3、人生とは恥の積み重ね
目が覚めた時、文城の姿はなかった。
もしかすると別の部屋で寝たのかもしれない。布団は綺麗にたたまれて、着替えも無くなっていた。
いつもの癖で、現場仕事に間に合うように起きたけど、ギルドマスターの命令は、守らないといけない。
それに、たぶん俺はもう。
「……ったく、いい歳した大人が、なにやってんだよ」
転生した体に過去は関係ないとは言ったけど、それはあくまで外見の話だ。
しおりちゃんはまだ、中学二年生ぐらいだって聞いたし、文城や柑奈、紡だって確実に俺より年下だろう。
そんな俺が、過去の出来事でキレたあげく、後悔で泣き喚いたなんて。
「リーダーなんて、もう無理だろうなあ」
失った信用は、簡単に取り戻せるようなもんじゃない。
とはいえ、自分が始めたことだ。引継ぎくらいはしっかりやっておこう。
重くてだるい体を起こして、階下に降りる。
「おはようございます」
「おはよう。まだ寝ていればよかったのに」
乙女さんが苦笑しつつ、カウンターの隅を指さす。そこには、おにぎりとハンバーグ弁当が置かれていた。
もちろん、いつものように、売り物の弁当は別に用意されている。
「
「甲山さんのところにお弁当を出しに。それと、孝人君がしばらくお休みしますって、伝言を頼んだの」
「……人に休みの連絡入れてもらうなんて、小学校以来っすよ」
「折角だから、甘えちゃえばいいじゃない」
差し出されたお茶を受け取り、弁当を食べる。食べかけたまま、俺はため息をついた。
「ため息をつくと、幸せが逃げるなんて言うわね」
「こんな場所で、幸せもクソもないでしょ」
「そうかも。でも、わたしはそれなりに幸せだけど」
乙女さんは店内を見回し、二人だけなのを確認すると、耳元に顔を寄せた。
「わたしのギフテッドって、どんなものか知ってる?」
「お湯が出るんでしょ? それで、下の湯船がいつもいっぱいなんだって」
「じゃあ、わたしの『心残り』って、なんだと思う?」
そういえば、昨日の種明かしを彼女も聞いてたんだっけ。俺は少し考えて、ありそうなシチュエーションを口にした。
「実家が温泉宿か銭湯だった、とか?」
「残念。両親も親類縁者も、サラリーマンとか公務員ばかりよ」
「……お湯関係のことが好きだった、とか」
「溺死だったの。わたし」
さらっと、乙女さんは恐ろしいことを口にした。
「覚えているのは、口と鼻いっぱいに満ちてくるお湯の温かさと苦しさ。仕事帰りで、眠くてしょうがなかったけど、お風呂に入ろうと思ってね」
「……そ、そうなんだ」
「で、お湯を『吐き出す』ギフテッドを使えるようになったのよ」
え。
吐き出すって、その、まさか。
俺のぎょっとした顔を見つつ、彼女は口元に手を当てた。
そして、温いお湯を満たした掌が、差し出される。
「……マジっすか」
「安心してね。このお湯自体はまじりっけなしの、ただのお湯。わたし由来の成分は、一切入ってないそうだから」
「混ざってたら、それはそれで需要ありそうっすけどね……」
ずびし、と俺の頭に軽くチョップをぶち込んで、乙女さんは笑った。
「お客さんが来るまで、それなりの量出さないといけないから、苦労するのよね。とはいえ、この世界ではお湯は貴重品だし、立派な財源になってるわ」
「はは……ほんと、たくましいなぁ」
「一応、みんなには内緒にしてるから、他言無用にね」
笑いつつ、ふと湯呑の中のお茶に視線を落とす。もしかして、これも。
「ご心配なく。ちゃんと別に飲料用の水を買ってきてるから。お風呂用と飲料用を別にするのは、こういうサービスの基本でしょ?」
その言葉に安心しつつ、『そういうサービス』もやったら、儲かるんじゃな――。
「はい! 変な妄想禁止!」
「ラミアって、心も読めるんすか」
「読まなくても顔に描いてあるわよ、おバカさん」
今度は重めのチョップを喰らい、俺はそのまま弁当を平らげる。
それにしても、急に休みになったから、何していいか分からないな。ここはやっぱり、リーダーの引継ぎ案でも考えるか。
「おはようございます、店長」
「はい、今日もよろしくねー」
気が付けば、バイトの子たちが続々とやってきていた。その中に柑奈の姿が無くて、少しだけホッとする。
これ以上、ここに居ても営業の邪魔になる。
店を出ると、そのまま街をぶらつくことにした。
昼のモック・ニュータウンは、いつも通りの賑わいがあった。露店や商店に人が群がって、荷物や建築資材を運ぶ人たちの姿が見える。
そういや、ここには馬みたいな牽引用の動物はいないようだ。大荷物を引くのは、体の大きい
街の規模自体も大きくないし、細かく仕事分けすることで、ダンジョンに潜らなくてもプラチケを取れる体制にするためかもしれない。
「なんだ、今日は休みか?」
後ろから追い抜かすように進み出た、着流しの竜は、咥えキセルのまま笑った。
「ギルドマスター命令だよ。オーバーワークかつ、リーダー失格だって」
「オーバーワークは見てりゃ分かるが、リーダー失格って、連中に老害認定されたか?」
確かに自分も仕事を詰め過ぎたとは思うが、ぶらぶらおじさんのコイツに指摘されるのは、いまいち納得いかないぞ。
とはいえ、その意見には文句のつけようもない。
「遅かれ早かれそうなってたかもな。ともあれ、俺はリーダーを降りる」
「身勝手な話だな」
「アンタと違って、俺たちはチームで動いてんだぞ。頭が不安要素を抱えてたら、回るもんも回らないからな」
「はぁ、さいで」
小馬鹿にしたように煙を吐き出し、コウヤは先に立って歩く。別に、どこに行く当てもないから、俺もその後についていった。
「で、次善の案はあるのかい?」
「紡としおりちゃんの二枚看板。そこに柑奈も付ければ、どうにかなるだろ」
「で、文城が一月もしないうちに脱落して、新しい面子を入れて空中分解。持って半年、下手すりゃ、ダンジョン内で全滅だ」
「そ、そうならないように、俺がフォロー入れて」
「じゃあ、そもそもリーダー辞めるなんて話、出す意味がないだろ」
コイツの口から出るのは、正確な分析に基づく正論だ。
今の俺には、とてもじゃないけど、耐えられるような話じゃない。
「ダンジョンが、楽しいアトラクションだなんて思ってないけど、俺なんかがいて、ギスギスした状態で入る場所でもないだろ」
「
「……なら、どうすりゃいいんだよ」
竜の男は興味を失ったように、足早に去っていく。そして、背中越しに告げた。
「下手の考え休むに似たり。今更じたばたしたって、赤っ恥かいた事実は変わらねえよ」
「追って
「黙って運命を受け入れるのも、責任の取り方ってもんだぜ」
痛い所を突かれて、その場に立ち尽くす。
結局、今の俺は過去の失敗と今のやらかしを、無かったことにしたくて、じたばたしてるだけだ。
あいつらが俺を認めないというなら、その意向を受けた上で、辞めさせられるのが筋なのは分かっている。
でも、
「……それが嫌だから、カッコつけたいってのは、駄目な考えかぁ?」
我ながら情けないセリフだけど、あいつらに不信任を突きつけられて、ちゃんと受け入れられるか、自信はなかった。
じわじわと惨めさが骨身に染みて、俺は人目を避けるように、街をさまよい続けるしかなかった。
いつもの薄暗い夜が来て、店に戻ると、店の隅で固まって座っていたみんなが、一斉に立ち上がった。
「今までどこ行ってたの!? もう少しで探しに出るとこだったんだからね!」
「あ、うん。ごめん」
「ほら、こっち来て座れよ。話があるんだから」
とうとう来たか。
招かれるままに席に着くと、それぞれが手にしていた紙切れを手渡してきた。
おいおい、まさか全員で辞表提出か?
薄目を開けて、それぞれの内容を検める。
「……超魔法の改善と利用法?」
「俺はまず、そっからだと思ってさ。具体的なことはぜーんぜん思いつかないから、孝人も手伝ってくれ」
それは、俺が渡しておいた会議の資料。色々と書き込んでいるが、紡の目下の改善点は確かにそこだった。
「あたしは、ボディの冷却法か、体に負担を掛けない戦闘法。『インスピリッツ』の工房で使えそうなのもあったけど、たっかいのばっかだから、上手い金策、考えてよね」
柑奈がピックアップしてきたのは、獄層からの発掘品一覧。
プラチナチケット以外の、聞いたこともない素材が対価として書かれているから、相当な代物なんだろう。
「私は、少し込み入っているので、別の日に改めて相談させてください。概要だけは明記させていただきました」
細かい文字でびっしりと、必要項目と目下の改善案が書かれている。しおりちゃんのまじめさと研究熱心さは、一日やそこらじゃ読み取れなさそうだ。
「ぼ、僕は、言われたことから、やりはじめたよ。山本さんとこも、お弁当、届けるようにしたから」
文城のそれは、あのとき俺が提案した情報収集について。さりげなく、俺のトレーニングについていきたいという添え書きがあった。
「……いいのか、俺がリーダーのままで」
「もしかして、辞めるつもりだったの?」
「いや」
さすがにこれ以上、カッコ悪いマネはできない。
俺はみんなから貰ったプランをまとめて、顔を上げた。
「それじゃ、明日からこのプランで進めるぞ! それと、この前説明できなかったけど」
「ちょっと待ってくれ、リーダー」
なぜか自信満々の笑顔で、紡が切り出した。
「しおりに説明してもらって、計画書を読んだんだけどさ、これからはクエストを受けながら、実力をつけるんだろ?」
「お……おお。そのつもりだったけど」
「俺、一個クエスト、受けてきちゃったんだよねー。すげーだろ!」
「ちょっと待ちなさいよ」
紡を押しのけるように、柑奈が顔を突き出す。
「あたしも昼間、一つクエスト受けてきちゃったんですけど!? なんでそんな勝手なことしてるわけ!?」
「いやいや、お前だって相談もなしに」
「……す、すみません」
珍しく焦ったような顔で、しおりちゃんが片手を上げる。
「私もその、伝手を使って、お仕事を……引き受けてしまったんですが」
「あ、あのっ! 僕も、ひとつ、クエスト、受けちゃって、ごめんなさいっ!」
さすがにその一言は予想外だったらしく、その場に居た三人が文城を凝視する。
俺は拳を握り締めて、絶叫した。
「クアドラプル・ブッキングかああああああああいっ!」
閉店後の湯船につかりながら、俺はどっと息を吐いた。
「えー、いきなり案件交通渋滞で、整理が大変そーでーす」
「……か、勝手なことして、ごめんね。仕事、ぎゅうぎゅうになっちゃった」
「冗談だよ。みんな、考えがあってしたんだし、なんとでもなるって」
隣の文城が申し訳なさそうに告げるのを、軽く肩を叩いて制する。
「俺の方こそ、ごめん」
「……なんで?」
「俺はリーダーから降ろされるか、自分で降りるかする気でいたからさ」
ネコはきゅっと口を結んで、それから首を振る。
「みんなで、相談したんだよ。これから、どうしようって」
「……それで、資料を読み込んで、改善点を出してきたのか」
「孝人にばっかり、仕事をさせるのは、駄目だって。紡君も、カンナちゃんも、しおりちゃんも……」
文城の大きな手がお湯をかきまぜて、何かを掴むように握られる。
それから、こっちを真正面に見据えた。
「僕でも、できることがあるって、言ってくれて。だから、一杯いろんなこと聞いて、それで少しでも、役に立ちたいんだ」
「うん」
「孝人だから、そうしたんだよ。僕も、みんなも」
勘弁してくれ。
そんなこと言われたら、堪えきれるわけないだろうが。
俺は顔を天上にむけて、両手で覆った。
「あとさ」
「なに?」
「ちょっと、びっくりしちゃった。起きたら、泣いてるんだもん」
ああ、畜生。
そういや、妙に静かだとは思ってたんだよ、あの時。
それ以上なにも言えないまま、俺は静かに湯船に沈んでいった。
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