い飛ばせる気がするの」

「そういう……もん、ですかね」

「そういうもんだよ。多分」

「…………」


 全てを言い切って満足したのか、羽佐間恵はまた一口コーヒーを啜った。

 そして、思い出したかのように隣に座る天海恋に声をかける。


「恋も、それで良いよね? なんか希望ある?」

「ううん。私は大丈夫」

「ホントに? 何かあるなら今のうちに言わないと。後からやーめたなんて無しだよ?」

「言わないよ。そういうことは、しない」

「……そ。なら良いんだけど」

 

 天海恋はこのクソ気まずい空間のなかで肩身狭そうにしていたが、彼女の提案に対して拒絶も驚きも見せることが無かった。

 元から全て知っていたかのような、はたまた全てを諦めているかのような。


「で、どう? キミは引き受けてくれる?」


 彼女の瞳は、こんなイカれた話をしている人間とは思えないほどに真っ直ぐに、真剣にこちらを見つめていた。


「…………俺は――」


 ギュウと締め付けられている喉元にずっと引っかかっていた言葉が零れ出ようとしたとき――鐘の音と共に扉が勢いよく開かれた。


*** *** *** ***


「んー、穴場だと思ってたんだけど、まさか怒涛の来客ラッシュとはねぇ……私ら以外に客来るわけないって高を括りすぎてたかな」


 喫茶店を出るや否や、羽佐間恵は背伸びをしながらそんな風に愚痴った。

 そんな彼女をなだめるように天海恋は諭す。


「も~そういう失礼なこと言わないの」

「はいはい。ごめんって」

「まあ皆常連さんみたいだし、普段からこの時間帯は人気なんだろうね。雰囲気も良かったし。――本堂くんもそう思わない?」


 え、俺?


「え? あ、あぁ、はい」

 

 何に対して同意したのかも良く分かっていなかった。


「完全に上の空じゃん」

「いやすんません……ちょっと考え事を……」


 賑わう店内をガラス越しに見つめながら、そう言った。

 ――俺が答えを出す直前に扉を開けたのは見知らぬ常連さんだった。そしてそれを皮切りにドンドンドンドンお客さんがやってくるもんだから、物騒な話をするのも憚られ「俺の回答は後日」ということで、解散という運びになったのである。

 会計時、奥から出てきたマスターの札を数える手は小刻みに震えていた。ごめんよマスター。


 程よい気温と陽射しを浴びながら、俺たち3人は喫茶店の前に立っていた。


「恋ー。一緒に帰ろ」

「いいよ~。私タクシーで来ちゃったけど恵は電車?」

「いえーす。ということで駅まで一緒に行こ」

「はいはい、仰せのままに」


 随分と仲のよさそうな二人を見て、俺は頬を力強くつねった。


「――いってぇ」


 痛い、痛すぎる。どうやら紛れもない現実らしい。


「あ、ごめん恵。ちょっと店内に忘れ物しちゃったみたい。取ってくるから待っててもらっていい?」

「ん? 良いよ。いってら」


 言って、小走りで天海恋は店内に入っていった。

 その後姿を見ながら、羽佐間恵は呟く。


「可愛いよねぇ、恋」

「……そうですね」

「お、狙ってるの? もしかしてデートも役得だとか思ってる?」

「狙ってないし、デートするとも言ってないです。客観的事実に同意したまでで」

「ふぅむ。釣られないか、残念」

「…………」

 

 情緒が分からん。

 なぁ松方。一体何がどうなったらこんな謎パラメータが振り切れた美女と付き合うことになるんだよ……。

 心の中で元凶である友人に向けてボヤく。


「あ、今私のこと改めてイカれた女だと思ったでしょ。顔見たら分かるよ」

「……否定したいけど、嘘っぽくなるのでやめておきます」

「正直でよろしい。……でも大丈夫、私も同意見だから」

「……?」

「私も私がイカれてることくらい、自覚してるってこと」


 そして「もし」と、彼女は続ける。


「ぜーんぶ好きになれたら、それか逆にぜーんぶ嫌いになれたら、こんな風に痛みを感じなくても済むのに。それが出来ないからこうなるんだよね」


 そう言って、またあの蠱惑的な笑みを浮かべた。

 どこか魅力的で、憂いがあって、掴みようのない儚い笑み。

 俺は何かを言おうとしてやめた。どれほど意味のある言葉だったかも分からないし、そもそも何を言おうとしていたのかも瞬時に曖昧になったからだ。


「お待たせ~ごめん手間取っちゃった」


 少しして戻ってきた天海恋は手にハンカチを持っていた。忘れ物は無事取り戻したらしい。


「じゃまたね。、待ってるから」

「またね、本堂くん」


 俺は言葉は返さず、手を振った。

 二人が突然宇宙船にでも戻っていって「実は宇宙人で全てドッキリでした」と宣言してくれる馬鹿げた未来を期待して。

 ……勿論、そんな妄想はただの妄想に終わり、俺は寄り道もせず家に帰った。


 それからは何の面白みもない日々が続いた。

 退屈な授業を受けて、平穏なサークル活動を送って。


 どれくらい日が経ったかはあまり覚えていない。

 ただひたすらに「無駄なことを考えなくてすむようになる」ための時間が欲しかった。ありとあらゆる思考を落ち着かせるためのクールタイムが欲しかった。

 羽佐間恵からは時折「答えまだー?」と連絡が着ていたが、その度に俺は回答延期を申し出、彼女もまたそれを承諾した。


 そうして、人生に退屈と平穏が戻ってきたと感じられるようになった頃。


 ――俺はアイツに会いに行った。

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