第10話 寺田透 万葉の女流歌人 5/6
今回は寺田透著『万葉の女流歌人』です。
岩波新書。
NDC分類では文学>詩歌に分類しています。
1978年なので少し古い本。
1.読前印象
万葉集は大伴家持が編纂(今の通説?)した十数巻の歌集で、所々大友家持オンステージな部分もあるけど名もなき民や高貴な方々や防人といった様々な人間が読んだ詩を集めた詩集だ。大友家持って武官の一族で、色んなところに赴任してるんだよね。それで種継暗殺事件の下手人との疑いを持たれて暗殺直前に志望してるんだけど官位剥奪され埋葬も許可されなかったという一族郎党苦渋を舐めた……というあたりを書き放置しているところ。続き書かなきゃ~。
さて万葉集には様々なVerの集があるけれど、女流詩人というと一番に思い浮かぶのは
さぁ、張り切って開いてみよう~。
2.目次と前書きチェック
くっ。前書で歌集の中にたくさん小説の種があると書かれている。お前もか感。
でも詩歌から話を作るには前提知識がたくさん必要で難しいん。なんとなく著者が坂上郎女萌えなのは理解した。バブル感がある人だから丁度時代的にモテるタイプな気もしてきた(バブルは確か90年くらいだったからちょっと早い気はするけど)。
目次の最初が
3.中身
この構成だと特定の章だけ読んでもあんまり意味がない気がするから最初から軽くざっと流してみよう。わぁ。自分が和歌が苦手なことに気がついたぞ。というか初っ端から女の恨み的な話から始まるのか、昼ドラ展開。困ったな、僕はこの話の内容をうまく感得できない。
最初の方をざらっと読んでみた感想なのだが、筆者の主張の根拠がよくわからない。論は主にはその詩歌で使用された文言と当事者の年齢、それから詩に対する筆者の印象をもって解釈されているように見受けられる。多分この僕に生まれた困惑はこの書の論の根拠があまり示されていないからだ。
それで違和感が決定的になったのは、『こう解釈したほうが面白い』とか『作者は殖栗豊島とあるがどういうひとか無論僕は知らないし』という文だ。それで著者について検索したら、歴史ではなく文学者と見えて腑に落ちる。これは多分万葉集という平安時代の歌集を解説する本ではなく、万葉集という名の歌集を評論した本じゃないかなと。
そうすると多少の考証はするものの、その視点は詩そのものとしての面白さというものがベースに来ているんじゃないかと思うんだが、問題はこの時代の感覚や文化は現代と大きく異なるんだよね。なんとなく、現代の感覚で評しているように見える。
大伴家持は多分、政治的な意味をこの選に込めていると思う。それは存在はするはずなのに収録されていない歌が何故収録されなかったかという検討によってぽつぽつ浮かび上がるのだけど、この本は万葉集他の記録に残っているものだけを軽重をつけずに表面並行的にしか検討していないような印象がある。
……そう考えると結構難解だな。
現代の文学者(多分詩人の観点でもない)が平安時代に異世界(?)転移して当時の文化差で様々な勘違いを引き起こすドタバタ劇的なものには使えるかもしれない。でもそれを効果的に描くには相対する当時の文化背景を把握する必要があるわけで、ラノベに書くには結構な難易度である。当時の文化人って現代から見て残念なの多いよ?
ただ僕は詩歌というものの造詣が極めて低いので、見当違いのことを言ってるかもしれない。自信はありません。
4.結び
そもそも詩歌に対する造詣が浅すぎた問題。特に近現代の詩歌はますますわからんから本の内容がいまいち頭に入ってきませんでした。
次回は三谷一馬著『江戸吉原図聚』です。
図聚……だと? でも遊郭の話は別のコラムで書こうと思っていたところなので、ちょうどいいかしら。
ではまた明日! 多分!
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