10、緑の森にて

 モック・ニュータウンにあるギルド、その創立のためには、いくつかの条件がある。

 代表者や参加人数、定められたプラチナチケットの上納。

 その中でも、一番重要なのが、拠点となる『ギルド本部』の確保だ。

 俺たちの参加している『ムーラン』のように、雑居ビルや家屋を拠点にしているのが一般的だが、『ローンレンジャー』の二十一階前線基地や『グノーシス魔界派』の聖堂みたいなケースもある。

 その中で、もっとも特異な拠点を持つのが『インスピリッツ』だろう。


「おはようございます、孝人さん!」


 朝から元気いっぱいの倭子さんが、笑顔と共にマグカップを差しだしてくる。その湯気は細くたなびいて、後方へ吹き流されていく。

 礼を言って受け取ると、俺は手すりの向こうに広がった景色に目をやった。

 黄土色の地面の先に、魔界では珍しい緑の森が広がっている。

 俺の目線は、そうした森の梢とほぼ同じ高さだ。


「あと二時間ぐらいしたら、南の森に到着です! 朝ごはんは『デュオニソス』の食堂でお願いしますね!」

「ありがとうございます。それにしても」


 腹に響く『エンジン音』を感じながら、俺は背後に振り返る。

 そこに在るのは、鋼鉄の威容を誇る、巨大な車両のボディがそびえていた。


「改めて、バカみたいにデカいですね! このギルド本部!」


 この世界で唯一であろう、巨大な工事用車両を改良して造られた、移動用キャラバン。

 正式名称『アルケミスト・ワゴン』が、『インスピリッツ』のギルド本部だ。

 ベッドタウンに近づくのはまれで、だいたい西の廃ビル群と南の森を往復しながら、生産と研究に明け暮れているそうだ。


「こんなもん、どっから持ってきたんですか?」

「ずっと前、ビル群の間に埋まってたのを、みんなで掘りだしたんですよ! その後、整備して、結晶燃料を使ったエンジンに換装して!」

「そんなのを五台でしょ? 多分、最大勢力のギルドなんじゃないですか?」

「正式には、最後尾の『タングリスニル』と『タングニョースト』を載せてる『下駄』も合わせて六台ですね! あと、うちはあくまで生産系ギルドですから!」


 の割には、最前列で全ての車を引っ張ってる『レイジングブル』には、大砲やら機関銃が付いていて、自衛する気満々だったけどな。


「それと、紡さんの炎で焼成したしおりさんの硬装竹こうそうちく、定期的に譲っていただきたいんですが……」

「そこは二人と交渉してください。依頼も、うちの活動の負担にならない程度で」

「もちろんです! うーん、新たな素材入手の予感、実にワクワクですね!」


 倭子さんに招かれてやってきた『インスピリッツ』のメンバーは、彼女を含めてみんな気のいい人ばかりだった。

 さすがに、ダンジョン攻略の時の体験談を、根掘り葉掘り聞かれるのは疲れたけど、研究者らしい熱心さと、現場大好きな技術者たちの気質は、心底居心地がよかった。

 もし『ムーラン』に行かなかったら、こっちに参加してたかもしれないな。


「ワコさん、すんません」


 車両に入るドアを開けて、巨大な牛頭が付きだされてくる。いかつい顔は表情の変化が少なくて、いかにも現場の兄さんという感じ。

 彼はいわゆる『ミノタウロス』ではなく『牛の模造人モックレイス』だ。歯並びや形状が、それぞれ違うらしい。


「『水天』の整備なんで、下へ」

「ありがとう安吾あんごさん! それじゃ、またあとで!」


 飲み終わったカップを回収し、連れ立って去っていく二人の背中。大人と子供ほどの差があったが、そのギャップがなんともほほえましかった。

 アルケミスト・ワゴンの整備主任にしてギルドのナンバー2。

 そんなことを微塵も感じさせない倭子さん。あれで好奇心に前のめりになるのが無ければ、最高なんだけどな。


「あー、おにいさぁん、いたぁ」


 風が吹き渡る狭い渡り廊下を、しょぼくれたヤギがやってくる。手にしたスケッチブックは、新しいページを広げたまま白紙だ。


「どうしたんだ、こっちに来てから珍しいものとか、いっぱいあったろ?」

「うち、機械苦手ぇ。描き方、わかんないですだよぉ」

「機関車なんかを熱心に描いたメジャーどころ、印象派ぐらいだからなぁ。小松崎茂でもインプットしてれば違ったろうけど」


 俺は何気なくスケッチブックを受け取り、ここから見える連結車両を眺めて、鉛筆を走らせていた。

 昼に向けて強まっていく光の中、錆止めの塗装でマットに仕上がった車体が、独特の光沢に輝いている。

 大きくて、力強くて、無慈悲な馬力の塊。人間の不完全さなど、入り込む余地もない。

 ああ、そうだ。

 俺が一番最初に描いたのは。


「……じょうずだ」


 鈴来の声に、我に返った。

 俺はとっさに、そのを破り捨て、


「だめっ!」


 天然の風を貫く、強い拒絶が俺を痺れさせた。奪い取ったスケッチブックを、ぎゅっと抱いて、鈴来は俺を睨んでいた。


「だめ! ぜったい、だめ!」

「……返せよ」

「やだ! これ、おにいさんの」

「返せ!」


 羞恥、後悔、自責、いや、そんなもんじゃない。

 自分に対してのあらゆる嫌悪が、俺の中で凶悪に膨れ上がる。

 あんなものを、残しておいてはいけない。


「返せよ! そんなの、捨てなきゃダメだ!」

「だめ! だめ! だめ!」


 後ずさり、鈴来が車両のドアを開けて走り去っていく。取り残された俺は、握り締めていたの鉛筆を、足下に叩きつけた。


「ちくしょうっ!」


 俺の絶叫と小枝のような鉛筆を、土ぼこりを上げて進む車両が、跡形もなく踏みしだいて進んでいく。

 いっそのこと、このまま。


「……馬鹿か、俺は」


 俺はその場から体を引きはがして、逃げるように車の内側に戻った。



 だいたい十時を回ったぐらいに、巨大な車列は南の森と呼ばれる場所に到着した。

 緑獄崩落の後、この地に根付いた魔界の植物を中心に、一種の生態系が確立されたエリアは、荒廃した世界のオアシス、のように見えた。


「それじゃ、出発進行です!」


 アルケミスト・ワゴン二号車『サンダーバード』。その横腹のゲートが開き、俺たちを載せた車両が、森へと進んでいく。

 水資源回収貯水車両『水天』、要するにタンクローリーが、目的地を目指す。


「ねえリーダー、あんた何やったの?」


 二台あるうち、倭子さんが運転しているこちらには、俺と柑奈と紡、それから牛の模造人モックレイス熱川安吾あたがわあんごさんが乗っていた。


「あいつと俺が相性悪いのは知ってるだろ。そんだけだ」

「さすがに気にするって……あんな顔の鈴来すずき、始めて見た」


 さっきの一件があって、鈴来は俺に近寄ろうともしなかった。誰に何を聞かれても、口を閉ざして、必死にスケッチブックを抱いたままだった。

 ふざけんなよ、なんでお前がそんなことをしてんだ。

 描いた本人が、捨てたくてたまらないものを、後生大事にしやがって。


「ギスギスしたままいるなんて、嫌だろ?」

「今日、素材を取り終えれば、アイツとはこれっきりだ。依頼人と仲良くしなきゃならないなんて項目、契約に組み込んだ覚えはない」

「でも!」

「やめなよ、紡。頑固者同士、もうどうしようもないって」


 柑奈は冷たく、乾いた言葉でそれ以上を封じる。

 その代わり、俺に一言だけ尋ねた。


「これだけ聞かせて。原因はあんた? それとも鈴来?」

「……俺だ。俺が全部悪い」

「そ。だったらいいわ」

「いや、どう考えてもダメじゃんか……」


 そんな気まずい空気のまま、トラックは森の端にたどり着く。そして、そこには意外な光景があった。

 透明な水が、満々とたたえられた、大きな池だ。


「なんで……魔界では、水って貴重なんじゃ」

「その通りです! この水も当然、こんなきれいに見えて、危険がいっぱいですから!」


 危険、と言われて、目の前に広がる水源に目を凝らす。

 ほどなくして、俺は違和感に気が付いた。


「この水、えらい綺麗ですね。底まで見えるくらい透明で、

「正解でーす! それじゃみんな、消毒作戦開始しますよ!」


 倭子さんは腰のグレネードランチャーに弾を込め、


「水質改善弾頭、発射!」


 腹に響く音共に、白煙を上げて射出された弾頭が、水場に着水して、炸裂した。

 

 ざわっ。


 そうとしか表現できない音が、水面を波打たせる。同時に、半透明な何かが、細かい筋になって、のたうち回っている。


「緑獄層の水場は、こういう『水』に擬態した生物のたまり場なんですよ! だから、こうやって消毒駆虫薬を入れないと、飲用どころか触れる事さえ難しいんです!」

「……モック・ニュータウンの水、何パーセントぐらいが、これなんすか」

「だいたい三十パーセントくらいかな? とはいえ、この水もろ過して再消毒、蒸留を経て使われるので、安心してください!」


 やがてさざ波が収まり、透明だった水の底に、なんとも言い難い色の淀みが溜まる。再度薬剤をぶち込んだ作業員たちは、タンクローリーからホースを引っ張って、水をくみ上げ始めた。


「おはよう倭子ちゃん! もう消毒作業終わったー!?」

「駆虫が終わったとこです! あと、処理済みのお水、明日ぐらいには、クリスさんのお店に回せますので!」


 街の方角から歩いてきたのは、ごつい鎧を着て、大ぶりなハンマーを担いだ『EAT UP』の店長さんと、店の人たちだった。


「あれ、紡君と上司のヒトだー! もしかして、倭子ちゃんたちのお手伝いかなー?」

「お疲れ様です。うちらも、ここで素材集めっすよ」

「自己紹介まだだったねー。久野くのクリス、よろしく!」


 握手をした手は、大きくて分厚い。なるほど、料理で鍋を振るだけじゃなく、実際の戦闘でもデカイハンマーを振るうために、造った体つきってわけだ。


「折角だから、うちらと合同にしようよ。安吾君も来てくれると、助かるんだけど」

「うす。ワコさん?」

「こっちはわたしたちで大丈夫! 小倉さんもそれでいいですか?」

「願ったりですよ。つむぐ、予定変更、店長さんたちと相談して採取頼むわ」

「あいよ。文城、しおり、ちょっと集まってくれー」


 やっぱり、こうしてみると、紡は自然とリーダーシップを取れるタイプだ。性格にも裏表がないし気遣いもできるから、文城も気負わずに話が出来ている。

 そんな冒険組の様子を眺めていた柑奈は、用意されていたベースキャンプの椅子に腰かけて、ゆったりとくつろいだ。


「言っときますけど、今後も森には、これ以上近づかないからね」

「分かってるよ。適材適所だからな」


 南の森には、上から落ちてきた『蟲』が生息している。柑奈にとっては鬼門であり、同時に休憩のための口実だった。

 やがて、クリスさんをリーダーにした『狩猟班』と、倭子さんをリーダーにした『給水採取班』に分かれて、森の探索に入っていく。

 俺と柑奈、一部の『インスピリッツ』のヒトたちはベースで待機だった。


「ありがとね」

「なんのことだ?」

「黙っておいてくれて」

「さあ、なんのことか、分かんないな」


 メイドはニヤリと笑い、それから独り言のようにつぶやいた。


「たぶん、あたしたちは、そこそこ当たりのリーダーを引いたと思ってる」

「上を望めばきりがないぞ」

「次に来たのがカス札だったら、目も当てられないじゃん」

「違いない」

「だから、もうちょっと、あたしたちを信頼して」


 まあ、そう見られるよな。オタオタし過ぎるのは、もう止めにしよう。


「あいつのスケブに、うっかり絵を描いちまった」

「……どんな?」


 遠くの森の中で、結構派手な音が響き、土煙が上がった。のどか、ってわけでもないけど、なんとも言えない妙な気持ちになる光景だ。

 森の縁では、文城としおりちゃんたちが、木々の間をうろつきつつ、採取している。


「あのでかい車の絵。子供のころ、SLを描いたみたいに」

「ヘタクソだってキレられた?」

「……じょうずだ、だってさ。で、ムカついて破り捨てようとして、止められた」


 長い溜息を吐いて、柑奈はぼやけた昼の空を見上げた。

 それから、目を背けたまま、俺の側に過去を置いてきた。


「あがいても、どうにもならないんだよね。なんであたしは、あのアイドルやあのvと違うのかって。事務所に入って、レッスン受けて、高いモデル造って、それでも足りない」

「好きだけじゃ、情熱だけじゃ、どうしようもないか、すげーわかるよ」

「それで、必死にコメ返しとか、ファンサとかして。よく思われたい、好かれたいって。そしたら、酷い目にあった」


 承認欲求と承認欲求の交通事故。

 ストーカーと化したファン程、たちの悪い者はない、柑奈はそう言って笑った。


「事務所の対応もいい加減でねー。結局、親にも頼んでなけなしのお金で、自前で裁判やって、接近禁止にした直後に、ざっくり」

「……どこもかしこも、安全確認怠るクズが責任者気取るよな。その事務所の社長、ぶん殴ってやりてえよ」

「こっちに来ることがあったら、蜂の巣にしてやるけどね」


 俺たちは、似たような過去を笑い合って、森の様子に目を移した。


「後悔の理由は、夢捨てた上クソ企業で爆死したこと? 友達を裏切ったこと?」

「もっとひどい。こんなザマになってもまだ、絵を忘れられなかったことだ」

「あたしと同じか。この『スキン』だってもっと別の、それこぞ模造人(モックレイス)にでもすれば、よかったんだよね」


 森の端が盛大に弾けて、巨大な毛むくじゃらの塊が逃げ出していく。その前を塞ぐように紡が着地し、獲物の動きを封じる。

 そして、鮮やかな弧を描いて飛翔したキツネの模造人が、手にしたハンマーを獲物の背中に、勢いよく叩きつけた。


「うっわ、いったそー」

「いや、確実に死んでるって、あれ。クリスさん、マジで強いな」

「食材求めて獄層攻略するヒトだよ? 戦闘系ギルドのスカウト蹴って、お店やるためだけに冒険してるんだもん」


 どうやら、あの獲物で狩りを終える気らしい。森に入っていった連中が、獲物の周囲に集まって、血抜きと解体作業に入るようだった。


「あたし、グロはパス。なんか雑用してくるね」

「俺も仕事貰ってくるか」


 去り際、俺は背中越しに伝えた。


「ありがとな、柑奈」

「なんのこと」

「色々話してくれてさ」


 ため息をつき、怒ったように柑奈が告げた。


「あたしは忘れた、あんたも忘れて」

「分かった。絶対忘れる」




 すべての仕事がひと段落して、昼飯になった。

 店長さんたちが陣頭指揮を執って、さっき獲ったばかりの獲物を、でかいグリルでバーベキューに加工していく。


「うわああ、マジでうまそー。これ、店では出さないの?」

「やりたいんだけど、そうなるとBBQ専門店を造りたくなっちゃうからねー」


 紡の質問に笑顔で答える店長さん。さすが料理好きが嵩じて、専用のギルド作っちゃうだけはあるな。

 特製のスパイスや調味液に漬け込んだ肉が、次々と焼き上がっていく。それ以外にも、見たことのない野菜や、ソフトボールぐらいある、こぶのようなものが、焼き網で焙られていた。


「そういや、文城たちの取ってたの、その丸いのだよな? 芋? 木の実?」

「木卵(きたまご)、って言うんだよ。この街で卵って言ったら、大抵これ」

「卵、これが?」


 などと言っている間に、調理班の一人がでかい包丁で筋目を入れて、軽く背の部分で叩く。殻が割れて、中から白身が現れた。


「マジかよ! 木から卵が取れるとか、さすが異世界!」

「それだけじゃないんだなー。お肉は畑から取れるし」


 そんな馬鹿な、と思っている俺の目の前で、店長さんが肉の塊を、サーロインの分厚い形に切り分けていく。

 この前店で、文城が食ってたやつだ。


「さっき、森で偶然『太歳』見つけちゃってー。天然の地物! 味わって食べてねー」

「え……えっと、なーんか嫌な単語を聞いた気がするんですが。しおりちゃん、もしかしてなにかご存じ?」

「もちろん。中国の伝承にある『地面から掘り出された肉のような物体』ですよね」

「ああん、やっぱりいいいいっ」


 でも、目の前にある肉は確かに、間違いなく牛肉にしか見えない。たしか、あっちの伝承の方は、粘菌の塊かなんかだとか聞いたんだけどなあ。


「この『太歳』って、埋まってる土に原因があるみたい。その場所に生き物の死骸を埋めとくと、こういうお肉に変わってるんだよねー」

「……更に、ショッキングな話になったんですが」

「でも、この世界で手に入るお肉だと、これが一番安全でおいしいんだよー」


 すみません、その安全基準、完全にぶっ壊れてませんか。いや、魔界とかいう非常識の世界で、地球上の基準なんて持ち込んでも無意味なんだけどさ。

 などと考えている間に、肉やら野菜やらがガンガン焼き上がって、テーブルに山盛りで並んでいく。


「今のが焼きあがったら、私もそっちにいくから、みんな食べちゃってー!」


 店長さんの言葉に挨拶し、それぞれが欲しい料理にかぶりつく。


「やっぱ、こういう、でかい塊食えるのが、狩りに出た時の楽しみだなぁ」


 言葉の区切りごとに、あばら肉リブに食いつく紡。

 顔立ちが狼のせいか、牙をむき出しにして骨まで噛み砕いていく姿が、結構怖い。


「森って、怖いとこって聞いたけど、みんなと一緒だと、そんなでもないね」


 文城は切り分けられた肉を、パンにたっぷりはさんで、もぐもぐしている。健康のためにも、もう少し野菜を食べさせなきゃダメだな。


「安全だろうが危険だろうが、あたしはノーセンキューだからね。あと、調理前の獲物の解体も見たくないし」


 柑奈は相変わらず果物とパンが中心。そういや、文城の弁当もシーフード系で、肉類は食べてなかった気がする。


「そういえば、依頼の品は調達できたんですか?」


 しおりちゃんは、何か黒い塊と、野菜のピクルスを口にしている。ちょっと考えて、あれが『ブラッドソーセージ』の一種だと気付いた。この前の死肉漁りの塩辛といい、癖のあるものが好きなのかも。 


「ああ。結構苦労したけどなー。鎧麟蟲とかいう奴のたかってた樹液と、変なグロ芋虫から生えた毛」

「バカイヌ。ヒトが優雅にランチしてる時に、ムシとかグロ生物の話なんてすんな」

「素材はもう一つあったろ? 死肉漁りの柔毛、とかってやつ」


 鈴来の筆に使われている素材は、主に三つ。

 黒套鱗木の樹液――粘度が高い接着剤で、鎧麟蟲の唾液に触れたものを使う。

 白芒虫の長毛――地中に身を隠すワームの一種で、背中に生えた毛。

 死肉漁りの柔毛――連中の棘は元々毛が硬質化したもので、若い個体から取れる。


「何匹かしばいたんだけど、この辺りのは成長した奴ばっかで、柔毛取れなかったよ」

「ここでダメとなると……ダンジョンの二階と三階かな?」

「ですね。あそこでなら見つかりやすいかと」

 

 やがて、食事が終わると、キャンプが解体され、それぞれが帰路について行く。

 倭子さんたちのタンクローリーを見送って、俺たちは店長さんたちのパーティと一緒に街へと帰ることにした。


「今回はありがとねー。人手があったおかげで、思う以上に収穫できたよー」

「こっちこそ、採取クエストは初めてだったんで、いい勉強になりました」

「柑奈ちゃんは難しいだろうけど、うちから定期的に、君たちに食材採取クエスト、発注してもいいかなー?」

「俺は構いませんけど、お前らはどうする?」


 大きくバッテンを作った柑奈以外は、それぞれ了承の返事を示した。

 森で採れる食材は『ムーラン』でも使えるし、次からは俺も、森の中での活動を覚えていきたいしな。


「あんまり高値はつけられないけど、ランチサービス無料とか、そういうおまけは付けるからねー」

「獄層狩猟の話とかも、聞かせてもらえます?」

「お、君たちも獄層行っちゃう? とはいえ、もうちょーっと、実力付けてからかなー」


 笑顔で言っていたが、目は笑っていない。歴戦の食材ハンターの意見だ、従っておくほうが身のためだろう。

 大通りで彼女たちとも別れ、俺は列の一番後ろを振り返った。

 相変わらずこっちと距離を取ったまま、警戒心全開のヤギの模造人(モックレイス)。


「分かった。もう何も言わない」

「…………」

「俺には無用のもんだし、お前の好きにしてくれ」


 警戒心が、鈍い怒りに変わっていく。鈴来はもどかしそうにしていたが、何も言わずにどこかに走り去っていってしまった。


「やっぱ、ちゃんと謝れよ孝人。お前が悪いんだろ?」

「そういう事じゃないの。あんたは少し黙ってなさい」

「だって、本人が悪いって言ってたじゃんか」

「うっさい戦闘バカ。お子様には分かんないことがあるのよ」


 ともあれ、明日は久しぶりのダンジョン攻略。面倒くさいおまけがいないのは、こっちとしても気が楽だ。


「今日は全員、ちゃんと寝とけよ。明日は十時に門前集合、寝坊すんな?」

「おーっす。おつかれー」

「それじゃ、あたしはしおりを送ってくね」

「お疲れ様でした。おやすみなさい」


 そして、二人きりになったところで、俺たちは歩き出す。


「お肉とか、卵とか、一杯貰えてよかったね」

「乙女さん喜ぶな。あと、店のまかないも、ちょっと良くなるだろうし」

「……そうだね」


 そのまま、文城は黙ったまま、こっちの顔を伺っていた。俺は特に何かを聞くわけでもなく、それでいて会話を拒絶する気もなく、店への道をたどった。


「お……怒って、る? 僕の事」

「鈴来のことでか?」

「……うん」

「怒るべきなのは、俺のプロ意識の低さだ。文城は自分の考えで、依頼受けたんだろ」


 文城は何も悪くない。それに俺自身も、怒るつもりはなかった。


「スケッチブックって、どこに売ってるのか知ってるか?」

「てなもんやさんか、ぱちもん通りの雑貨屋とかなら、あると思う」

「これが終わったらあいつに、一冊贈るよ。俺が、勝手なもの描いたおわびに」


 何かを聞かれる前に、俺は短く、事の顛末を聞かせた。


「……その絵、僕も、見ていい?」

「恥ずかしいから、見られたくないかな」

「そっか」


 それ以上、文城は何も言わなかった。

 

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