れ・れ・れ Day by Day 01

ペーパームーンの下で

 モック・ニュータウン。

 そこは魔界の底の底にある、まがい者と異邦人が肩を寄せ合う街だ。

 往来を練り歩き、裏道をそぞろ歩くのは、魔界の数寄者がたわむれに創った命たち。

 名を模造人モックレイスという。

 そんなまがい者に宿るは、はるか彼方より来たまれ人。

 日ノ本の国と呼ばれる場所から、零れ落ちた命たち。


 これは、はぐれ者の身に宿った、

 残念を抱えし(REmnant)、

 死にぞこないたち(REvenants)による、

 新たな生の(REincarnation)の物語。



 薄暗がりの中、手にした槍の感触を確かめると、猪の模造人モックレイス甲山航大こうやまこうだいは、あとに続く連中に声を掛けた。


「打ち合わせはこんなもんか。内山、花菱、お前らが先行しろ。元町は後について囮だ」

「お、親方!」


 ごつい鎧を身に着けた三人の犬の若い衆の背後、子供みたいな背丈の男が、飛びあがるようにして声を上げた。


「俺にも、囮役させてください!」

孝人こうと! 今日はお客さんと一緒にケンに回れつったろ!」

「で、でも、俺だって」

「素人に毛の生えた程度のテメエじゃ、足手まといだってんだよ! ひっこんでろ!」


 向こう気の強いネズミは、それでもおとなしく引き下がり、引率して来た『お客さん』の側に寄り添った。

 今日の客は大所帯だ。

 自分を含めた『引率屋』の面子が四人。見習いが一人、依頼主のネコとウサギが一名づつ。

 

「お客さんをよく見とけ。今日の仕事はそれだ」

「……うっす」


 尖ったネズミ顔には、不服はあるが不満はない。現状に納得していないが、それはそれとして仕事はする、そういう表情だ。

 今まで見てきた弟子の中ではまとも、いや上澄みの方だろう。

 

「行くぞ」


 兜をかぶり、面頬を降ろす。

 すでに先行した連中は、階段の先で待つバケモノどもと、やり合い始めていた。

 段を踏みしめて素早く躍り上がると、部屋の中をふらふらと飛び回る、幽霊みたいな連中を見回した。


「よーし! 始めるぞ! もとまちぃ! バラ弾行くから気ぃつけろ!」

「おーらい親方ぁ! いつでも!」


 手にした槍の長い柄、その穂先に近い部分からレバーを立て、力を込めて引く。

 金属音と、ロックが掛った音。

 石突の部分を地面に当て、斜め上方に角度を付けながら、目の前で繰り広げられる戦いの光景を見回す。

 幽霊のような姿の『杖持ち』共は、だだっ広い石畳みの中央で、必死に逃げ回る金色の毛皮の男に向けて、光やら岩やらを飛ばし続けている。

 そんな連中に、手にした石弓を射かけ、牽制し続ける二人の仲間。


「三、二、いちぃっ、発破ぁっ!」


 手元のスイッチを押すと同時に、槍の穂先についた大きな『さや』が、破裂音と共に白い尾を引いて天井へ向けて飛び上がる。

 そして、爆発。

 光り輝く無数の塊が叩きつけられ、空中でふらついていた『幽霊』どもが、地面近くへと落ちてくる。


「今だ!」


 囮を務めていた一人が、当たるを幸いにバケモノの杖を斬り砕く。

 そのうちの一体が、ふらふらと空に舞いあがり、


「おらああっ!」


 猪によく似た航大こうだいの体が、宙を滑るようにして飛び掛かり、手にした斧で杖の先の結晶を砕け散らす。

 攻撃するべき標的が増えたことで、残った敵の動きが鈍り、浴びせられた石弓によってさらに二体、杖の先の結晶を砕かれて消滅する。


「親方! 炸裂弾行きますぜ!」

「おう、こいやあっ!」


 弓持ち二人が大きな『莢』を装填し、同時に撃ち放つ。

 中空で破裂し、降り注ぐ結晶の炸裂弾が、逃げ遅れた一体を粉砕し、残った三体を地面近くに押し下げる。


「締めだ!」


 航大の号令に、それぞれが同時に動く。

 一番すばしっこい犬が一本砕き、ついで航大が一本、最後の一本を二人掛かりで砕け散らす。

 ほどなくして、すべての敵が消滅し、部屋の中央に『トレジャー』が出現した。


「ふぃ~、お前ら、ケガ無かったか。申告しろ」

「元町、バラ弾がメットに当たりました。他は異常なし」

「内山ぁ、ビリビリでヒゲ焦げましたぁ。電気の奴は最初に除けとくはずじゃ?」

「花菱、特にねーけど腹減りました。早く上がりてッス」


 軽口を叩く連中に笑うと、航大は下の階に居る連中に声を掛けた。


「終わったぞ、お客さん方! 上がって来てくれ!」


 きな臭い戦いの香りが残るフロアに、依頼主のネコとウサギを招き寄せ、その後を守って上がってきたネズミに頷く。


「何か異常は?」

「入り口近くで警報が。午後から上がってきた連中でしょうね。『解除屋』は連れてないかと」

「やれやれ。その調子じゃ、だいぶ下を荒らしてきやがったな……今日は上がりか」


 歓声を上げる三人と裏腹に、孝人の方は微妙な顔をした。


「一応、もう一回りするだけの装備はあるが、『野良受け』するには微妙な頃合いだ。気持ちは分かるが、焦んじゃねえよ」

「……はい」


 依頼者は広い部屋の中央に現れた箱を開け、中身を取り出す。

 金属の光沢をもつ板を連ねた、宝飾品のような代物。

 プラチナチケット、自分たちの命を伸ばすために必要な、チンケな小道具だ。


「こんなにあっさり、取れるもんなんすね」

「バカ言え。これだって準備だの道具だの、若い衆を駆り出して、やっとだぞ」

「でも、これに比べたら、俺のやらせたことなんて……」


 その小さな頭を太い指ではじく。

 よろめき、痛む部分をさするネズミに、航大は笑った。


「そう思うなら、次からはもっとうまくやれ」

「……うっす」

「おやかたぁ、受け取り終わりましたぁ! 上がりにしましょう!」

「おお」


 荷物をまとめ、それぞれが出口に向かう。残された道具や仕掛けの残骸を拾い集めた孝人が後に続き、いつものように下りの階段を踏みしめて転移する。

 目の前に見慣れた芝生の広場を認めると、航大こうだいは外のまぶしさに目をしばたかせた。


「よし。今日は直帰でいいぞ! 次の現場は明後日だ、忘れんなよ!」

『うっす、おつかれさんでした!』


 部下たちがじゃれ合いながら去っていき、傍らに残ったネズミが、こちらを見上げる。


「親方、午後から練習場、使わせてもらってもいいですか?」

「……あんまり根詰めても、いいことはないぞ?」 

「やれること、やっときたいんですよ」


 その小さな体に、収まらないやる気に顔をほころばせて、孝人は笑う。


「俺もいわば、一人の『親方』っすからね』

「……なら、晩は家で食ってけ」

「うっす、ゴチになります」


 荷物を抱え、二人並んで歩く。

 先に立って歩く小さな背中に、航大は口を開きかけ、何も言わずにその後を追った。



 甲山広大のギルド、というか事務所の『甲山組』は、モック・ニュータウンの南東方向にある。

 この街がいつごろからあるのか誰も知らないが、この辺りはかなり『古い地区』だと言われていた。

 その理由の一つが、彼が事務所を開いた雑居ビルだ。

 誰が建てたのかもわからない、廃ビル同然の構築物。与太話の類だが、ここは元々『日本』から滑り落ちてきたものだという連中もいた。

 とはいえ、航大にしてみれば、使えるか否か以外に興味はなかったが。


「……ここに、針金を、んで、奥の金具を……ひっかけ」


 事務所の一階は、ダンジョンのトラップや、宝箱の盗難防止罠の模型が置かれた『練習場』になっている。

 組の連中だけではなくフリーの『解除屋』にも開放しているその場所で、小さなネズミが背中を丸めて、罠解除に取り組んでいる。


「で……ここを押さえつつ、――どわあっ!?」


 バチン、という無常のしっぺ返し音が、孝人の手をしたたかに打っていた。本来なら、内部から出てきた釘か、小刀で切り裂かれているところだ。


「くっそぉ、また失敗かよぉ」

「そりゃ押さえが足りねえんだ。もっと奥へ、箱の縁に押し付けるイメージでやんな」

「でも……そこまでやったらワイヤーが切れて、罠が発動するんじゃ?」


 場所を開けさせると、目の前の宝箱の模型に向き合い、使っていた道具を吟味する。

 それから、いくつかの金属板や針金を拾い上げて、必要な手を施していく。


「押し付けたらそうなる。だが、ギリギリ当たるか当たらねえか、って加減をすれば」


 かちり、と音がして、中の仕掛けが無力化された手ごたえが伝わる。板バネと針金を使ったトラップは、ダンジョンの中でもよく見る代物だ。


「この通り、ってわけだ」

「俺の体だと、力加減が難しいんですよ。手先は器用に使えますけど、仕掛けをホールドしたりするのに、腕の力だけじゃ間に合わなくて」

「で、足腰まで使うと、今度は強すぎるってか……まあ、その辺りもやりなれて、加減を覚えるしかねえな」


 仕掛けを戻し、箱のフタを閉じると、孝人は再び罠外しに取り組もうとする。


「そこまでにしとけ。もう飯時だぞ」

「え……もうそんなに?」

「そうだよ、孝人君。ほら、水桶用意したから」


 後ろからかかる声に振り返ると、自分と背格好も同じ、猪の模造人(モックレイス)が

大きな桶を置いて、その縁に手拭いをひっかけていた。


「お店に帰れば、お風呂も使えるんだろうけど、うちはこれしかないから。ごめんね」

「あ……いえ、すみませんおかみ――」

「女将じゃなくて、菜摘なつみって呼んでって言わなかったっけ?」

「いいじゃねえか。みんな女将って呼んでんだから」


 べしゃっ、と濡れた手拭いが叩きつけられ、それで顔を拭いて、手の汚れを始末する。


「いくら所帯を持ったからって、そこまで所帯じみる気はありませんから」

「……まあ、いいや。使い終わったら、残り水は側溝にな」

「はい。ありがとうございます」


 そのまま、上の客間へ続く階段を上がり、引き戸を開けて居間に入る。

 すでにテーブルの上には、今日の晩飯が用意されている。


「っておい、また芋煮かよ。せっかく孝人が来てんだぞ」

「あの子、まだ味噌の奴は食べたことなかったでしょ。次からはまた考えるから。そもそも、そういうつもりなら花菱君辺りに、伝言頼んでおけばよかったのに」

「……分かったよ。悪かった」


 懐かしさを覚える大ぶりなアルミ鍋。ふたが開けられたそれから湯気が立ち昇り、熱々に煮えた里芋や長ネギ、ニンジン、豚にこま切れが浮いている。

 小鉢に入れてあるのは、こちらで採れた野菜の浅漬け。最初は気味が悪かったが、慣れてしまえばフキノトウに似た食感が気に入っていた。


「おまたせしましたー。って、今日は味噌の芋煮っすか! うまそー!」

「孝人君、こっちはまだ食べたことなかったでしょ?」

「ええ。って、大丈夫なんですか、菜摘さん」


 席に座りながら、なつっこい笑みを浮かべて、ネズミがまぜっ返す。


「そっちの地元じゃ、味噌か醤油か、豚か牛かで派閥争いが起こるとか聞きましたよ」

「まあね。母さんより上の世代は、特にうるさかったかな。あたしは……いわゆる背徳者ってやつよ。おいしければ何でも好き」


 お椀にたっぷりと汁をよそい、配膳する菜摘。その手が引いたのを見て、こっちは用意されていたグラスに、なみなみと焼酎を注ぐ。


「あ、っと、そのぐらいで。飲みすぎると、また帰れなくなっちゃうから」

「いいじゃねえか。うちだって部屋は余ってんだ。気にすることねえって」

「そんなにはしゃがないの。あんまり甘やかさないでね、この人、すっかり孝人君にメロメロなんだから」


 一息にあおろうとした焼酎が気道に入って、思いきりむせ返る。上座の菜摘を睨みつけると、向こうはなんでもお見通し、という顔で頷いていた。


「な、なにワケわかんねえこと言ってんだ!? 俺は、別に……」

「今日の練習で使ってた仕掛けもね、ちょっと前に、山本さんのところから貰って来た奴なのよ。君の練習用に」

「……そ、そうなんですか?」


 それ以上見ていられなくなって、顔をそむけた航大に気遣うこともなく、嬉しそうな語りが続く。


「そもそも、十階までに出てくる宝箱は、あそこまで複雑な仕掛けは無いし」

「……それじゃ、なんで」

「もっと上に行くつもりなんでしょ? うちは低階層の活動が中心だし、トレジャー以外は狙わないことも多いから」

「親方……」


 本当に余計なことを。

 大きく咳払いをしつつ、航大は酒の力を借りて、声を上げた。


「現場に行くたび、身の丈に合わねえことをする無鉄砲の頭を、冷やすのにちょうどいいオモチャだと思ったんだよ! 文句あっか!」

「俺、そんな風に見えてましたか」

「……ああ」


 空になっていた孝人のグラスに酒を注ぎながら、盛大にため息をついてやる。


「下働きから道具の手入れ、うちの玄関掃除、その上、現場の仕事でもテメエ一人でやろうとしやがって。おかげで、他の連中にサボり癖がついちまうだろうが」

「そうじゃないでしょ。他の子たちと比べて、体もだいぶ小さいのに、へとへとになるまで頑張って……初めの三日ぐらいは、心配で後付けてったのよ」

「え……!? ……ほ、ほんと、すみませんっ」


 実際、この小さなネズミの模造人モックレイスが来てから、こっちの生活もだいぶ変わっていた。

 あの、ダンジョンの無茶な攻略の次の日。


『すみません、俺を、弟子にしてください!』


 手土産を片手に、頭を下げに来た姿を思い出す。

 それから一月以上たち、今ではすっかり、大事な仕事仲間になりつつあった。

 物覚えもよかったが、何よりも前のめりなほどに、打ち込む姿にほだされていた。


「なあ、頼むよ、孝人」

「……はい?」

「そういう奴が、ふとしたことで、ぽっくり行くのを、今までよく見てきたんだ、俺は」


 それは、自分が『こうなる前』のこと。


「やる気もある、覚えもいい若いのが、ちょっとしたことで足滑らしたり、ほんの少し作業をとちったせいで、死んだり使い物にならなくなったりよ」

「それって……ダンジョンの中だけじゃなくて」

「ああ、土木ってのはそういうもんだ。人以上の馬力のあるもの、重さのあるもんを扱う仕事だからな」


 すでに、孝人には自分がこうなる前の仕事は言ってある。土木建築、ビルや橋梁、道路整備の仕事をしていたことを。

 こっちに来てだいぶ業態は変わったが、やっていることは向こうとそう変わらない。

 安全を確保し、人のために道を開くことだ。

 だからこそ、それを行う人間の安全にも、心を砕く。


「お前、明後日は休め」

「で……でも」

「デモもストもねえよ! 休めったら休め!」


 いつもは飲み込みのいい孝人も、今回ばかりは受け入れにくいらしかった。カップは酒が注がれたままで、芋煮は冷えて脂が浮いている。


「ねえ、航大さん」

「なんだよ」

「今から屋上にいかない?」


 こちらの返答も聞かずに菜摘は鍋を片付け、こまごましたつまみを盆にのせて、勝手に上への階段へ向かってしまう。


「孝人君もおいでよ。航大さんがいいもの見せてくれるから」

「へ?」

「お、おい。いいものって、まさかあれか?」

「そうそう。貴方の十八番おはこ。まだ見せてなかったでしょ。ほら、二人ともグラス持って」


 ため息をつき、航大は小さなネズミに肩をすくめてみせる。ああなった菜摘は、全くこっちの事なんてお構いなしだ。

 そのまま屋上にくると、涼しいのとは違う、独特の夜気が漂っていた。

 敷物をしいて座卓を立て、つまみを並べた菜摘が、期待のまなざしでこっちを見る。


「しゃあねえな……つまらなくても、呆れたりすんなよ?」


 広大は顎を空に向け、思い浮かべた。


「え……う、うそ、あれ……って」


 それは、本来この街には存在しないものだった。

 闇とも言えない、すすけた夜空の中で、冴え冴えと輝く白銀の月が、照り輝いた。


「ま、こんなところか」

「うん。いいお月さま。この人と一緒になって、よかったことがあったとすれば、これが見られることかな」

「まさか……親方のギフテッドって……」

「そうだ。お月さんを出す、それだけだ。文句あっか」


 ただ、あの月は本物ではない。

 この街のめんどくさい連中が調べたところ、あれは『自分の記憶の中にある月』を、そう見えるように映し出しただけ。

 つまり、あれも『まがい物モック』なのだ。


「こう言っちゃなんですけど……ずいぶん、ロマンチックですね」

「顔に合わずってか!? 張り倒すぞテメエ!」

「ほらほら。せっかくいいお月さまの下なんだから、落ち付いて」


 それを出したのは自分なんだが、そう思いつつ、グラスの中を舐めるように味わう。


「そういや、菜摘さんのギフテッドが『芋煮』だから、月見で一杯、なんて贅沢もできるんすね」

「やりすぎると飽きちゃうから、ほんの時々、だけどね」

「何が時々だ。献立に詰まっちゃ芋煮にしやがるくせに」

「お言葉ですけど、一口に芋煮って言っても、それこそ種類も具も全然違うんだから」


 そんな馬鹿話をしながら、まがいものの月の下で、飲む。

 観念したように、孝人は笑った。


「二日ぐらい、休み貰えますか」

「そうしろ。その後で、また引率に連れてってやる」

「はい。ありがとうございます」


 グラスを干して、ネズミが立ち上がる。背伸びをして息をつく顔は、すっかり険が取れていた。

 そのまま、軽く頭を下げた。


「んじゃ、帰りますね」

「気を付けてな」

「下まで送るよ。ついてきて」


 去っていく姿を、見ることはしない。

 そのまま遠くを、照り返す月をぼんやりと、昔からそうし続けたように、眺める。

 故郷の月の、もう二度と見ることはない照り映えを。



「ごちそうさまでした。それじゃ、おやすみなさい」


 そう言って、去って行こうとする孝人に、菜摘は声を掛けた。


「ねえ、孝人君。うちの専属にならない?」

「え?」

「余計なこと言うな、って怒られるだろうけど、あのままじゃあの人、ずっと言えないままだろうから」


 ネズミは目を丸くして、それから悲しげに首を振った。


「ほんと、俺なんかに良くしてくれて、感謝してます。押しかけ弟子なんて受け入れてくれて、ただでさえ、ダンジョンの仕事はキツいのに」

「うちもだいぶ大きくなってきてさ。あの人だけじゃ、目の届かないところもあるのよ。他の子たちも、悪いっていうんじゃないけど」

「俺、新参ですよ? それ言ったら、元町さんの方が」

「あの子、近々山本さんの所に移籍するの。二十階、できれば獄層攻略に入りたいって」


 無理を言っているのは分かっている。それでも、言うべき時に言わないと後悔することを、良く知っているから。


「うちはほら、航大さんが面倒見いい性格で、『引率屋』中心でやってるでしょ。でも、若い子からすれば、十一階よりもっと上、獄層とかに行きたくなっちゃうのね」

「そういや、結構入れ替わり激しいですよね」

「もちろん出戻ってくる場合もあるんだけど、そういう子たちも、以前通りには動けないことも多いから……」


 ダンジョン攻略は遊びではない。

 塔の十階層までは、難しいが安全を確保することも可能だ。しかし、その常識のままさらに上を目指し、途中で命を落とすか、体や心を壊して帰ってくる者も少なくなかった。


「君が来てから、航大さん。ずっと『見どころがある奴だ』って、すごくうれしそうだったの」

「…………」

「だから、まあ、そういうこと。ごめんね、勝手な事ばっかり言っちゃって」


 結構長い間、孝人はその場で立ち尽くし、それから頭をかいた。


「なんだろ、そんな風に思って貰って、嬉しいです」

「うん」

「でも……たぶん、俺は、上を目指すんじゃないかなって」


 それから、小さな背中が、遥か天の先に伸びる塔を見つめた。


「他の仲間は、どうか分からないけど、少なくとも俺は、あそこまで、あの先まで行きたいって思ってるんすよ」

「どうして?」

「……答えを、知りたい」


 それは、切実な言葉だった。


「どうして俺は、俺たちはここにいるのか。俺たちをここに落としたアイツは、何だったのかを、知りたいんです」

「……そっか。なら、仕方ないね」

「でも……専属は無理ですけど。俺、ここが好きですから」


 振り返り、彼は笑った。


「甲山さんも、菜摘さんも、甲山組のみんなもです。助けになれることがあったら、言ってください」

「ずるいなあ、そういう言い方。もしかして、君って結構タラし?」

「そんな暇もありませんでしたよ。そうだったら、こんなことになってませんて」


 勧誘は失敗した。それなら後は、組の女将さんらしくするだけだ。


「引き留めてごめんね。ゆっくり休んで」

「はい」

「休みの日に仕事とかしちゃダメだよ? ちゃんとゴロゴロすること」

「うっす、了解しましたっ。それじゃ!」


 去っていく背中を見送り、そのまま自分も家へ戻る。

 見上げると、白紙の月ペーパームーンが、見守るように照り輝いていた。


「航大さん、引きずるだろうなあ……」


 苦笑し、ひとりごちる。

 明日からはしばらく、何か好物でもこしらえてあげるか。

 そんなことを考えながら、菜摘は家へと戻っていった。

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