6、勘違いの大伽藍洞

 モック・ニュータウンの北側は、それぞれの方位の中でも、際立った異質さがあった。

 南側からは塔や街並みで遮られているが、一度その領域に踏み込めば、自分の中にある現実感を、喪失しかねない空間が広がっていた。


「あれが、この街最大の『廃棄物』の山です」


 心もち、説明してくれるしおりちゃんの顔も緊張している。

 それはそうだろう。何しろ、異様な光沢の結晶の山が、うずたかく積み上がっている光景なんて、普通お目に掛かれるもんじゃない。


「相変わらず、気持ち悪いなぁ。何色って言いたいのに、言葉が出てこねえ」

「ゴメン、あれ見てると、すごいバグが出る。ちょっとフィルタリングするね」


 紡さえ嫌悪感を前面に押し出し、柑奈はサングラスのようなシェードをカメラアイに掛けてしまう。

 積み上がった結晶の山のふもとに、石壁に囲われた建物がある。

 雑居ビルや、一般的な家屋ではない。

 聖堂、そう表現するしかない代物だった。


「ねえ、ホントに、グノーシスの人の所行っても、大丈夫? 教会に近づくと、ぶたれたり、呪われたりするって……」


 文城の方は、もっと現実的な問題について顔をしかめていた。実際、そういう噂は俺も耳にしていたから、連中に対してあまり、いいイメージが無い。


「確かに、『グノーシス魔界派』は、物質界アッシャーに囚われた人々を『灰』と呼んで忌み嫌っています。でも、『献身』をする人たちは別です」


 正直、宗教関係はさっぱりだ。

 海外の絵を見る時に、そういう知識が必要なのは知ってたから、表向きの教理については多少理解しているつもりだった。

 だが、目の前にそびえる建物の主は、そういう『穏当』なのとは違う。

 祈りの言葉を魔法の呪文として扱い、神と呼ばれる超越者や、悪魔と呼ばれる常識の破壊者を、意のままに操りたいと考えている『狂人』だ。


「教会は定期的に『献身者』や『貢納』を募って、それを収める者に加護を与えます。そして、いずれは自身のうちに眠る『アイオーン』に気づくことを願っているんです」

「よくあるカルトの手口だ。自分たちの宗教に従えば、神様の覚えもめでたく、死後は安らかに暮らせる。そのために奴隷になれ、金をよこせってな」


 珍しく、しおりちゃんは俺の言葉に、怒りに近い顔をした。

 いや、俺に対してじゃない、もっと別の誰かにだ。


「思うところがあるのは分かりますが、今は胸の内に収めてください。この街で、塔とその上層の秘密を知るためには、彼らの協力、あるいは知識が必要です」


 確かに、俺は自分の目標に『塔の意味』や『例の超越者』について知りたいと書いた。

 とはいえ、そのためにこういう連中の手を借りるのは、抵抗しかない。


「そういや、しおりって、あいつらの仲間、だったんだよな?」

「スカウトされたんです。私も、利害が一致したので、彼らに協力しました。でも」


 いつもは決して、マイナスの感情を表に出さない、小さな女の子は。


「今は完全に袂を別っています。ダンジョンの攻略に私の力が役立つので、協力をする代わりに、十九階の攻略に同行させてもらっているだけです」


 明らかに連中に対する失望を、露わにしていた。


「一人一人の考えは、ギルドマスター……いいえ『教主』の考えとは違います。個人的にお付き合いさせていただいている方もいます。それでも」

「全体としては付き合いきれない、か。わかるけど、本当に大丈夫なのか?」


 相手は多数で、しおりちゃんは一人だ。

 宗教関係は背信者には容赦がないとよく聞くし、万が一があったら。


「問題ありませんよ」


 彼女は銀色の羽飾りを出して、その先から緑の蔦を生み出して見せた。


「『ジョウ・ジョスと語らった者』を遮ることはできない。それが、あの人たちの、絶対に破れない、自分たちに掛けた『呪い』ですから」


 ここに来てから、明らかにしおりちゃんのまとう空気が違う。

 ずっと彼女に抱いてきた、守らなきゃいけない対象という幻想が、消えていく。


「孝人さん、お願いがあります」

「なんだい」

「私はこれから、パッチワーク・シーカーズを中心に活動していくつもりです。その中でどんな協力も惜しまないと約束します」


 彼女は俺を見つめた。背丈が変わらないせいで、その鋭い、猛禽の目が、俺の何もかもを見通すように。真正面で輝いていた。


「私を、塔の上へ。あの遥かな高みに行くのに、協力してくださいますか?」

「……分かった。約束する」


 しおりちゃんは笑い、それから、不服そうな三人の顔を見て、深々と頭を下げた。


「その、みなさんにも、お願いしようと思ったんですが……それぞれのご都合が、あると思いまして……」

「それはそうだけど、それでもせめて、確認ぐらいは取って欲しいんですけどー」

「そうだぜ。完全に二人っきりの世界、作っちゃってさぁ」

「ごめんなさい。僕、できること、ないから……足手まといになっちゃう……」


 多分、不透明で個人的な願いを張るのに、目的も違う他人を巻き込むのが悪くて、こんな話し方になったんだろう。

 うーん、そういうところが、まだまだ子供なんだよなぁ。

 掛け引きとか、話の持ってきかたを、もうちょっと勉強するべきだと思うわ。


「この件に関しては、俺は個人的にしおりちゃんに協力する。お前らは自己都合優先、やってもらえそうなことがあったら、こっちから依頼するよ」

「別に、そこまで堅苦しくなくていいんだぜ? 騎士は困った人を助けるもんだ!」

「……あたしは、安請け合いはしない。でも、しんどくなったら言って。その時は、何とかしてみるから」


 文城は何か言いたそうにしていたけど、そのまま引き下がる。

 俺はあえて、それには触れずに、みんなの意識を修正することにした。


「ともかく、今回は『教会への献身』で、連中のポイントを稼ぎつつ、しおりちゃんは身辺整理に入るってことでいいんだね?」

「そうです。報酬は大図書館の利用権に、大結晶をいくつか。紡さんの依頼の一つがまかなえますね」


 相談は終わった。

 俺たちは、重厚な金属の大門に近づき、槍を構えた覆面の僧兵、らしい奴に近づいた。


「汝らは塵灰か。あるいは肉の迷妄を払い、光を見出さんとする者か」

「お疲れ様です、兄弟たちブラザー。『緑の指』が、聖堂に貢納を届けに参りました」

「ご無礼を! どうぞお通り下さい。皆さまに、アイオーンの輝きが顕れますように」


 あっという間に、へりくだって道を通してくれる連中。充分距離が離れたところで、紡は変な顔をしつつ、囁いた。


「なんでいきなりブラザー? あいつらラッパーか何かなん?」

「海外のキリスト教系の団体、あるいは魔術教団でメジャーな敬称ですね。同じ教えを受ける男性を兄弟ブラザー、女性を姉妹シスターと呼称するんです。最近はいろいろあって、中性的表現を使うらしいですけど」

「あー……世間的配慮ってやつねー」


 ほんと、神様に世俗的な道徳に配慮しまくって、宗教も色々大変だ。

 だが、そんな緩んだ気持ちも、聖堂に入った途端、しりすぼみに消えて行った。


「……マジかよ、こりゃ」


 石造りの壁の内側に、重低音の響きがこだましている。四方の壁際には、もうもうと煙を上げる香炉が立ててあって、天井の方で雲のようにわだかまっている。

 目の前には、厚手のじゅうたんが敷かれていて、ローブを着た数十人の信者たちが、立ったりひざまずいたりしながら、声を上げる。

 それが、俺の耳を刺激した、重低音の正体だった。


《くーかるくーく くーくかるくーかる かるかるくーかるかる かるくーかる かるかるかる くーくかるくーかる かるくー かるくーくかる かるくーかるかるかる》


「うわぁ……っ」


 うめくように紡が声を漏らす。柑奈は絶句し、文城は呆然と儀式を見つめていた。

 そして、しおりちゃんは口元に翼を当てて、俺たちに沈黙を指示すると、先に立って歩きだす。

 連中はひたすら、立って、ひざまずき、また立ってを繰り返す。

 口から洩れるのは、人の言葉とは思えない、単調な繰り返しだけだ。

 ようやく部屋の端にたどり着き、小さな部屋に入り込むと、しおりちゃん以外の誰もが深く息を吐きだした。


「きっつい、駄目だオレ、ああいうの、無理だ」

「あたしは……ちょっとだけ分かるかな。ライブのモッシュに似てる。もちろん、あんな大規模じゃなかったし、もっと乗れる感じだけど」

「ごめんね。僕、こわかった。すごく」


 おそらく文城は、しおりちゃんに謝ったんだろう。それでも彼女は、冷たい無表情で首を横に振った。


「みなさんは、何も考えなくて大丈夫です。あれは、あの人たちのための祈り、私たちには何の関係もないものだから」


 そうして、彼女が先に立ち、俺たちが後を追う。この小部屋はロッカールームになっていて、それぞれに名札が付いていた。

 しかし、あの会場にいた人々は、頭からすっぽりと、頭巾をかぶってしまっていた。

 ここに書かれた『個人』を覆い隠すように。

 ロッカールームを出ると、今度は薄暗い廊下が続く。その途中にはいくつかの部屋があって、部屋の管理者の名前と、役職らしいものが書かれている。


「『グノーシス魔界派』は、キリスト教系グノーシスを母体に、ギルドマスターの独自解釈と、実在した魔界という環境を結び合わせた、キメラのようなものです」


 まるで、観光案内のように、しおりちゃんの言葉が響いていく。

 

「ギルドマスター、木島桐也きじまきりやさんは、インプに転生した転生者です」

「インプってあれだろ、こうもりみたいな翼の生えた人型のやつ」

「はい。彼は転生する折、私たちをここに落とした超越者『万能無益』のジョウ・ジョスと『契約』したと言います」


 俺は思わず立ち止まって、しおりちゃんを見つめた。

 それから、他の仲間たちに視線を送る。

 文城も紡も、柑奈も、ゆっくりと首を振った。


「そういや、しおりちゃん、さっき言ってたね。自分は『ジョウ・ジョスと語らった者』だって……」

「そして孝人さん、貴方の推論を、一つ訂正させてください」


 唐突に、俺の目の前で、世界の秘密が口を開けた。

 小さな猛禽の姿を象った、少女の姿を借りて。


「ジョウ・ジョスの授ける『ギフテッド』には、二つの方向性があるんです。一つは孝人さんの推察通り、生前の無念や、死の瞬間に焼き付いたイメージが形になったもの」

「……そうか。俺の推論じゃ、しおりちゃんの能力の説明がつかない」

「その通りです」


 魔界の植物を自在に生やす能力なんて、死に際の無念や生前の想像に含めるのは、ほぼ不可能だ。

 それを可能にするためには、

 

「万能でありながら無益と称される、怠惰にして無関心の超越者と語りあい、己の望みを掛けられた者が、手にする力。それを彼らは『光の種子』と呼んでいます」

「あ、あんな奴と、語らうって!?」


 まだ記憶に新しい、あのおぞましい体験。

 あいつは戸惑う俺を、飽きたおもちゃのように放り出して、完全な無にしようとした。

 何でもできるから、すべてに残酷なほど無関心な、異形の超越者だった。


「ど、どうやったら、そんなことができるんだよ!?」

「……そこの異端なるもの、塵芥よ。言葉を控えろ」


 まったく、気配がなかった。

 この中で一番勘のいい紡、電子的なセンサーで、索敵には右に出る者が無い柑奈さえ、全く動けなかった。

 そいつは俺の背後に立って、冷めた異形の目で見降ろしてくる。


「『緑の指ウーグル』よ。『神に愛されし娘』と言えど、我らが聖なる館に塵芥アッシャーよごれを撒き散らすことを、許した覚えはないぞ」


 背中には翼、卵型の禿げた頭には、金属でできた王冠のような物を被り、片手には蓮の花を象ったらしい杖を持っている。

 身に着けているローブは、目にも鮮やかな赤と紫で染められている。

 ちょっとまて。確か西欧では赤は皇帝の色、そして紫が象徴するのは。


「久方ぶりに御前にまかりこしました。偉大なる教主、くーかるのみことばを繰る方、物質界に勝利せし王、木島導師」


 紫の衣をまとうのは、宗教の最高指導者。

 いきなり、こんな通路の途中で、この教会のトップに出くわすなんて。


「平伏しろとは言わん。縦にしようが横になろうが、しょせん塵は塵」


 完全に人間性が剥落した、嘲りだけの言葉を、聖なる館の主は口にした。


く吹き散れて、我が視界より、ね、デミウルゴスの隷属ども」

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