第20話 人はおおむね自分で思うほどには幸福でも不幸でもない。肝心なのは望んだり生きたりすることに飽きないことだ

 「ん。本当に付いてくるのかい?用務員の仕事に興味を持って頂くのは大変光栄だし大変結構なんだがキャリアウーマンにプラスとなるような要素は何処にも無いと思うがね」

 「教育委員会が管理し統制するべきは教員だけではなく学校環境そのものでしょう?校内の公衆衛生を護る、それは学校という社会縮図における保健所に近いと判断しました。ならば知る必要があります」

 「ん。確かに淀んだ空気は病を呼ぶし濁った水は毒を運ぶもんだからね。保健所機能とは言い得て妙だ。けどさあ?用務員さんは裏方なんだよね。君のその真っ赤なスーツは目立ち過ぎるんだよ。今は素朴に慎ましく生きるを美徳とする令和だよ?ジャンジャンバリバリジャンジャンバリバリ目立ってナンボの平成初期じゃあない」

 「見た目で周囲を威嚇しなくては潰されるものですからね、キャリア組なんてものは。特に私は女性のキャリア組ですから上にも下にも敵ばかりなんです。私服は慎ましく普通のオバサンですよ?」

 「ん。四十代はお姉さんで通じるよ。ま、キャリア組なんてものは何時の時代も変わらないさ。私のような小市民でしかなかった昭和の亡霊でさえ苦労をされた方々が早死しているのを見て来たのだからね」

 「貴方は小市民にしては頭が回り過ぎると思いますけどね。一体、何者なんです?」

 「ん。定年後は余生を若者達の未来を紡ぐと決めただけのナイスガイなジジイさ。日々悩みながら生きる女の子とか、そんな女の子を支える真っ直ぐに優しい男の子を視てるとね?日本は安泰だなと思えるもんなんだ。世の中には勝ち負けでしか物事を判断出来ない精神が幼いままの大人ばかりだろ?キャリア組の君は正しくそんな大人に囲まれている筈だ。嫌にもなるだろ、足の引っ張りあいとかアイデアの盗用とかばかりだもん」

 「まるで見た来たかのように言いますね?」

 「ん。大人は何処でも変わらないってだけだね。負けたくないがいつの間にか負けられないに変化し、負けられないからこそ努力のベクトルが攻撃色に転化する。“だから事件が起こる”というもんさ。其処を嫌になるぐらい視てるとね、やはり若者は素晴らしいと思うんだ。この学び舎を巣立った生徒も大半は勝ち負けが全ての大人になるだろう。負けない為に手段を選ばないような大人に鈍化していくだろう。でもね?大人でも子供のような鋭い感性を持ったままの正義の味方は必ず生まれる。そう、私は確信している。だから用務員さんは生徒に寄り添うのさ。十二番目のサムライブルーとして」

 「なかなかに興味深いお話です」

 

 暗に帰れと話しているのだがね。

 危ないから。

 意思疎通が出来ないのか。

 意図的にシャットアウトしているのか。

 証拠の撮影もしなくてはならないというのに全身真っ赤なオバ、お姉さんが居たのでは目立ってしまってワンワンワワーンだ。


 「ところで。用務員さんが何者なのか、という問いに答えて頂けてませんが?」

 「ん?韜晦は許せないタイプかい?徳田新之助が徳川吉宗だって気付いても知らないフリをしてあげるのが人情ってもんだろう?」

 「韜晦など言われても最近の若者は解らないでしょう?そうした知識量からも殺人現場に怯まない胆力からも貴方が単なる用務員だとは思えないのです」


 知ったからどうだ、にはならないだろうが。

 韜晦というか。

 能ある鷹は爪を隠すというのは。

 名探偵というロールプレイには必須。

 韜晦テイオーという全く走らない馬を作って遊んでいた同僚がいたのが懐かしい。


 「ん。私は単なる用務員さ。少なくとも君の敵じゃない。私はね、全女性の味方だ。それが美人ならサービス内容が当社比二割増になる」

 「……今のところは、信じますが」

 別に信じる信じないは勝手だ。

 この物語の登場人物表に記載される者。

 それは犯人と共犯者、そして黒幕だけだ。

 この真っ赤っ赤オバさんが私の共犯者かといえばそれはない。

 探偵を監視する意地悪な刑事。

 その役割は古今ミステリ小説には欠かせないキャラクタであるし、お約束だろう。

 徳田新之助を吉宗だと知っても。

 黙るのがお約束のようにだ。

 「ん。それと言い忘れていた。元気の有り余る若者だからね。喧嘩も珍しくない。特に運動部の一部は血の気が多くてねえ。私は用務員さんだから、喧嘩という校内環境の乱れも綺麗にしなくてはならない。君は鉄火場に立てるかい?私と来るなら、喧嘩両成敗のお手伝いをして貰う事になるけど?ん?ん?」

 「話し合いをせず両成敗?ふざけないでください。子供の喧嘩に大人が介入など!」

 「ん。解ってないね。大人が介入しないと撲殺に至るかもしれない。高校生の力が成人より強いなんて珍しくないんだ。話し合いが通用するのは聴く姿勢を持つ相手の場合だけでね、そうじゃない場合はやはり実力行使で止めるしかないんだ。やっぱ君、教育委員会にしては子供を知らな過ぎるなあ。転属狙いなら現場は部下に任せた方が良いよ?」

 「いいえ。私は教育委員会が天職だと考えてます。良いですよ喧嘩両成敗。私も助太刀しようじゃないですか。でも私は女ですから武装するぐらいは許されるでしょう?スタンガンやテーザー銃があれば怖くなどありません。ちょっと待っていてください。集まった警察の方から武器を借りてきますから」

 そう言って赤いオバさんは必死で証拠を集めている鑑識課のお巡りさんに対し、迷惑極まりないちょっかいをかけ始めた。テーザー貸せとか言っているのかも知れないし、なんなら拳銃貸せぐらい言っているかも知れない。


 「ん。チャンス到来だね。キャリア組の美人が相棒の探偵というのもなかなか魅力的なお約束ではあるんだがね。家内が天国でヤキモチを妬いてしまう。すまないね、私は愛妻家の名探偵を気取っているんだ」


 足音や衣擦れにまで気を張り。

 気配を消し。

 私は日が傾き暗い橙に染まる校舎に融けた。

 手に職は大事だ。

 年寄になっても。

 こういうのは忘れる事は無い。

 

 

 

 

 

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