Remnant case:02「regret(後悔)」
0、青無き空の下の青
モック・ニュータウンの朝は、唐突だ。
月も星もない、すすけた夜が、淡い光で満ちわたっていく。
それまで、闇の中に沈み込んでいた灰色の壁が、次第に輪郭をはっきりさせた。
全長三十メートル、幅は約五メートル。
十階建てのビルぐらいあるそいつを前に、俺はたたずんでいた。
「あぁ、おはよう、おにいさぁん」
それまで、後ろでぐーすか寝ていたそいつが、むっくりと起き出す。
顔は山羊そのもので、革製のエプロンに、絵描きが着るかぶるタイプのスモックで、体を包み込んでいる。
その至る所に、様々な色の絵の具やら顔料やらがこびりついていて、おまけに毛皮にも飛び散り放題。
その上、頭や腕、足などの至る所に、無数のリボンが結ばれていた。
口元にはヘラヘラとした笑み。人畜無害そうなその笑いに、引っ掻き回されたことを思い出す。
「やっぱり、俺はアーティストなんて嫌いだ」
思わず、憎まれ口が漏れる。
ヤギ特有の細い瞳が、手入れのされてない前髪の間で、笑みを浮かべて光った。
「おにいさん、それ何回目ぇ?」
「忘れた。でも、これっきりだ。もう二度と、お前の仕事は受けないからな」
「あー、うち、知ってるぅ。それってぇ、ツンデレ、ってやつだぁ」
「おーい!
何か言い返してやろう、と思う間もなく、壁の上の方から声がかかる。
白い狼の姿が、その隣に居るメイド姿とともに、明るくなっていく空の中で、くっきりと見えた。
「安全確認終了! いつでもいいぞぉ!」
「ホントにこんなんで、大丈夫なんでしょうねぇ!? 落ちたらぁ、脳みそぶちまけパラダイスだよー!?」
「ふへへへ、だいじょーぶ。いつも、うちだけでやってるときよりぃ、百倍安全そうだもんねぇ」
壁の縁の部分には、昨日のうちに作っておいた『足場』がある。そこには金具で接合されたロープが、下がっていた。
「お、おふあぁ、よおぅ。ごめ、おきるの、おそ、ふぁああああ」
「しっかりしてください。足元気を付けて」
荒れ果てた大地に通う道をたどりながら、よたよたと歩く太ったネコと、その手を引く鳥の二人組が、こちらやってくる。
モック・ニュータウン東側壁面、本来なら見るべきものなどないその場所に、俺たち五人の冒険者と、一人の依頼主が集まっていた。
「……すずき、ちゃん。これ、ごはん、たべて」
「おぉ、朝飯活力感謝感謝ぁ、ふへへへ」
猫の手に生成されたたおにぎりを、手当たり次第に貪ると、ヤギの
その封を解き、長い柄の物体を、鮮やかに手元で一回転させた。
前端についているのは、巨大なふさふさとした筆先。
柄の部分は不思議な光沢で作られた金属製。
それを一振るいすると、筆にたっぷりと、鮮やかな青の顔料が充填されていた。
「そんじゃ、始めるよぉ」
はじめはのっそりと、だが歩を進めるごとに、ヤギの体が前傾になり、速度を上げる。
まるで壁にぶつかるような勢いで、突進する。
「――うちの連作、五作目『パスティーシュ05』」
かっ、と蹄の音が響き渡り、垂直に近い壁を蹴りながら、鈴来(すずき)が飛ぶ。
その身体が、一息で壁の頂上まで駆け上がり、
「製作開始、ですだよぉっ!」
達人の斬撃のように、青い一筆が白い壁面に刻まれた。
「おいおい、あんな派手に振り回して、大丈夫かぁ?」
あの筆を作るのに、俺たちがどれだけ苦労がしたと思ってんだか。
あいつと出会ってから、いろんなことがあった。
俺たち『パッチワーク・シーカーズ』の初クエスト。
その締めくくりに待っていたのは、白い壁を駆けまわりながら、とんでもない壁画を描くヤギの姿だった。
この作業を終わりまで警備して、俺たちの仕事が完了する。
「最後まで気を抜くなよ、みんな!」
そして、パッチワーク・シーカーズのリーダーにして、この現場の監督である俺。
ネズミの
朝焼けの紅も、薄れていく黎明の薄紫もない、
鈴来の青い筆が、新たな一撃を壁に刻みつけていく。
その顔にあるのは、完璧な喜びと興奮。
「……ちぇっ」
俺は掌に、くだらないこだわりを生み出す。
青の色鉛筆を手にして、目の前に立てた。
「気持ちよさそうに描きやがって」
腹立たしくて、それでもどこかスッキリした気持ちで、巨大な絵筆の後を追うように、鉛筆でなぞっていく。
「だから、アーティストなんて、大嫌いなんだ」
俺は笑う。そして、思い出していた。
ここに至るまでの出来事を。
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