14、人生という冒険
目が覚める。
なんとなく白んでいく下宿の窓、いつもの寝ぼけた朝ぼらけが、やってきていた。
「……おい、ふみきぃ、あし、じゃまだぞぉ」
「んぅ、あぅ、うぃ……」
のしかかる重量物を脇にのけ、大きく伸びをする。新しく買ったシャツに袖を通し、身支度を整えている間に、ようやく丸々とした背中が体を起こした。
「きょうはぁ、おやかた、のとこ、いくんだよ、ねぇ」
危なっかしく頭をよろめかせ、それでも
「おひる、もってくよぅ。おべんと、はいたつ、いくから」
「サンキュ。そっちも頑張れよ」
「んうー。気を付けてねぇ」
その片手から投げられた、ツナマヨと梅干のおにぎりを受け取り、そのまま下へ。
「おはよぅ~。今日の現場はどんな感じ?」
「あー、山本さんとこと合同で、いつもの罠実習っすよ」
朝飯をほおばり、出してもらったお茶をすする。文城と変わらない寝ぼけ眼の乙女さんが、こちらを見てふんわり笑った。
「なんすか?」
「何でもないわ。お仕事、がんばって」
「はい。行ってきます」
あらかじめ準備しておいた荷物を手に、店を後にする。
店の面した通りは、すでに仕事を始めた連中が、結構な数出ていた。
太陽もないまま、次第に明るくなってく空を背景に、荷車を押す奴やや背負い荷物を担ぐヒト、往来に敷物を広げる売り子が、いつもの場所に座る。
やがて道が大通りに繋がり、朝の喧騒が俺の全身を洗った。
「おう、
「おはようございます、親方」
金属の鎧ではなく、なめし皮の防具と工具箱を下げた猪が、こっちに歩幅を合わせて同じ道をたどる。
「今日の現場は二階と七階だ」
「うっす。今回、九階はなしですか?」
「ああ。先行するはずの助っ人が来れなくなってな。山ちゃんと相談して、別日回しにした」
一つの冒険が終わって、俺たちは日常に戻った。
塔のダンジョンは、現実と非現実の境目に存在している。
それは、剣と鎧と奇妙な能力で踏破を要求する、物語の空間。
同時に、仕事として割り切り、効率と成果だけを求める、仕事場としての空間だ。
「おはようございます、孝人さん!」
「おはよ、しおりちゃん。今日だっけ、十九階の書庫行き」
「はい。さっき、行きがけにお店によってきました。朝ごはんとお弁当を買いに」
文城印のおにぎりを抱え、駆け寄ってきた鳥の少女が笑う。
その脇を、紫のローブを付けた集団が、黙々と歩を進めていった。
「いつ見ても圧が強いなぁ、『グノーシス』の人らは」
「独特ですからね。悪い人たちではないんですけど」
この塔には、無限の資源と秘密が隠されている。ある者は、それを小集団の冒険者で追い求め、またある者は大きな組織によって解明しようとしている。
ギルド『グノーシス魔界派』も、そうした組織の一つだ。
「今度はいい本が出るといいね」
「この前は、全宇宙の料理本コーナーでしたからね。それじゃ」
怪しげなローブを付けた集団に合流し、先に塔へと入っていく姿を見送ると、俺は一緒に現場に入る連中の所に駆け寄った。
「よし、点呼するぞ! 呼ばれたら返事しろ!」
種族も格好もまちまちな作業員。その全てが『解除屋』か、その卵だ。
ダンジョンに無数に仕掛けられたトラップを解除し、トレジャーとは別の『宝箱』を安全に回収するための職能者は、常に需要があった。
そんな『解除屋』を育成し『引率屋』としてダンジョンの探索を引き受けるギルド、それが俺の修業先になった『甲山組』だ。
「そこのアホタレ! うかつに床を踏んで確かめんじゃねえ! そういうのはネズミかウサギみてえな軽い奴が、安全確保してからやるんだよ!」
薄暗い迷宮に、猪のだみ声が響く。
どやされ、涙目になったイヌが別の場所に回されるのを横目に、俺は地べたを這いずって、命を脅かす仕掛けに目を凝らす。
それが、俺の選んだ新しい『日常』だった。
「こ、こんにちはっ、お弁当の配達ですっ」
昼休憩にいったん下に降りるころ、いつものように
本人の性格もあって、やってこなかった出前も、少しずつ増えてきていた。
「今日はどんな感じ?」
「感圧板系が増えて、ワイヤー系を見かけなくなったな。そういう周期なんだってさ。そろそろガスの噴射口も警戒しろだって」
「そっか。ダンジョンって、そういうこともあるんだねえ」
「呑気かお前は」
文城は俺を見て、目を細めている。
「なんだよ」
「なんでもない。それじゃ、
「あんまりおまけしてやるんじゃないぞ。商売にお友達感覚は厳禁だぞ」
「うん。午後も、えと、ご安全に!」
文城は目に見えて明るくなっていた。今は、店の手伝いと弁当の配達をしながら、少しずつやれることを模索している最中だ。
あの時のみたいな奇跡的な、いや無謀な成功は、二度と望めない。
いや、望みたくないと、本人は言っていた。
「俺も、もたもたしてられないな」
トラップへの知識と解除の技術を身に着けているのも、次の挑戦のためだが、せめて攻撃補助ができるようになれば。
『あの竜頭か? 当然、ダンジョンのトレジャーに決まってんだろ』
コウヤは笑い、益体もない励ましを残して姿を消した。
『欲しけりゃ勝ち取れ。お前らなら、それができるさ』
「ぶらぶらおじさんめ。勝手なこと言いやがって」
優雅で自由な遊び人に悪態をついた時、
「おら、休憩は終わりだ! 七階が開いたとよ! 時間がねえんだ、急げ!」
親方の声にどやされて、駆けだす作業員たちを追うように、俺も走り出す。
言われなくたって、やってやるさ。
そのためにも、まずは地道な地固めだ。
夕日の茜色もなく、月も星灯りさえない、すすけた夜がやってくる頃。
「ただいまー」
疲れ切った体を押し込むように、『ムーラン』のカウンターに座る。
「お帰りなさい」
朝とは違う、つややかな笑顔を浮かべて、カウンターに陣取る乙女さん。酔いしれた常連が、片手を上げて挨拶するのへ、俺も片手を上げた。
「遅かったわね」
「親方のところで、ご馳走になったんで。その時、次の『引率』、付き添いに来いって言われましたよ」
「あら、大抜擢じゃない。その調子で『甲山組』に入っちゃう?」
「冗談」
上着に付けた『MDLG』のバッヂを指で示す。
俺の居場所、俺の仲間たちの場所は、ここだ。
「さっきまで紡君もいたんだけど、遅いって、怒って帰っちゃった」
「柑奈も?」
「そう。二人して『次の攻略はいつだー』って」
俺は目の前に置かれたグラスを口にして、笑う。
そういえば、しおりちゃんが帰ってくるのは、明日の昼ぐらいとか言ってたな。
「了解。そろそろ、具体的な話を詰めますよ」
「……もう一杯いかが?」
「これ以上飲むと、明日がきつそうだ。んじゃ、おやすみなさい」
いつものように、営業の終わった風呂の残り湯で汚れを落とし、部屋に戻る。
だが、いつもは大いびきをかいているはずの文城が、薄暗い部屋の中で、緑色の目をまん丸に見開いて座っていた。
「寝なくていいのか、明日辛いぞ」
「うん。さっきまで、カンナちゃんと紡君がいたんだ」
「聞いたよ。次の攻略の話だろ」
俺は壁に背中を預け、頷いた。
「明日の昼に、しおりちゃんが帰ってくるはずだ。その時に、話そうぜ」
「……うんっ!」
嬉し気に目をつぶると、文城は毛布にくるまって、寝に入ってしまう。
まったく、遠足待ちの子供かよ。
とはいえだ。
「まずは五階までだぞ。安定して登れるようにな」
「……十階も、また行くんだよね」
「俺もお前も、もっと強くなってからな」
「……うん」
会話が途切れ、いびきの音が大きくなるのを聞きつつ、寝床に身を横たえる。
やがて俺も、眠りにつくだろう。
この奇妙で不思議な、異世界という日常に包まれて。
そして明日も、その次の日も。
人生という冒険は続く。
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――ズッ
――プッ――――ザッ
――プツ―――ザッ―――――ザーッ
『Pの館より、お知らせです』
『本日、■■時■■分頃、新たな移住者の投下が、確認されました』
『投下地点は、北地区を中心とした周辺区域となります』
『最寄りの住民、並びにお手すきの方は、身柄の保護および、Pの館への誘導にご協力ください』
『繰り返します。本日、■■時■■分頃、北地区周辺にて、新たな移住者の投下が確認されました』
『最寄りの住民、並びにお手すきの方は、移住者保護にご協力ください』
『以上、Pの館より、移住者投下の、お知らせでした』
――ザッ。
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