第3話 邂逅
「――というわけで、学期末のテストにコレは出しませんが、課題レポートの題材としては取り扱うので各自復習はお願いします。……と、時間も時間なので今日の講義はここまでにしましょうかね。授業で使った資料は――」
教授の解散宣言と同時に、それまでしんと静まり返っていた講義室がざわつきだした。
リュック型の鞄を勢いよく持ち上げて颯爽と後方の扉から退室する学生、寄り集まって5~6人組のグループを形成する学生、恐らく次の授業もここを使うのであろう一切動きを見せない学生などなど……100人規模を収容できる大きな講義室だけあって、人の動きも千差万別である。
かくいう俺はそんな人々の動きを見ながら参考書を鞄にしまい、人波が消えてから退室しようと画策する学生であった。
「あ、そうだそうだ。来週の教室はココじゃないので、各自掲示板を見逃さないようにしておいてください」
ぶつん、とマイクのON/OFFをやや乱暴に切り替えながら、教授が呼びかける。もはや最初に退室した学生はこの場に居ない気もするが、まあこういう光景も大学という最高学府では見慣れた光景である。
教授は最前列の机に紙の資料を並べながら質問に来た学生と何かを話していた。
ちなみに、この講義を担当している教授は白髪と白いひげが特徴のおじいちゃん先生なのだが、かしこまった話し方とは裏腹に学生には「優しい」と人気である。「優しい」なのか「易しい」なのか、実に不鮮明なイメージである。
と、そんなしょうもない思索にふけるのはここまでにして。
……よし。あらかた人もはけたし、俺も出るか。
そう思い、立ち上がった時だった。
「あれ~? せぇんぱいじゃないですかぁ」
甘ったるい声が後方から聞こえた。
実に聞きなれた声。
俺が固まり振り返るのを躊躇している間に彼女は俺の視界、つまり前方に駆け寄ってきていた。
「やっぱり先輩だぁ! あれ? 先輩もこの授業取ってたんですかぁ? 全然気づかなかったですぅ」
耳が爛れそうな甘く柔らかい声を発する女性——桑名真凜が俺の袖をナチュラルに掴む。そして反対の手で自らの口元に手を添え、いかにも「驚いた」表現をしてみせた。
ピンクがかった髪色に、人目を憚らないゴスロリ衣装。「頼む! 目立つな!」という俺の儚い願いに反して、周囲の人間たちは好奇の目でこちらを見ている気がした。
……しかし、桑名はそんなことお構いなしに、目をキラキラさせて(キラキラしてんのかさせてんのか分からんが)こちらの返答を待っているようだった。
「……この授業、法学部の専門授業だけど……なんで桑名が?」
「え? なんでって、この授業他学部向けでも開講されてるからですよぉ。私みたいにのらりくらり文学部やってる人間は、こうでもしないと専門の単位足りないんですよね~」
「……なるほど。事情は分かった。じゃあな――」
いい感じに会話を終え次第、俺はどこぞのアメフト漫画よろしく退路を脳内で導きだして勢いよくスタートを切る。
これぞまさにデビルバッドゴ――
「――ちょちょっ、待ってくださいよ!」
「――ウッ」
ガシッ。
いや、ほんとにそんな効果音がこの世に流れているのだろうかと疑問に思っていた俺に現実を分からせる桑名。彼女の腕が俺の腕をガッツリとロックしていた。
周囲の好奇心パラメータが音を立てて上がっている気がした。
「もー、なんで逃げるんですか先輩」
「い、いや逃げようとしたわけではなくてだな……」
「サークルの可愛い後輩がこうして話しかけに来てるんですから、この後ご飯でもどうだい? くらいの甲斐性見せてくれても良くないですか?」
「……冷静に考えて、そんなナンパ紛いのことしてくる先輩は嫌だろ……」
「むぅ。そういうチープな一般論に落とし込んで考えるからモテないんですよ先輩は」
「おい、なんでいきなり俺がモテないことが主題になってるんだ。納得いかないぞ」
仮にそれが事実であっても、それを本人に告げるのはいくらなんでやりすぎだろう。
桑名真凜。学年で言うと一個下の文学部。彼女との接点はサークルが一緒という一点のみでこうして執拗に絡まれるほどの関係性を気付いてきた覚えはないのだが……。
明らかに強固な自我を持っていて、無関係な他者の評価などお構いなしといった度胸のある彼女と、目立ちたくない俺。どう考えても水と油である。
「まあいいじゃないですかぁ。先輩もう授業ないですよね? 一緒にお昼食べてから帰りません?」
「なんで俺のスケジュールを把握してるんだ……いやもうそれはいいや、とにかく教室出よう……」
「はいはぁーい」
そのまま腕をロックされたまま、好奇の視線に耐えながら教室を出る。
なんて日だ!! と胸中で叫んでおく。
「――で、悪いんだが、俺ちょっと用事あるから昼は一緒に食べれそうにないわ」
「でぇえええええええ!? なんですとぉ!?」
教室を出てすぐの廊下で桑名は分かりやすく驚いて見せた。
「珍しく野暮用でさ。悪いんだが、まただ」
「せ、先輩に用事……猫に小判とはまさにこのこと……」
「おいさりげなく俺をディスるな。俺を何だと思ってんだ」
「年中暇人ニートだと思ってます」
「勉学には励んでるだろ……」
「では年中暇人NETで」
「クソ、指摘が甘かった」
随分後輩に舐められているものである、とは思いつつこういう他愛もない会話を気を遣わずにできる彼女の存在に俺はどこかありがたみを感じていた。「臆面なく接してくれる後輩」は人づきあいが得意ではない人間にとって、希少な人材であろう。
「まぁそーゆうことなら今日は諦めます。でもでも、またご飯行ってくださいねっ先輩。奢られるの待ってますから!」
「はいはい、また会ったらな」
「またすぐ会えますよ~。ストーカーして偶然を装いますから!」
「手段!」
そんなバカげた会話を数回繰り広げた後、桑名と別れて俺は講義棟を出た。
まだ昼だというのに今日一日の元気を使い果たした気分だった。やはり人と話すのは言葉にしがたい謎のエネルギーを消費している気がする。
「はぁ……なんかどっと疲れたな」
本来なら飯だけ買ってとっとと家に帰るのが常なのだが……。
今日はそういう訳にはいかない。
なんだ、厄日か?
そう思いながら、講義棟の端に停めた自転車に乗って目的地に向かって漕ぎ始めた。
*** *** ***
大学から少しはずれた歓楽街にあるカフェ。
普段の俺なら逆立ちしても行こうとは思わない、こじんまりとしたおしゃれなお店だ。いかにも個人経営の知る人ぞ知るカフェ、みたいな。
扉を開けると同時に、軽やかなベルの音が鳴る。奥から店主の「いらっしゃい」という声が聞こえて、無意識のうちに頭を下げる。
「お好きなとこにどうぞ」
丁寧なご主人の案内にもう一度頭を下げて、店内を見回す。
……そして、彼女を見つける。
「すいません、遅れました」
彼女は、俺の到来など一切気にも留めてない様子だった。
ブックカバーに包まれた文庫本に目を落としたまま、こちらを見ることもなかった。
「別に。そもそも謝ることじゃないでしょ、呼び出したのはこっちなんだし」
「さいですか……」
「そ。だから早く座りなよ。……あ、タバコ吸う?」
「いや、吸いません」
「だと思った」
「だったらなんで聞いたんですか……」
「謝らせようと思って」
「…………」
「じょーだんじょーだん。シンプル気になっただけ。……あ、マスター、彼にもコーヒー淹れてあげてもらえます? 私と同じやつで」
下手に桑名と話したのが効いているのか、彼女と話して実感する。
この女性——羽佐間恵と俺の相性はすこぶる悪いということを。
「じゃ改めてよろしくね、本堂真紘くん。――や、同い年だしヒロって呼ぼっかな。よろしくね、ヒロ」
凛としたオーラを纏い、底知れない妖艶さを放つ彼女——羽佐間恵。
彼女は読みかけの本にしおりを挟んでから閉じ、こちらを一瞥して微笑んだ。
いや、「微笑んだ」などという優しいものではなかったか。もっと魅惑的で悪魔的、ひいては暴力的な笑みだった。
「よろしくお願いします……羽佐間さん……」
昨晩の邂逅を思い返しながら、俺は愛想笑いを返した。
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