第5話 結集

「――てことで、キミが代わりに浮気の責任とってくれるって話だったよね」

 

 俺と彼女しかいない喫茶店の中で、真昼間から物騒な会話が始まった。

 店の奥に居るマスターが何かを吹き出す音だけが聞こえた。


「――だからその件、俺は承諾してないですって」

「連絡したら来てくれたんだから、OKって言ってるみたいなもんだと思うけど」

「あんな脅しみたいな連絡されたら行くしかないでしょうに……」


 俺は自分のスマホに送られてきたメッセージを突き出して見せた。彼女が送り主本人なのだから見せられるまでもなく覚えているとは思うが、それでも見せないと気が済まなかった。


 ――『13時半〇▽喫茶店集合。来なかったら代役探すけどヨロ』 


 「ヨロ」なんて軽い言葉で締めくくっておきながら、「行かなかったら良心の呵責に苛まれる」こと間違いなしの文言である。なまじ「本人が無理なら家族が責任を取るのも手」などという滅茶苦茶なことを言っていたせいで、行かないことで誰かに迷惑がかかる未来が現実味を帯びていたのが決定的だった。


「代役は冗談のつもりだったんだけどなぁ。ま、キミが献身的かつ優しい人間であるということが分かって、信頼が積み重なってWINWINってことで」


 積み重ねたくない信頼などこの世にあると思っていなかったが、世界は随分広い。

 そしてWINWINという言葉がここまで嘘くさいのも世紀の大発見である。


 ――この人、やっぱり苦手だな


 そう思いながら、運ばれてきたコーヒーを受け取り一口啜る。

 ちなみにマスターのカップを机に置く手は震えていた。相当な修羅場だと思ったのだろうか、ごめんなさいマスター。

 心の中で3回ほど謝罪を繰り返してから、俺も彼女に対して質問を返すことにした。「ヒロキの浮気の責任を俺が取る」などという大逸れたことに賛成するわけでは無いが、彼女の真意が気になっていたのは事実だったからだ。

 彼女の言動には「浮気をされた人間」のソレとは思えない、底知れない不気味さを感じていた。そして、その興味こそが俺がこの呼び出しに応じた真の動機であると自覚していた。


「というかそもそも責任って具体的には何なんですか? 昨晩もはぐらかされましたけど、その中身が分かんないと承諾しようがないです」

「ん。それは今日話すつもり。でも待ってね、まだみたいだから」

「まだ……?」

「そ。だからコーヒーでも飲んでゆっくりしててよ。……あ、今日は授業終わり?」

「え、あ、ああ、そうすね。午前中だけ受けてきたところです」

「そりゃご苦労様だ。ありがとね、わざわざ来てくれて」

「いえ、礼を言われることでも……」


 そう言ってから、場を整えるように互いにコーヒーを啜る。

 そう、こういうところだ。こういうところが苦手なのだ。会話のコントロール権をさりげなく握って、彼女のフィールドに引き込まれる感覚。

 ……いや、俺が会話下手だとかそういう話ではなくてだな。雰囲気とか言葉選びとかそういうセンスの話をしているのであって。


「――あ、そうだ、どうでもいいんだけどさ。ヒロキと高校時代からの友人って言ってたけど、それってつまりキミも××高校出身なの?」

「そう、ですね。どうかしました?」

「直嶋って同級生居なかった? アイツとは知り合いなんだよね」

「あー。いましたね。まあ俺はあんまり関わりなかったですが、ヒロキとは仲良かったような……」

「ふふっ、そうだね。確かに直嶋とキミは相性良くなさそう。直嶋は脳みそまで筋肉で出来てそうな奴だけど、キミは……」


 そう言うと彼女は、コーヒーに付随していたスプーンを超能力者よろしく立てた状態でこちらを見始めた。片目を瞑り、うーんと小さな唸り声を鳴らしながら、俺を鑑定しているように見えた。


「キミは……そうだねぇ……――合理主義者? 筋道通さないと物事進められないタイプ? みたいな?」

「……スプーン曲げるのか精神鑑定するのか、どっちかにしてください」


 俺の返しに彼女は小停止し、少し驚いたような表情を浮かべた。

 

「あはは、そうきたかぁ。ごめんごめん。最近こういう心理学チックな表現に憧れちゃってて。今いったことも冗談だから気を悪くさせちゃってたらごめんね」


 言って、眼前で手を合わせて謝罪してきた。


「……怒ってない?」

「え? なんか怒る要素ありました?」


 別に怒るほどのことでもないので良いのだが、変なとこで律儀だなと思った。

 俺の精神性など、語るに及ばない凡庸なモノであるに違いないのだから。

 俺の言葉を聞いた彼女はスプーンを置いて、少しかしこまった表情で俺に向かって言う。


「キミって――――――なタイプでしょ」

「よく言われます。でも悪いことでもないんで」

「それもそっか」


 そうして。

 その後もぎこちなく、他愛もない話を数十分続けることとなった。


*** *** *** ***


 彼女——羽佐間恵の言う「まだ」という表現が「誰かの到来」を指しているのだということに気付いたのは、それから30分ほど経過した後だった。


「――ごめーん!」


 喫茶店の入り口が軽やかな鐘の音を鳴らして開かれる。

 急いできたためであろう、荒い吐息交じりに言葉を発するのは淡い金髪ショートボブを携えるゆるふわ感満載の女性だった。


「はぁ……はぁ……ごめん恵、道混んでて遅くなっ……——て……あれ? 先客さん……?」


 全体的に白を基調とした柔らかいファッション。ニット生地でありながらも隠しきれないスタイルの良さを見せつけている。

 そんな彼女の表情はこちらを見るや否や、驚愕に変わり硬直する。


「――え、もしかして恵……の彼氏?」

「違う、ヒロキの友達」


 即答で否定してくれた。

 その言葉にゆるふわ女性の表情は緩むが――


「んん?……ヒロキくんの……あー……例の……アレ?」

「そ。とりあえずこっちおいでよ」


 ヒロキとは知り合いらしい。

 アイツの交友関係どうなってんだよ、とは思った。

 ゆるふわ女性は羽佐間恵に手招きされ彼女の隣——つまり俺の正面に座る。

 華やいだ空気が周囲に漂う。


「えーと、天海恋です。恵とは同い年の友達で。えとえと、とりあえずよろしくね」

「ど、どーも本堂真紘です」


 おぉ。なんと普通の人! 

 羽佐間恵に次ぐ女性の登場に、不安懸念恐怖が爆発しそうだったがめっちゃマトモそうな人で良かった! 心の奥底を見透かしているかのような怪しい雰囲気は微塵もない! 誰のこととは言わないけど良かった!


 そんな風に歓喜している俺の内心を知ってか知らずか、羽佐間恵は平坦な口調で、彼女の補足情報をつけ足した。


「補足すると、この子が私の友達で――ってわけ。以後お見知りおきを」

「……へ?」


 ……へ?

 本音と建前が珍しく一致した。

 聞き間違えかと思いゆるふわ女性の反応を待つ。


「うぅ……面目ない……」

「……へ?」


 ……へ?

 到着早々俯き反省した素振りを見せるゆるふわ女性。

 その態度が示す答えはつまり……。


「よし、これで必要な人は揃ったところだし始めよっか。浮気のケジメ」


 クソ気まずいはずの空気で、話を坦々と続ける羽佐間恵という女性に、そもそもこの摩訶不思議な状況に、ありとあらゆる情報に理解が追いつかない。


 で、

 この……?


 ……どういう地獄? コレ。

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