10、たとえどんなにくだらなくても
塔のダンジョン、十階層。
ここのトレジャーである『プラチナチケット』を入手できるかどうかが、住民たちにとっての分水嶺。死ぬか生きるかに関わってくる。
それを阻む者の名は『ウィザードレイド』。
「まず、ウィザードたちの性質から、おさらいします」
広いフロアの内部構造が書かれた紙には、壁に埋め込まれた八つの結晶と、そこから出現するウィザードの説明があった。
「それぞれが火炎、斬撃、電撃、凍結、岩石、誘導魔法弾、束縛、熱線を使用します」
「各一種類、倒した奴は復活しない」
「はい。ただし、その身体は半実体で実体の杖を携帯。ダメージを与えるには結晶武器、もしくは結晶の力を通す、呪装が必要になります」
「あたしと
しおりちゃんは首を振る。
「私のギフテッドは、魔法じゃありません。植物を成育させるだけ。囮や安全地帯として植物を生やすことはできますけど、攻撃には使えないかと」
「あいつらが、火炎耐性とか持ってたりとかは?」
「そこも不明です。現在、この街における『本物の魔法使い』は『グノーシス』の木島さんと、数名のお弟子さんだけですし、討伐の際は信者の方が前衛に立つ、オーソドックスな攻略なので」
不安要素はあるが、ここまで来て、やめるわけにはいかない。
「二人が中に入ったら、俺たちはいつでも上がれるように十階直前で待機。あとは」
「あたしが適当に牽制をかまして、こいつが全力の火力を使う。簡単簡単」
「とはいえ、属性耐性なんてものがあっても困る。可能なら全体にまんべんなく、ダメージが当たってる方がいいな」
「なら俺たちで、出来る限りぶちのめし、もうダメだってなったら、俺の超魔法をブッパする、これでいいか?」
結局、この二人に頼るほかない。命を張って戦ってくれるこいつらに、何が言える?
「もし無理だと思ったら」
「そういうの禁止。あんたがやれっつたんでしょ? なら、命令して」
「そんな顔すんなって。案外、オレたち二人でぶったおせちゃうかもだしさ」
俺は頷き、そして
「俺たちが上がってくるまで、フロアに残ってもらうことになる。つまり、その」
「別にいいよ。死ぬわけでもないし。その代わり、終わったらしばらくは、あたしの命令に従って貰おうかな?」
「分かった。お安い御用だ」
軽口も罵倒も飛んでこなかった。ただいつものように、銃に新たな弾倉を装填した。
その隣で、鞘をこちらに手渡して、階段を上がっていく
「俺がヘイトを稼ぐから、ヤバそうなのから撃ってくれ」
「了解」
「流れ弾には気を付けてください。あの結晶には『絶対に』傷をつけないように」
「分かってるよ。あんなの『出したら』、クリアできなくなるしな」
五階の時と同じように、二人が階上へと昇っていく。だが、下の時とは違い、背負う気配に余裕がない。
そして、八つの結晶が一斉に発光し、虚空に何かが染み出てくる。
各一色づつ、おそらくそれぞれの扱う魔法に即したローブを身に付けた、顔のない魔法使いたちが、杖をかざす。
「いくぞおらあっ!」
二列に並んだ敵のど真ん中を、白い狼が突っ走る。
一斉に叩きつけられる、炎、氷、雷、輝く光の鎖が、はじけ、爆ぜて、それでも紡の足を止めることが無い。
「まずは、あんたからっ!」
鎖を飛ばしたウィザードの全身を弾丸が貫き、虚空でよろめく。その一撃に、残った連中が一斉に
突然、暗い穴が発生し、そこから射出される巨大な岩塊。
怯んだメイドの両脇から、銀と金の光の光弾が逃げ道を塞ぐように射出される。
「舐めるなぁっ!」
二丁を両脇に振り向け、ノールックですべての魔法を叩き落とす。
そして、
「おらああっ!」
真っ二つになる岩塊。それを左右に蹴り飛ばし、
「ごめん、CPU《のう》が熱くなってきた。こいつら相手じゃ、五分も持たない」
「なら攻守交替。あいつら一か所にまとめられるか?」
「三秒なら。タイミングあったら、構わず撃って離脱して」
宣言と同時に、柑奈の姿が青いロボに戻り、ふくらはぎと肩甲骨の辺りから、推進機関が露出する。
踊るように身をひるがえし、銃が
「孝人! これ回収頼むわ!」
手にしていた剣を床に置き、背中を俺たちのいる階段の方に向ける。
その間にも、背中と足から青い噴射炎を撒きつつ、青い鋼のロボメイドが魔法使いを翻弄し、弾き飛ばす。
それぞれが独立し、連携など考えていない、魔法で構築された存在が、次第に動きをコントロールされていく。
氷上でジゼルを踊るフィギュア選手のように、敵を囲う円を、柑奈が完成させた瞬間、
「双頭・超紅蓮爆裂波ぁっ!」
二つの閃光が破裂し、十階のフィールド全てを、飲み込んだ。
炎の渦が消え、突き出した鉛筆が自然発火しなくなってようやく、俺たちは十階へと足を踏み入れた。
熱が残った空間は、毛皮越しでも痛みを感じるほど。その片隅に、真っ黒に焦げた姿が転がっていた。
「かんなぁっ!」
「カンナちゃん!」
機体自体は残っている。
しかし、緑のカメラアイは吹き飛び、軽く火花を散らしている。
「起きてカンナちゃ」
「バカ、触るな! お前まで火傷するぞ!」
『あ……あー、ああ。そこ、いるの、ふみっち?』
ぎし、ぎり、という音と一緒に、
『ひっどいこえ、視界はブラックアウト、聴覚センサーもノイズだらけで、散々よ』
「あいつ、調子に乗りすぎだって。いくらなんでも」
『違う。
なんとか階段の方へ、よろめきながら歩きだす。手を貸してやりたいが、近づくだけでこっちまで燃えてしまいそうだ。
「か、柑奈さん、こっちです。分かりますか?」
『ありがと。たぶん、さっきぐらいの火でないと、倒しきれなかったの。最後の一瞬、回避しようとしてたのが、三体はいたし』
そのまま、燃え残った
『下で、待ってる。あと、よろしく』
倒れ込むように地上へ転移していく姿に、わずかに立ちすくみ。
「
振り返れば、部屋の奥の上へあがる階段辺りに、宝箱が出現していた。
「行くか」
犠牲は払ったが、誰も死んでいない。柑奈の方は心配だが、今はプラチナチケットを確保するほうが先だ。
空気が冷えていく。
突然の冷気が吹き込んで、壁に無数の霜が走り、部屋が底冷えする。
おそらく、ダンジョンの温度調節器が過剰に働いて――
「下がって! 孝人さ」
宝箱に伸ばそうとした手が、弾き飛ばされた。
爆発、閃光、激痛、その全てが拒絶になり、俺を成果から遠ざける。
「う、あ、ああっ!?」
毛皮の焼ける、きな臭さ。何が起こった、もうここに障害は。
その甘い考えを否定するように、壁に嵌っていたすべての結晶が、砕けて落ちる。
「うそ、だろ」
なんで、という疑問と、当然だという、過去の知識からの糾弾。
密閉空間に発生した超高温、それが急速に冷却され、激しい熱量の増減を生んだ。
熱膨張と急激な温度低下。結果として起こる物質の破壊。
「逃げて!」
宝箱の上に、そいつは冗談のように発生していた。
八つの頭を持つ杖を手に、八面の顔を乗せた異形の魔法使い。これを発生させないために、結晶を攻撃してはいけないと言われていたのに。
このフロアにおける、もう一体のボス。通称『マスターウィザード』。
その杖に宿ったすべての魔法が、俺に向けて叩きつけられた。
「『
目の前にそそり立つ、黒い防壁が大きくたわみ、次いで爆発する。
「うわああっ!」
激しく吹き飛ばされ、部屋の隅に転がった俺の目の前で、立ちすくむ鳥の少女へ振り下ろされる魔法の一撃。
かちり。
奇跡のように間に合った竜頭への刺激が、世界を止める。
走り出す。
秒針が無常のリズムを刻む間、泥の中を進むように走る。
間に合え、間に合ってくれ。
時間を数えている暇はない、大きくジャンプし、その身体を抱えて大地を転がる。
「
音が戻り、同時に激痛が、俺の両脚に焼き付けられていた。
「こうとさ」
ふたたび竜頭を叩き、時を止める。
敵が早すぎる、迷ってる時間は無い。
首から下げていた時計を外し、しおりちゃんの首にかける。
それから渾身の力を込めて、その身体を出口にいる、文城の方へ押し出した。
「きゃああっ!?」
「あうっ!」
二人がもつれ合いながら、地面に倒れ伏す。
どうやら想像以上に勢いがついてしまったらしい。時の止まった世界では、慣性の働きも違うんだろうか。
そんな間の抜けた考えを許される程度には、敵の動きに迷いが生まれた。
地面に転がった焼け死ぬ寸前のネズミと、合流して今にも逃げようとしている二人を、見比べていた。
「逃げろ、二人とも!」
叫ぶ。叫んで手の中の鉛筆を、目の前の敵に投げつけた。
失敗だ。撤退するしかない。でも、俺はもう無理だ。
「ダメだよ! 孝人も」
「約束したろ! 言うことを聞くって!」
ほんと、最後の最後で、ひどい事になった。
あいつを助けるつもりで、傷になるような命令をするなんて。
「時計、乙女さんに、返しといてくれ」
歯を食いしばり、両手に鉛筆を構えて、敵を睨み据える。
こういう時、なんかすごい力が覚醒して、こいつを倒せるとか、そういうご都合な展開が、あったりしないかな。
目の前の敵は迷うのを止め、杖を振り上げた。
「無理か。所詮は雑魚だもんな、ネズミなんて」
心の暗い部分で、肉塊の放った言葉が蘇る。
お望み通り、魔界のド底辺で、せいぜい這いずり回ってやったぞ、これで満足か。
俺の死が降ってくる。
杖が生み出す魔法の輝きに、ここで暮らした記憶がよみがえる。
たった一週間足らず、それでも、掛け替えのない。
「うああああああああああああっ!」
叫びが上がった。でも、それは俺のじゃない。
「あっ、ああっ、うあああああああっ!」
担がれている。担いだ奴が、俺の代わりに叫んでいる。
顔をぐしゃぐしゃにしながら、
「ううあああああっ!」
泣き声に混じって、世界に響き渡る秒針の音。
どんくさくて、ちっとも全力と思えない、それでも命がけの走りが。
「わああああああああああああああっ!」
階段の上に、油膜のように広がった転移の門に、滑り込んだ。
そして、奇妙な感慨が、口を突いて出た。
「生きてら」
下宿所の一室、ではない。清潔そうな白の天井と掛けられた寝具。匂いや気配からして病院だろうが、そんなものあの街にあったっけ。
片手を上げて、確かめる。
毛皮の手じゃない、人間の手だ。包帯を巻かれ、手当てがされている。
「もしかして、ゆめ、だったのか?」
電車に飛び込んで、無事で済むものだったろうか。生きていたとして、一生重い障害を背負って、生きて行かなきゃならないんじゃなかったか。
それにしても、やけにリアルな夢だったな。
「異世界転生、か」
まったく別の世界、異形のヒトたち、見ず知らずの俺を受け入れてくれた人々。
「ああ、そうだ。
泣きながら俺を担いでくれて、必死に走ってた。
そういや、人に自分の後始末をしてもらうなんて、久しぶりだ。
日本に居た頃は、なんでも自分でやれる気になって、がんばってがんばって、がんばりぬいて。
「しょうがねえな、俺は」
会社は死に体だった。
社長は虚勢を張っていたが、取引先は無くなり、給料も滞り始め、夜逃げするんじゃないかとさえ言われていた。
それでも、入ったばかりの新人の行く先や、あの会社でボロボロにされ、退職金さえまともに出ない同僚の行く末を、変えたいと思っていた。
でも、無理だった。
「一人にできる事なんて、そんなもんだよな」
あの日、俺は退職するつもりだったんだっけ。最後の古参がいなくなれば、死に体の会社にとどめが刺せると、そう思い込んで。
本当に、そんなことが可能だったのか。
何もわからない。俺の何が正しくて、いや、本当に正しいことなんて――。
「こうと!」
世界が薄暗くなった。
目の前に、ふっくらとした大きなネコの顔がある。
手を伸ばして、その膨れた頬を撫でた。
「だ、大丈夫? すごく、うなされてて……」
「……ああ、
くすぐったそうに顔をそらすと、枕元に座り直す
手が痛い、足も痛い、だが手当された包帯の下、欠けた部分は一つもないと分かった。
その時、大粒の雨が、俺の顔を濡らした。
「やだよ……」
歯を食いしばって、悔しさをいっぱいに浮かべて。
「あんなこと、言っちゃ、やだ」
本当に、その通りだ。
あの時はああするしかなかった。
でも、
「ぼくを、いるって、いってくれたのに、いやだよ、いやだ」
「それであんな無茶、したのか」
「やくそく、やぶって、ごめんなさい。でも、いやだから、いやだったから」
俺は目を閉じた。
そのまま、文城の朴訥な声が、嫌だ、嫌だと言ってくれるのを、静かに浴びた。
誰かが俺のことを、惜しんでくれる心を。
「助けてくれて、ありがとうな」
「――うん」
それから、文城の助けを借りて寝床から起きると、そのまま下の店に行くことにした。
大丈夫だと言っても聞かない、ネコの背中に背負われて。
待っていた仲間たちと、乙女さんが顔を上げ、歓声を上げる。
そのヒトの群れの向こうに、見慣れない男が立っていた。
「起きたか大将、大活躍だったそうだな」
長く鋭いマズルに咥えキセル。
着流しを身にまとい、腰には大小二本の刀を差し。
真紅の鱗が目を惹く、翼のない竜のようなそいつは、ニヤリと笑った。
「起き抜けで悪いが、その冒険譚、聞かせちゃくれねえか?」
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