8、彩り
ムーラン・ド・ラ・ギャレットは、ちょうど昼の
文城の連れて来る客の正体を、俺はどこかで予想していた。
まるで、酷い点数だったテストを、親に見せなくてはならなくなった子供みたいに、なけなしの勇気を振り絞って、戸口に立つネコ。
その後ろで、あまり緊張感なく立つ、ヤギの
「入れよ、話だけは聞いてやる」
途端に雰囲気を緩ませて、こっちに駆け寄ろうとする鈴来を、俺は片手で制した。
「依頼内容、料金、そして個人的感情込みで、受けるかどうか決める。それでもいいな」
文城を含めて、全員の視線が険しくなる。
それでも、俺は自分を曲げる気もなかった。
「俺は、聖人でも超人でもない。いけ好かないカルトのトップには媚びへつらえても、過去のトラウマを弄られながら、仕事をするのは、無理だ」
「おにいさん、そんなに、絵、嫌い、ですか」
「俺は、俺が嫌いだ。自分のバカさ加減が、嫌いだ」
嫌悪感と一緒に、俺は『後悔』を吐き出した。
手の中から、ざらざらと零れ落ちていく、色鉛筆。
「未練たっぷりにこんなものを抱えて、心配してくれた友達に唾を吐いて。あげく、自由に絵を楽しんでるお前を羨んで。そんな全部が、心底、大嫌いだ」
鈴来はこちらに近づき、落ちた鉛筆を拾い上げていく。
その肩に手を掛けて、動きを封じた。
「今更、終わったものに、何の意味があるんだ」
「……知らない、ですだよ。うち、なんにもわかんない」
俺を押しのけるようにして、ヤギは丁寧に、鉛筆を拾い上げていく。
やめてくれ。
「俺は、俺はそうできなかったんだよ。そんな風にできなかった。それができなかったから……俺は、芸術家になれなかったのに!」
「知らない、知らない、知らない」
ふざけんな、なんだその恰好は。
刈り取りの終わった畑の中、おこぼれを拾う農家のおかみさんのような。
まるで、ミレーの『落穂拾い』だ。
その上、他のみんなも拾い上げていく。
「やめて、やめてくれ! これ以上、俺に、どうしろって言うんだ!」
「僕は、孝人が好き、だよ」
集めた色鉛筆を抱えて、文城は俺を見つめていた。
「助けてくれて、朝起してくれて、一緒にいてくれて、一緒にご飯食べて、楽しいんだ」
「そんなのは、俺がしたくてやっただけで、あたりまえのことで」
「芸術も、アイドル活動もさ、みんながみんな、トップに立てるわけじゃ、ないよね」
悲しげに笑いながら、柑奈は赤い筆先で、虚空にハートマークを描いた。
「チャンネル登録者は三桁が限界、ショボいライブハウスはいつもガラガラ。挙句、勘違いした自称ファンに付きまとわれるわで、散々だったなー」
「や、やめろ! そんなこと、言わなくていいんだ!」
「なんかさー、あんま無理すんなよ」
紡は頭をかきながら、呆れたようにため息をついた。
「お前が頼りになるのは、もう知ってんだ。それを『俺がしっかりしなきゃ』とか『リーダーは弱音なんてはけない』とか、そこまでしょい込む必要ないって」
「……そんなこと、言ったか?」
「お酒は楽しく適量を、でしたよね」
みんなが集めた色鉛筆をまとめて、花束のようにしおりちゃんが抱える。
「苦しみも、愚痴も、酔わなければ吐き出せないというのも、知っています。でも、みなさんで楽しめる方が、私は嬉しいです」
ああ、あの時か。
文城に背負われて帰った時、うっかり口から漏れ出してたのか。
そして、足元に転がった一本を、拾い上げる。
黒の色鉛筆。
「
それは、俺の人生に掛けられた呪いだ。
見たくない後悔を、過去を、必要と成功だけで、ひたすら塗りつぶしてきた。
その果てに、自分の命さえ黒く塗りつぶした。
「これは、預かっておくわね」
それまで、ずっと背景に徹していた乙女さんが、俺の手から黒を取り上げる。
「水墨画のモノトーンも好きだけど、まずは人生に彩りあってこそじゃない、なんてね」
「おにいさん。うちには、絵しかない」
そして、みんなが集め終わった色彩を抱えて、鈴来は俺と向き合った。
「絵描きの名前も、描いた絵の名前も、なにしたヒトか、どこのヒトか、いつのヒトか、全然覚えられないですだよ」
「俺の、友達、だった、あいつも、似たようなもんだったな」
「でも、おにいさん、嬉しそうだったから」
抱えきれないほどのそれを、俺に押し付けてくる。乱れた前髪の隙間から、見つめてくるのは、情熱に浮かされた芸術家の目だった。
「絵が、好きだって。大好きだって、そういう風に、うちには、見えたから」
「……俺は、アーティストが、嫌いだ」
「なら、うちは、おにいさんが好き」
ホントに、どうして俺は、こういうのに好かれるんだろうなあ。
こういう時は前世の行いが、なんて言うんだけど、どう考えても前世も似たようなもんだったから、魂にこびりついてんのかもしれない。
妙な奴を惹きつける、フェロモン的なアレが漏れてんのかも。
「分かったよ。分かった。でも、これっきりだからな。次は無い、この一回きり、以後は全部、断るから」
「うん! それじゃ、今回でいっぱい、お願いするですだよ!」
なんでそうなるの。いっぱいって、どのくらい?
こっちの困惑をよそに、鈴来はずっと背中に掛けっぱなしだった、長い袋包みを取り出して、封を解いた。
現れたのは、彼女の身長と同じぐらいの、巨大な筆。
ただし筆先はボロボロになって、ほとんどの毛が抜けてしまっていた。
「これ! うちの相棒、でっかいのを描く時、一杯がんばったんですだよ! でも、とうとう壊れて、直すのに素材がいるから」
「……そういうことか。まあ、その位なら」
「あと、おにいさん! 描きたい!」
「え゛?」
俺は精一杯、嫌そうな顔で目の前のお気楽なヤギを睨みつけた。
「ここまでの話の流れ、全部聞いてなかったな!? 俺は」
「おにいさん、嫌いなのは自分! つまりぃ、それ以外全部好きですだよ!」
「なんでそうなる! だいたい、俺の事なんて描いても」
「もう、一杯描いた! でも、もっと描きたい! おにいさんといる、みんなも一緒!」
突きつけられるスケッチブック。ご丁寧に、俺がこの前出した色鉛筆までに使って、様々なタッチや画風の、俺の自画像や、他のみんなといる様子が描かれていた。
「モディリアーニにベラスケス、ルーベンスに北斎!? こっちは、たぶんキリコか……いやいや、俺をモチーフにして、ミュシャやローランサンは無茶だろ」
「はぁ……やっぱり、おにいさん、すごい。うちの描いたの、全部、分かってくれる」
俺は再び、失言を悟った。
絵描きなんて、みんな自己顕示欲の塊で、自分の作品を分かる奴に飢えている。
あいつと友達になったときも、こんな感じでグイグイ来られたっけ。
「依頼、うちの筆を直して。それと、おにいさんたちの絵、描かしてほしいですだよ!」
「……筆は、何とかしてやる。でも絵の方は……嫌だ」
「分かったですだよ。文城、あれ、出して」
なんでそこで文城。
そう思う間もなく、ネコは手近なテーブルの上に置いた包みを抱えて持ってくる。
そして、俺は絶句した。
「な゛!?」
プラチナチケット、それも一枚や二枚じゃない。
多分、百枚近い金属板の輝きが、ぎっしりと詰まっている。その重みによって、中身が飛び出して。
ざらり、という禍々しささえ感じる音が、俺の耳をやすった。
「筆直すのと、お兄さんたちを描くの、これの全部で依頼――」
「まっ、まぁってぇー! 相場ってもんを考えてぇ! こんなのプラチケ市場壊れちゃうからぁ!」
その場にいる、鈴来を除く誰も、目が笑っていなかった。あれほど苦労した、富と安全の象徴が、こんなにあっさりと手に入ることに。
「リ、リーダー……っ、これはアレよ! 一人はみんなの犠牲にってヤツ!」
「名言を嫌な感じに歪めてんなよ! ちゃんと
「二十一階に超カッコいい砦を造ってもらって……いや、まずは結晶武器二刀流か」
「とらたぬぅーっ! 悪銭身に付かずって言葉もあるんだぞ騎士団長ー!」
「チケット一枚、三か月……十枚づつで、みんなといっぱい、お休みしてられるかなぁ」
「文城だめぇ! せっかくおんもに出たんだからぁ! 気持ちは分かるけどぉ!」
「孝人さんの心中を鑑みれば、おことわりもやむなしの案件です。しかし、正当な報酬としては、相当に破格な申し出ですし、それでも相場とか、鈴来さんの金銭感覚が」
「しーおーりーちゃーん! そこ悩まなくていいから! まずはいったん落ち着いて!」
そして全員の頭蓋を等しく、ギルドマスターのチョップが、素早く打ち据えた。
「はい、そこまで! そのぐらいのはした金で、オタオタしないっ」
『ご……ごめんなさい……』
「お……おお、さすが乙女さん……」
「そのチケットは、お母さんが責任をもって、銀行に入れてきます」
「やめてぇ! 収取付けるなら、最後まで責任もってぇ!」
「冗談よ」
その割には、微妙に声が笑ってなかった気もするが、一切無視しよう。うん。
「ごめんねぇ。うち、あんまりチケットとか、よくわかってないからぁ」
「ったく……油断も隙もねえ。危うくパーティ崩壊の危機だぞ。それにしても、どうやってこんなに稼いだんだ?」
「その子が出せるインクとか顔料が、この街のインフラに欠かせないからよ」
乙女さんは罪の塊を丁寧に封印し、みんなの正気を守った。同時に、あまりにもご無体な事実を、ペンキのようにぶちまけた。
「鈴来ちゃんのギフテッドは、絵を描くのに使う顔料なら何でも出てくるの。『てなもんや』の印刷物や『甲山組』で敷設してる街の道路標識も、彼女の能力に依存している。いくつものギルドのインテリアとして、絵画も描いているわ」
「マテリアルを生み出すだけじゃなく、一流画家のタッチを完全に真似て、絵画を出力できる腕前とか……金のなる木そのものじゃねーか!」
「うへへ、うち、『ダリ』みたいっしょ」
意外な名前が転がり出て、俺はヤギを凝視した。
「お前……画家の名前とかは、覚えられないって」
「ダリ、ダリ、ダリ。サルバドール・ダリ。うちが一番好きな画家。名前覚えられた、たった一人の絵描き」
なんて奴だ、こいつは。
サルバドール・ダリ。シュルレアリズムの大家にして、資本主義にすり寄ったものとして、芸術家たちから忌み嫌われた、不世出のアーティスト。
その軌跡をなぞるように、こんな世界の底の底で、クソッタレの超越者に愛されて、いびつな芸術の花を咲かせたこいつは、確かにダリの名を語るにふさわしい。
「もしかして、『人参畑』のビンのロゴ、あれもお前か?」
「えー、おにいさん、大好きー。ダリもやってたでしょー。だから、うちもやったー」
うん、なんか、そうだと思ったよ、クソが。ダリもやってたからね、キャンディーの包み紙のロゴとかさぁ!
「念のために聞いとくが、まさか『グノーシス』の聖堂にまで手、出してねえだろうな」
「あれぇ? おにいさん、あれも見たのぉ? 天井の」
「いやーっ! もう聞きたくないっ! 知りたくないっ!」
「えっと……せっかくなので、孝人君にもう一つお知らせ」
苦笑しつつ、乙女さんは店の外の壁を示した。
「うちのギルドの看板も」
「いやああああああああああああああっ!」
ビッグアーティスト・ウォッチング・ユー。
この街のどこに行っても、鈴来の筆が触れていないところが無い。このご無体で、大金持ちな芸術家からは、逃れられない。
これ以上、こいつの狂気に晒されないためにも、適当に依頼をこなすに限る。
「……筆の材料費に三枚と、全員にチケット二枚づつ。あと、乙女さんに二枚。それで手打ちだ」
「おにいさんの絵は」
「好きに描け。仕事の邪魔はすんな」
「わぁ、おにいさん、感謝感謝ぁ! よろしくですだよぉ!」
ぎゅっと抱きすくめられ、力無く、俺は色鉛筆を取りこぼす。
そのまま天上を仰いで、うめいた。
「これだから、アーティストは、大嫌いなんだ」
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