第五話

「ハァハァハァ」


朔月黒音は、激しく息切れしながら自分の足元に転がっている、たった今自分の手で命を奪った少年、【木雲胚蛾きぐもはいが】の心臓に突き刺さった自分の刀を引き抜いた。


自らの多くの友人や同士、妹を奪ったユディアン族共の一人を殺したはずなのに彼女の心はどうにも晴れず、寧ろ空虚な気持ちに支配されていた。


「ハァ…ハァ…これで一人…」


黒音は、ゆっくりと立ち上がると、辺りを見渡す。


今彼女と死体が転がっている場所は【ラ厶ー洞国】という、ユディアン族のみが暮らす地下国の入口に位置する巨大な洞窟だ。


城一つすら入れられるほどの巨大さを誇るこの洞窟だが、当然この付近にいるのは、ユディアン族かあるいは、その奴らに攫われた、自分たち天空狗族の同胞だけだ。


故に彼女は、自らが知っている者以外、この場にいる全てをユディアン族、つまりは憎むべき敵と断定し皆殺しにする、決意を固めていたのだが、ユディアン特有の能力、【寄実よりみ】というものを使わずに、自分に殺されたこの少年をどうにも、敵と認識することが出来なかった。


「私は…まさか……いや…そんなはずは…」

彼女は小さく呟きながらも、辺りを見渡した。


洞窟の中は極めてひろく、そして暗いが、入口とは逆の方向には、長い通路が伸びており、その奥には明るいい光が見える。


「ここは…奴らの地下国に繋がる入口のはず…なのになぜ…」


黒音は困惑する。


彼女はこの洞窟の事を、ユディアン族が住む、地下洞国【ラ・ムー】に繋がっている入口だという情報から、この洞窟を襲っている。


しかし入口から反対側に明かりがあるということは、出口があるということは、それはここが地下へ繋がる洞窟などではなく、どこにも繋がっていない、例えるならただの巨大なトンネルのような物だということになる。


「まさか…いや…場所はあってるはず…」


黒音は一抹の不安を覚えながらも、周りを見渡す。


洞窟内には、彼女が殺した木雲胚蛾以外に誰もおらず、人の気配すらしない。


「どういうことなの…」


黒音は、そう呟きながらも辺りを探索しようとしたとき、この暗き洞窟、またはトンネルの分厚い岩壁に屈めば人が入れるほどの穴が開いている箇所を複数見つける。


「この穴は一体……」


黒音は、恐る恐るその穴に近寄った……その瞬間だった。


「あ〜あ…こんな最期を選ばせてしまうだなんて…1万年ぶりに不甲斐なさを感じるわ…なぁ…わかるか?人妖? 天狗風情…」


突如、黒音の背後から、静かに、それでいてゆったりとあたりに響き渡るような女性の声が聞こえた。


「!?」


黒音は驚き慌てて後ろを振り返ると……そこには、長い緑青色の髪を無造作に伸ばしており、目鼻立ちも整っており、非常に美しい顔立ちをした美女が彼女が殺した少年、木雲胚蛾の亡骸抱きかかえて、立っていた。


彼女は美しい容姿とは裏腹に彼女は黒いドレスを身に纏っており……そして何より彼女の姿はまるでホログラムのように、半透明であり、指先をよく見てみると黒色に禍々しく輝く長いピアノ線のようなものが幾つも伸びており、それらは全て木雲胚蛾の亡骸に巻きついていた。


「こんなにもなっちゃって…彼さ…その気になればお前くらい、簡単に殺せたのにね…少し【我玉像がおくぞう】に関する記憶を失っただけで…こんな選択肢を取るなんて…やはりヒトの性根はどこまでも…【澄み渡る善性】何だと思わない?」


そう言いながら不気味な雰囲気を醸し出す彼女は、ふわふわと煙のように宙に浮かびながら、木雲胚蛾を抱きかかえた状態で黒音の方までゆっくりと近づいてきた。


「な……なんなのよ! お前ッ!!」


黒音は、その不気味な雰囲気を放つ女性に思わずそう叫んだが、彼女はまるで聞こえていないかのように、ただ淡々と歩みを進める。


「まぁいいや……」


そんな女性は、そう言いながら木雲胚蛾の亡骸から手を離した。そしてそのまま彼女の亡骸は地面へと落ちていくはずだったのだが……


「え……?」


黒音の目の前で信じられない光景が起きた。


木雲胚蛾の亡骸は地面に落ちる瞬間ピタリと止まった。いや……正しくは彼女の亡骸に巻きついていた黒いピアノ線のような物が、まるで生きているかのように蠢いて、彼の亡骸を空中に持ち上げたのだった。


「なッ!!」


黒音がそう驚いた瞬間、木雲胚蛾の亡骸はまるで空に浮かび上がった魚のようにピチピチと痙攣を始め……そしてまるでリンクしているかのように糸を引いている女と同じようなポーズで空中に浮かんだ。


珍妙な状況はそれだけにとどまらず、彼女から伸びた線は木雲胚蛾の傷口を縫うなどして、傷口をあとすら残らず修復していき、更に焼き入れて消し飛んだ両足に至っては黒い小さな靄のようなものが集まりそれは次第に足の形に姿を変え、ついには木雲胚蛾の足…更には衣服や靴に至るまでの全てを生前の状態まで戻した。


「な、何をしているのよ!!」


黒音がそう叫ぶと、彼女はこちらを振り向くことすらせずただ一言だけ……こう言った。


「彼には感謝しているの…。本当は偉そうな態度で超能力と呼んで【我玉像】の事をわかりやすく教えたりして、助言を与えて助けようとしたけど…こうなってしまっては仕方がない」


 その瞬間、黒音は感じた。強烈な殺気を。


ゾクッと背中から嫌な冷たい感覚が押し寄せたのおを感じ汗と震えが止まらなくなる。


目の前の女性の放つ声、纏う空気、そしてそれらの雰囲気から伝わる、圧倒的なスケールの殺意。 


そして彼女は言葉を続けながら初めて黒音の方を見る


「せめて自分自身の力で敵討ちさせてあげないとね…」


その瞬間、朔月黒音は既に悟った。眼の前の存在との圧倒的な力の差…生物としての次元の違い。


そしてそんな存在がまるで自分のことを虫けらを踏みつけるような殺意を向ける果てし無い絶望を。


「うわあああああああああッ!!」


黒音は、それを理解した瞬間、絶叫し、気づけば刀を抜き彼女の方へ斬り掛かっていた。


そのスピードは音すらも抜き去る。朔月黒音自身の中でも最速であり死の淵を強く感じたが故の火事場の底力であった。



しかし、そんな黒音の渾身の斬撃は、女性の首元の寸でのところで届くことはなかった。


朔月黒音の身体は突然、なにかに強く縛られているかのように、ピタッと止まり、宙に浮き始めたのだ。


「グッ…なにこれ身体が…!」


黒音は、なんとか逃れようと身体を動かすが、ビクともしない。それどころかどんどん締め付けられるような痛みが身体に走るのを感じる上に何より全身になぜか力が入らなくなっていた。



「な……なんなのよ……!これはッ!痛ッ!」


その痛みは尋常ではなく全身の骨が一瞬で砕けても可笑しく無い程のものだった。


「おお…流石込み入った事情で出来た【我玉像】。あぁ……そういえばまだ自己紹介がまだだったわね……」


そんな苦しむ彼女を見て、女性は思い出したかのようにそう言った。

そして彼女はゆっくりとこちらの方に向きながらこう言った。


「私の名はハナツキ…。特別製の【棄階獣きかいじゅう】よ…聞いたことがあるでしょう神話の中でさ」


「棄階獣…?そんな…ありえない…だってそれはお伽噺の…」


宙に浮いたまま、苦渋の表情でそう言う黒音に対してハナツキと名乗った女性は操り人形のようにされている木雲胚蛾の体を黒音の方に出してさらに言葉を続ける。


「ついでにいうと…この木雲胚蛾くんも貴女が憎んでいるユディアン族じゃあありませ〜ん!」


「!!?」


黒音はその言葉に驚愕する。


「な……何を言って」


「この子はね…人間なの…私と同じで伝承には出てくるでしょ? 別の世界から来た…この世界を統べる資格を持つ定められた王たち…もう一つの名は…【転生者】」


「にん…げん…」


黒音は思わずそう呟いた。そして同時に、先ほどまで自分が命を奪っていたはずの目の前にいる少年の正体と…自らに強烈な殺意を向け、自分の身体の自由を何らかの術を用いて奪った女の正体を知った黒音の動揺は更に強まり、顔を真っ青にした。

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