9、合縁奇縁に流されて

 明けて次の日。

 俺たちは塔の西側エリアに出向いていた。

 一応、ベッドタウンからも見えていたから、どういう外観なのかは分かっていたが、こうしてみるといよいよ、ポストアポカリプスの趣がある。

 大地に突き刺さった無数のビル群と、ぐしゃぐしゃになった戸建ての残骸。あるいは、見たこともない材質の構造物が、山になって積み重なっている。

 北の結晶が神秘に基づく渾沌なら、こっちのビル群は人間の営為の渾沌だった。


「じ、じゃあ、行ってくるね」


 片手に硬装竹こうそうちくの大楯を持って、文城が俺に頭を下げ、しおりちゃんと一緒に歩き出す。

 その先で紡と合流し、柑奈がビル群へと侵入していく姿を見送ると、俺は手近な石に腰を下ろした。


『悪いんだけど孝人、次の攻略は、俺たちだけで行かせてくれないか?』


 ここに来る前、俺は紡からそんな提案を受けていた。


『……俺のことを気にしてるなら、そりゃお門違いだぞ?』

『毎回、お前が指示できるってわけでもないだろ? 万が一ってことがある。比較的安全なところで、こういう経験積んどいたほうがいいって思ってさ』


 本当に、紡は戦闘に関しては正論しか言わないな。現代日本出身だったのが、疑わしくなってきたぞ。

 とはいえ、何の作戦もなく行かせるのは、こっちとしても不安だったから、それなりに相談した。

 前衛を紡、遊撃手と偵察に柑奈。その他の警戒をしおりちゃん、そして文城は、盾持ちとして安全を確保する。


『FPSのチーム戦みたいだけど、だいたいこんな感じで行ってみるわ』

『ゲーム脳もほどほどにしとけよ? 特に柑奈の索敵には絶対に従う事』

『分かってるって』


 正直、不安でしょうがないが、こういう時こそどんと構えないとな。それに、文城も結構やる気だったし、いい傾向だと思う。

 そんな俺の隣で、一緒についてきたおまけは、相変わらずだった。

 火が出るような描画速度と、回りなんて見えちゃいない集中力で、新しい作品を描き上げていく。

 

「あー、作者は思い出せないけど、なんかそういう廃墟描いた絵があったな」

「おにいさんでも、分からない絵とかぁ、あるんだぁ」

「画集まで買った有名画家ならともかく、展覧会とか特別展とかで見ただけのやつは、さすがにな」


 その時、軽い破裂音が立て続きに響き、すぐに収まる。おそらく、廃墟の中で小競り合いがあったんだろうが、ただ待つってのは、やっぱりキツイな。

 注意力を切らさないようにしながら、気晴らしに取り留めない話題を振る。


「それにしても、どんだけ参照元があるんだよ。ルネサンス期の壁画から、近現代の西欧絵画だけじゃなくて、浮世絵とかも行けるんだろ?」

「うち、昔から見た絵が描けるんですだよぉ。幼稚園のころから、ずーっと。じいちゃんがいっぱい、画集とか買ってくれたなぁ」

「幼稚園から!?」


 三つ子の魂百まで、なんて言葉があるけど、こいつは正真正銘、絵描きのバケモノってことか。


「ってことは、向こうにいる間はかなり有名だったんだろ? それだけ描ければ、自分の個展ぐらい開いて」

「ないよー。うち、こういう風にしか、描けないからぁ」


 そんなことを言いながら、今度は俺の似顔絵を描いている。白と黒の帽子をかぶった俺の似姿を。

 多分、デューラーかな。そういや俺の下宿にあった画集、もう捨てられたろうな。


「見た絵を、そのまま描けるだけー。こっちに来て、人間をこっちのヒトにしたりできるようになったけどぉ」

「もしかして、『写真記憶持ち』か?」

「よくわかんなーい。なんか、そんなこと、言われてたかもぉ」


 とんでもない能力が、てんこ盛りじゃないか。

 まさに、絵を描くために生まれたような――。


「いや……違う。もしかして、お前『自分の絵』が」

「うへへ。おにいさん、やっぱりすごいなー。うち、自分の絵とか、ないですだよ」


 へらへらと笑いながら、塔の絵を描き始める。

 その背景は、魔界の底ではあり得ない青空。だが、手前になっている街並みや塔は、夜の景色になっている。


「マグリット『光の帝国』か。でも、お前……嫌にならないか?」

「えー? なにがぁ?」

「描くもの描くもの、全部他人の絵になっちゃうんだぞ? そんなの」

「うち、もうひとり、尊敬してる絵描きが、いるんだぁ」


 先のちびた鉛筆を、鈴来はナイフで削り始める。俺も、別の一本を手に取って、一緒になって削っていく。


「なんか、ぜんぜん売れてなくて、最後には、自分の絵をしょって、みちばたで、死んじゃったんだってー。すごいよねぇ」

「そっちは名前、覚えてないのか」

「うん。その人の絵も、覚えらんなかったんだぁ。名前も、わかんなくて。日本のヒトだと思うけど」


 さすがにそれだけの特徴じゃ、特定はできない。そもそも自分の芸術に殉じて、路傍で死んだ人間なんて、珍しくもない。

 その後、そいつの絵を画商が掘りだして、感動的なエピソードと一緒に、商品として切り売りされるだけだ。


「うちの絵、贋作なんだって。完全に真似てるから、芸術家じゃない、贋作者だってぇ」

「お前……ずっと、そんなんだったのかよ」

「うへへ。だから、幼稚園の時から、ずっとですだよ。最初に描いたの、これだもん」


 油絵の具を飛び散らせながら、恐ろしく迷いのない速度で描かれていくもの。

 緑の水面に浮かぶ、青々と茂った葉と、ふっくらとした白い花弁の群れだ。


「モネの『睡蓮』……これを、幼稚園児が?」

「もうちょっと、雑だったかなぁ。でも、みんなびっくりしてた、気がするかもー」

「……『わたしは子どもらしい絵を描いたことがなかった』、か」


 俺の言葉に、相変わらず鈴来はへらへらと笑っている。

 さっきの言葉をインタビューで答えた画家は、晩年になってようやく『子供のように描けるようになった』と語ったそうだ。

 つまり、


「お前がそうやって描いてるの、掘り返すためか? 埋もれた『自分の絵』を」

「…………!」


 片時も休まなかった手が、止まった。そして、満開の花のように笑った。


「おにいさん、好きだ」

「え、ちょっと、なんだよ。いきなり」

「うちの気持ち、分かってくれたの、おにいさんだけ」


 さすがにそれは無い、と思いたいけど、どうだろうな。

 子供のころから、大人のように描ける鈴来を、みんながうらやみ、もっと才能を伸ばしてやろうと、世界中の名画を注ぎ込んだ。

 その結果、他人の画風でしか描けない、いびつな才能を創り上げてしまった。

 子供のように描くことを、奪われた天才。


「うち、おにいさんのこと、もっと描きたい」

「……筆を修復したら、これっきりだって言ったろ」

「やだ。もっと、おにいさん、描きたい」

「だったら、時間を無駄にすんなよ。今から描けばいいじゃないか」


 それっきり、会話は止まった。

 時々、鉛筆を削ったり、新しいのを出してやりながら、ひたすらに制作、いや『心のガラクタ』を掻き分ける作業に没頭する、鈴来を見つめた。

 あるかもわからない、自分だけの絵を探すための、旅を続ける姿を。


「あー、すみませーん! そこのヒト、ちょっといいですかー!」


 声に顔を上げると、こっちに近づいてくる影が見える。一番先頭を歩いてくるのは、たぶん俺とほとんど変わらない背丈のヒト。


「もしかしてー、誰か先に、廃ビルに入ってますー?」

「今、俺の仲間が! そっちもですか?」

「そうなんですか! 今そっちに行きますね!」


 小走りに駆け寄ってきたのは、丸っこい体つきをした、カピバラの模造人(モックレイス)だった。


「鈴来ちゃんじゃないですか! こんにちわ、スケッチ中ですか!」

「あー、ワコちゃんだぁ。うへへ、おにいさん描いてるですだよ」

「知り合いか?」


 作業服にオーバーオールを身に着け、腰にはごつい円筒形の銃っぽいもの。頭にはバンダナにゴーグル、メカニックっぽい雰囲気をしたヒトだ。


「『インスピリッツ』所属、和久井倭子わくいわこです。よろしくお願いします!」

「『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』、小倉孝人です。って、『インスピリッツ』って言えば、鈴来?」

「うん。うちの筆、造ってくれたヒトたちー。材料、手に入ったらぁ、修理もお願いするですだよぉ」


 名前だけはずっと聞いてたギルドだけど、その面子と会えたのは良かったな。こっちもそれなりに用事があったんだ。


「以前、そちらのギルドに、うちの柑奈が行ってると思うんですが」

「はい! 熱暴走の低減やパワーアップのためのアイデアを探しに! でも、今のところは、それよりも解決しないといけないお話が……」


 彼女はメモ帳を取り出し、書きつけてあったらしい、柑奈のボディに関するデータを参照していく。


「彼女のボディ、全体的に劣化してるんですよね。メンテナンスも、難しくなってまして……」

「え……!? いや、それ、初耳なんですけど」

「特に口止めされていなかったから、言っちゃいましたけど……それじゃ、ここだけの話ってことで!」


 ったく、柑奈の奴め。

 そういう体調問題は、自己判断しないでこっちに上げろっての。


「で、実際の所、どうなんすか?」

「戦闘行動さえとらなければ、基本的には大丈夫ですよ。でも、高熱や強い衝撃は体に悪いので、控えていただけるといいですね!」

「……あの作戦、封印してよかったなぁ。で、具体的に治す方法とかは?」

「機獄層で、同じ型式のボディがひと揃え手に入れば最高ですね。それが無理なら、機獄崩落の時に無事なパーツを回収するとか」


 そういや、柑奈が提出した『パワーアップパーツ』は、型式番号が並んでいて、こっちに読み取りにくくしてあったっけ。あの中に、修理用のパーツが混ざってるわけか。 


「あとは、応急処置的に冷却機能を搭載するとかですね。そういうシステムも依頼されているんで、そろそろ試作品ができる予定ですよ」

「そうですか。よろしくお願いします」

「そう言えば小倉さん、鉛筆どうもですっ!」


 ニコニコと笑いながら、俺の鉛筆を胸ポケットから取り出す。そう言えば、乙女さんの伝手で『インスピリッツ』にも卸してたっけ。


「製図とか計算で重宝してるんですよ! 木炭だと削るのも大変でしたから!」

「は、はい。今後もごひいきに」


 しっかし、えらい元気なヒトだな。俺と大して変わらない背丈だけど、がっちりした体つきで、声も大きいし。


「あれー!? そこにいるの、もしかしてワコちゃん!?」


 遠くから届く柑奈の声。

 こっちにやってくる四人の姿には、特におかしなところもなくてホッとする。


「こんにちは! 皆さんで廃ビル攻略でしたか!」

「そうだよー。ワコちゃーん、お疲れ様のハグおねがいー!」


 有無を言わせぬメイドのハグを、がっつりと受け止めるカピバラの模造人モックレイス。かわいい光景のはずなんだけど、妙に重厚感を感じるのは、気のせいだろうか。  

「なるほど! 今日は丹世たんぜさんの依頼を受けて来てたと!」

「あと、俺たちの戦闘訓練も兼ねて! ちなみに、今日はドローンが二体と、近距離型の戦闘ボットだけだったな!」

「その代わり、実入りもショボかったけどねー。ドローンの基盤引っぺがしたのと、使えそうなコードや配線の回収だけ」


 そんなことを話している柑奈に、おかしな動きは見られない。とはいえ、問題が発生してからじゃ遅すぎるからな。


「柑奈、倭子さんにお前のパワーアップの事、色々聞いといた」

「え……あっ、そう。もしかして、値切り交渉とかしてくれてた?」

「人様の技術を買い叩こうとすんなよ。お前がパワーアップしてくれるなら、俺らにもプラスだからな。必要なものは購入できるようにしようぜ」

「ありがとね、リーダー」


 こんなことなら、もっと鈴来から報酬取っとくんだったかな。

 いやいや、世間知らずの芸術家からかっぱぐとか、アコギな真似はしたくない。何事も地道かつ堅実にだ。


「ところでみなさん! この後のご予定は!」

「今日は『人参畑』に納品して、明日は南の森に入ろうかと」

「でしたら、うちの工房に来ませんか? わたしたちも南に用があるのでご一緒に! うちのスタッフが、丹世さんの所に顔を出すんで、こっちで納品もやっちゃいますよ?」

「いいんですか?」


 笑いっぱなしのカピバラは、屈託ない様子で頷いた。


「ダンジョンの爆破解体攻略、興味あったんです! うちの本部で詳しいお話、聞かせてください!」

「そういうことですか……話せる範囲で良ければ」

「やったー! 今からワクワクしてきました! それじゃ、ムーランの乙女さんにはこちらから連絡しときますから、今晩はうちのギルドで一泊して――」


 いつの間にか俺は、がっちり倭子さんの手にホールドされて、先を急がされている。

 ……あれぇ、なんかこの流れ、既視感があるぞぉ。

 礼儀正しさと、人当たりの良さでごまかされかけたけど、このヒトって。


「あの作戦立てたのリーダーでしょ。詳しい説明お願いね?」

「オレもむずかしー話むりだし。ワコちゃんの相手、よろしくな」


 ちょっと待て、てめえら。その話ぶり、まさか。


「ワコちゃんのお話、ちゃんと分かるの、孝人だけだと思うから……ごめんね」

「すみません。オカルティズムならお付き合いできるんですが、テクノロジー系は専門外でして……」


 あっ、文城の薄情者! そもそもあの作戦の一翼を担ったの、しおりちゃんじゃん! 


「まずは、紡さんの超高熱火炎に耐えうる、硬装竹こうそうちくの材料特性に関してお伺いしたいんですが!」


 歩きながら器用に描き続ける鈴来は、俺と倭子さんの構図を使って『アダムの創造』を描いている。

 そして、へらへら笑って、こう評した。


「おにいさん、人気者ぉ」


 ギリギリと歯ぎしりして、俺は、己の不幸をうめくしかなかった。


「アーティストなんて、大嫌いだっ!」

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