7、サルとタイプライター
納得がいかない、というのが、正直なところだった。
目の前には、俺の背丈の五倍以上はある、背の高い本棚がずらっと奥まで続いている。
片手にしたのは何かの羽毛でできた『はたき』。
もう一方には、連中から貸し与えられた『結晶杖』。
「で、どうするの、リーダー」
同じような格好をした柑奈は、めちゃくちゃはまっていた。そりゃそうだ、メイドってのは本来下働き、屋敷のお掃除や雑用が仕事だからな。
「やるしかないだろ。俺たちなんて、連中からすれば物質界の
同じような装備を身に着けた紡と文城が、しょっぱい顔で頷く。
「似た者同士、仲良くやるとしようぜ」
依頼者は、モック・ニュータウン北の支配者、ギルド『グノーシス魔界派』。
実行する任務。教会内施設、大図書館のお掃除。
「たまりにたまった現世のほこりを、きれいにしてやれ!」
気のない返事を聞き流しつつ、俺は目の前の仕事にとりかかる。
同時に、さっきまでのやりとりを、頭の中で整理することにした。
『お待ちください。彼らは貢納者にして献身者です』
しおりちゃんのとりなしも、尊大な導師様はどうでもよさそうな顔で片手を振った。
『無用。これ以上、灰をくべたところで、香炉の底をうずめる程度の意味しか持たぬ』
『自ら火に飛び込む不死の鳥は、灰に浴して蘇る。
『否。灰とは脱ぎ捨て、払うべき塵。輪廻ではなく到達。昇華こそ我らが悲願。己の内に光の種を見出さぬ者の灰など、田畑を耕す肥となることも叶わぬと知れ』
いきなりものすごい宗教談義に、俺たちは眉間にしわを寄せた。
そんな俺たちなど無視して、男はさらに不満を吐いていた。
『その灰どもを招いたのは、
『導師。私を含め、この聖堂に集まる信徒は、貴方ほど完全には近づけていません。それが塵、あるいは灰の仮初であっても、今日を生きなければ、明日の発芽も望めません』
『逆だ。塵をたらふく喰らい、芥を浴びように飲む。その挙句、身も心も無様に肥え太って、身動きが取れなくなる』
それはあからさまに、文城に向けた嫌味だった。だが、こっちの叛意を察したのか、インプの顔が悪辣な笑みに歪んだ。
『その癖、自らの非力非才に嘆き、現世の不条理にのたうち回る。そういう無駄なあがきを払うため、我らは節制し、祈り、欠乏の苦しみに耐え、自らを磨き上げるのだ。塵芥の世、そこに関わる、あらゆるものが不要』
『苦行のために苦行をしてはならない。苦しむ己を誇示する傲慢こそ、我々が避けるべきデミウルゴスの誘惑では?』
『異教の教えを持ち込むな。現世をいかに生きるかなどに腐心した者を、覚者よ、世尊よなど崇める教えなど、片腹痛い』
さすがに、めんどくさくなってきた。
ついでに言えば、俺はこの男が絶対に好きになれない。
こういう理想主義に凝り固まって、何に生かされてるのかを無視する、バカのえせインテリは、大嫌いだ。
『失礼ながら、灰の奏上をお許しくださいますか、猊下(げいか)』
『……なにか』
『あなた方の聖なる庭を穢す無礼を、お目こぼしいただけないでしょうか。そうすれば、猊下の目にも止まらないまま、現世の塵を片付けて御覧に入れます』
この手の吹き上がったインテリは、究極の
自分の気に入らないものなら何でも否定するし、必要と思えば掌を、電動ドリルみたいに高速回転してくる。
『此度は特に差し許す。せいぜい励め、塵芥』
それが、最高にムカつく、契約関係の締結だった。
「おい、孝人! こっちに出たぞ!」
物思いから覚めると、俺は大急ぎで紡の所へ走る。図書の列をいくつか通り過ぎ、白い狼の背中が見えた。
それが向き合っているのは、白い
「本には傷つけんなよ! やったら連中に、何されるか分からないからな!」
「めんどくせえなあっ!」
紡は杖を振り上げ、目の前の靄に叩きつける。煮えた油が蒸発するような音を立て、空間の異常が消えて行った。
「で、次はどうすんだっけ?」
「その辺りを漁って、さっきの靄が出てる本を見つけるんだ」
「……って、これか? うぇ、なんだこれ!?」
白い狼が摘まみ上げた本は、煙のようなものに包まれ、きしるような悲鳴を上げる。
どうにかすると、口のような亀裂や目のような裂け目が、無数に生まれていた。
「それはこっちで回収する。別の棚の掃除に移ってくれ」
「本が襲ってくる、ってのはゲームでも時々あったけど、マジでぶち当たると、結構心臓に悪いな」
不快な声を上げ続ける本を受け取り、そのまま部屋の隅に置かれた鉄製の箱に近づき、本を中に放り捨てる。
それ以前に回収した異常な本が底の方に溜まって、悲鳴と鳴き声が一層強くなった。
「
そのままふたを閉め、俺も図書館の掃除に戻る。
棚から埃を払い、床をきれいにして、書棚の中に発生する『異常な本の活性』を、与えられた結晶武器で退治、その後廃棄ボックスにぶち込む。
この一連の作業が『大図書館』における『掃除』だった。
「リーダー、一匹逃げた! 手貸して!」
「こ、孝人! こ、こっち、なんか数が多いよ!?」
「え、こいつら合体とかすんの!? 勘弁してくれ!」
ああ、ほんとめんどくさい!
出てくる『本の魔物』は強くないのが幸いだが、それぞれに性質が違ったり、意外な行動をとる奴とかが出て、対応を変えないといけない。
信者の皆さんが、この仕事を嫌がるわけが分かったよ。
「ち、ちくしょう、ダンジョンくらいきつくないか、これ」
「こんなに苦労して、ここに来て本が読めるだけとか、報酬釣り合ってないでしょ!」
「そ、そういえば、本を捨てる箱、ぎゅうぎゅうになってたけど……」
「お疲れ様です、皆様」
疲れ切った俺たちの側に、進み出るローブ姿。
黒に染められた衣装に身を包んだのは、人間の女性に似た顔を持つ、有翼の魔物だ。
ハーピー、あるいはハルピュイアとも呼ばれる種族の彼女は、片手に持ったワンドを振りかざして、鉄の箱を軽く叩いた。
ぼぶんっ。
青白い炎が隙間から漏れて、中身の本がか細い悲鳴を上げる。呆然としている俺たちの前に、今度は笑顔のしおりちゃんが姿を見せた。
「おかえり、しおりちゃん」
「はい。皆さん、お仕事は大丈夫でしたか?」
「大丈夫じゃないってば。カビくさ、ほこりくさ、めんどくさ。トリプルくさくさパラダイスだよー」
柑奈のまとめに頷くと、彼女は箱の始末をし終えたハーピーを指し示した。
「こちらは
「図書館の中の悪因が、綺麗に拭われています。しおりさん、貴方の星はとても良い巡りを得たようですね」
「ありがとうございます」
尊大な教主様と違って、こっちは人当たりの良さそうなヒトだった。
それにしても、さっきの炎は妙だったな。
「あの」
「申し訳ございません。今は星の巡りがよろしくありません。今回はこちらをお持ち帰りいただき、またの出会いにご期待ください」
俺の疑問を封じるように、彼女は言葉をかぶせてきた。
彼女は厚めの本と、金属でできた教団のシンボルらしいものを手渡してくる。
「それでは
「ありがとう、しおりさん。貴方の旅に、常に北辰の輝きがあることを祈っています」
それきり、彼女は振り返りもせずに部屋を出て行った。
「わたしたちも行きましょう。詳しい話は、外で」
しおりちゃんと彼女の態度に、俺は状況を察した。
要するに『見られているし聞かれている』ということだ。
「よし! 仕事も終わったし、こんな辛気臭い所、さっさとおさらばしようか」
「さんせーい。やっぱ、しゅーきょーはあたしには合わないわ」
「……あんまりそういうこと言うなよ。バチとか当たったら嫌だぞ、オレ」
文城は何も言わず、神妙な顔で先に立って歩きだす。
やがて儀式の続く大聖堂を抜けて、門番を通り過ぎ、塔の近くまで来たところで、全員がどっと息を吐いた。
「もう大丈夫だよね? しおりちゃん」
「はい。さすがに木島導師も、ここまで意識を飛ばしていることもないでしょう」
「やっぱりねー。なんかそんな気がしてた」
「へ? なんのことだ?」
状況を理解していなかった紡と文城に笑うと、俺たちは一路『ムーラン』を目指しながら情報交換を開始した。
「
「そんなすごいヒトだったのか!? じゃあ、さっきの炎って」
「彼女の『魔法』です」
事実の開示に、真っ先に反応したのは紡だった。
「そ、それじゃ、オレの超紅蓮爆裂波も、あの人に教われば!」
「申し訳ありません。おそらく無理です」
「え……ええ~?」
「彼女の魔法の源である『聲』は、紡さんでは習得できないからです」
「魔法と、その『聲』とかって、なんなの?」
柑奈のもっともな質問に、しおりちゃんは地面に図を書きながら説明してくれる。
「簡単に言えば、『聲』とは世界そのもの。言葉でもなく、叫びでもなく、
「……ごめん、その、なんて?」
「えっと、しおり。簡単って意味を、辞書で引きなおして?」
俺はどっと息を吐きだし、言葉を何度も反芻しながら尋ねた。
「それって、いわゆる『
「……それだと、シニフィアンとシニフィエが乖離してしまうので、適切ではないんですが。そのぐらいのイメージでいてください」
くっそ、しおりちゃんの顔が、出来の悪い生徒を相手するみたいな、難しい顔に近づいてるぞ。しかも、俺以外の連中は、理解しようとする意思を放棄してるしぃ。
「まず、世界は『聲』で出来ています。私の存在も、みなさんもそうです」
「……それってもしかして、光を『粒子にして波』って定義してるのと似てる?」
「そうですね。世界の最初を光で認識する宗教が多いのも、聲の本質が、光の量子的なふるまいに近しいからかと」
世界を構築する素材にして現象。それが聲、というわけか。
ってことはだ。
「『聲』が使えれば、この世界のあらゆるものを、自由にできるってこと?」
「はい、その通りです」
「え、いきなりスケールでかくね!? それってマジで魔法じゃん!」
「じゃあ、さっきの何とかって教団のヒトも、そうなわけ?」
しおりちゃんは笑って首を振り、世界そのものを示す円の中心に『聲』と書き、その周囲にさまざまな動物や人間の姿を描いていく。
「『聲』とは本質の力です。純粋さを極めるほど、世界そのものに干渉できます。それでも、様々な限界が存在しますが」
「えっと、MP不足とか、そういやつか?」
「例えば紡さんが、水が飲みたいと思って、水という『聲』を発するとします。そうなると世界中のあらゆる水が、貴方に従うんです」
俺たちはちょっと考え、それからあんぐりと口を開けた。
「なにその融通の利かない力!? バカイヌの超魔法と同じじゃん!」
「えー、つまり、オレの魔法も、その『聲』ってこと?」
「……私は、そう予想しています。紡さんの願いに従って、炎の『聲』が、魂に焼き付けられた状態なのではないかと」
ここに来てから驚きっぱなしだが、まさか『この世界』に関する理解と謎が、ここまで深まるとは思わなかった。
「でも、それじゃ、何をするでも不便でしょ?」
「もちろん、範囲を絞ったり、特定の状況にのみ、発動するようにはできるそうです。ただ……聲には別の制約もあります」
「正確な『発音』だね?」
俺の指摘に、しおりちゃんは笑顔で頷いた。
まあ、ここまでヒントを出されれば、分からないわけがない。
聲は『表象』と『意味』が一体化したものだという。そして、『言葉』として表現されることはないとも言っていた。
「本来の『聲』に近い『音』を出さなければならない。そのための発声器官や、発声法が存在していると」
「はい。そして、私たち
「それじゃ、ほんとの、完全な聲を、操れる生き物もいる、ってこと?」
文城の素朴な問いかけに、しおりちゃんは黙って、円の中心に何かを描き始めた。
それはある意味、期待通りの姿をした存在だった。
「竜種、つまりドラゴンこそ、まことの『聲』を操れる種族。世界を変え得る力に害されることなく、世界そのものを変えながら『対話』する者です」
「えええええ、滅茶苦茶カッコいいじゃんか! やっぱドラゴン最強かよ!」
「とはいえ、竜種自体も、完全無欠ではないそうですけどね」
今度は下の図に新しい縁が書き添えられる。そこには『種族特性の壁』と注釈がつけられていた。
「私たちの集音器官、発声器官は、竜種のそれより不完全で、『聲』を正確に聞き取り、発声することができません」
「そのせいで、完全に発動しないか、不完全にしか機能しないってことだね」
「はい。その不完全な力を『魔法』あるいは『魔術』と呼称するんです」
なるほど。これが魔法と呼ばれる力の概要ってわけか。
「ってことは、魔法を使うためには世界の『聲』を聞くか、それを誰かに教えてもらうしかない?」
「そうですね。現状、そのどちらもできませんが」
「それって変じゃね? だって、グノーシスの連中って『修行すれば魔法が使える』って言ってんじゃん」
しおりちゃんは図の下にもう一つ線を引いて『ローカライズの壁』と書き添えた。
「『聲』は、その種族ごとに聞こえ方が違い、発声法によって発音や音節の組み方が変わります。魔法とは『聲』をローカライズ――その種族の特性に合わせたものなんです」
「……あ!」
俺は、大変悲惨なことに気づいた。さっき会ったナンバー2のヒトも、木島も。
どちらもモックレイスじゃない。
「……しおりちゃんが、教団と袂を分かった理由って、そういうことか」
「つまりアイツら、あたしたちに使えない力を見せつけて、詐欺行為してるってことじゃん……!」
「誤解しないでほしいのは、一宮さんも、木島さんも、だまそうと思ってそうしているわけじゃないことです」
小さな鳥の少女は、苦悩と怒りのないまぜの顔で、うつむいていた。
「木島さんは、ご自身の扱う『聲』に限りなく近い『くーかるのみことば』を編み出し、一宮さんは、聲を聞きやすくするための行法を広めました。でも」
「模造人(モックレイス)はインプじゃないから、正確な聲から遠ざかり、瞑想や修行で聲を聞き取れたとしても、別の種族では
「お二方がその事実に気づいた時には、教団を軟着陸する方法は、見出せなくなっていたそうです」
しおりちゃんぐらい頭のいい子ならまだしも、大抵の信者は『自分にも魔法が使えるようになる』っていう、安易な考えで入団したんだろうしな。
事実を知らせたところで、末路は教祖の集団リンチがいいところだ。
それに、団体を解体したところで、その旨味を知ってる奴によって、劣化コピーが再生産されるだけだろう。
「木島さんは『ジョウ・ジョスと語らった者』を中心に、優性思想に基づいた人員整理と規模の縮小を。一宮さんは修行法の改良を続け、
「木島はともかく、一宮さんの方法は、うまく行きそうなのかい?」
「『モンキー・タイプライター』、だそうです」
俺は顔を覆って、呻くしかなかった。
サルにタイプライターを叩かせ、十分な時間が与えられれば、いつかシェイクスピアの戯曲が書きあがるという『無限の猿定理』。
それと同じように、聞き取った『聲らしきもの』を、それが正確な発音かも分からないまま、何か現象が起こるまで、ひたすら検証し続ける。
それは徒労を超えた、地獄の責め苦だ。
「私は、
「だから、頂上なのか」
「可能性は分からないですけど、少なくとも、ここにいるよりは」
どれほど誠実から発した行為でも、木島も一宮さんも信者をだましつつ、自分のやり方に固執し続けているだけ。
しおりちゃんは、どちらの指導者も認めながら、その不実を憤ってるんだ。
この子も『集団から外れてしまったヒト』なんだな。
「それなら、もうあそこに行く必要もないんじゃね?」
「あの図書館には、獄層のモンスターや、天然の罠に関する情報が集積されています。いずれ私たちが、上を目指すために必要です」
「しおりって大人だね。そこまで先先のこととか考えてんだもん」
柑奈は呆れるが、俺にとってはこの上ないブレインだ。これはいよいよ、彼女の存在が重要になってくるな。
「帰りましょう。みなさん、明日は――」
「ま、待って!」
それまで黙っていた文城が、俺たちの前に立ちふさがる。
「ぼ、僕の、受けてきたクエストの、依頼人さんに、会って欲しいんだ」
「……そういえば、こっちの仕事を優先していいって言ってたから、あえて聞かなかったけど。あとは紡の素材集めだけだしな」
「今から、呼んでくるから、お店で待っててね」
こっちが頷くと、ネコの大きな体が、のそのそのとした動きで走っていく。
店へと歩いていくみんなの後について行きながら、俺は聖堂を振り返る。
大きく、壮麗で、虚しい威容を。
「孝人! 何かあったのか!?」
「なんでもない!」
そして、二度と振り返ることはなかった。
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