Episode.28 god face

 暗い夜道を白く細い生脚が歩いている。

 あるのは森と、舗装された道だけ。

 どこかでフクロウが鳴いている。

 一本の街道をずっと進んでいくと、木々が減り、小さな教会が姿を現す。少し坂を上って、左へ曲がると、彫刻の施された木製扉がある。中へ入れば礼拝堂が。けれど、目的はそこじゃない。連絡を受けた場所はもっとその奥、四つに区切られた壁の絵画のうち一番左側に立つ。空に浮かぶ神々を民衆が崇めている。手前のオレンジ色の服を着た男性の背中に窪みがあり、そこに親指以外を突っ込んで後ろへ引けば、地下階段が現れる。ちょうど下のほうから空腹を刺激する匂いが運ばれてくる。すでに準備は整っているらしい。

 階段をゆるやかなカーブでコツコツ下っていくと、蝋燭の明かりが見えてくる。手狭な部屋に、豪華な食事が並んだ長テーブルがあり、奥の座席に三人の男女の姿がある。左側はローリー・ファーレンという気弱そうな少年、右側がリクセ・シャイ、そして上座にいるのは、


 「ああ、マリアさん。お仕事ご苦労様です。突然お呼びしてすみません」


 神父の姿をした男――アルベッツ・ゴットネス。


 「別に」


 暗赤髪の少女、マリア・ダルクは愛想のない態度でリクセから一つ離れた席に座る。


 「それで、何体偽神にしてきたの?」


 リクセが左肘を背もたれに乗せ振り向くと、マリアは前を見据えたまま答える。


 「一体も」

 「は?」

 「まだ誰もってないから」

 

 呆れたようにハッと息を吐く。


 「あんた、私たちの目的をわかってる?幸せそうにしてる鼻につく連中から幸福を根こそぎ奪ってやるのよ。胸糞悪い奴らを絶望と恐怖に陥れる。それがこの組織の思想であり真髄でしょうが。なのにあんたは、他の信者が国中で働きまわってるっていうのに、やる気ってもんがないみたいね」


 マリアは無視するように何も言わない。その態度がリクセの癪に障った。


 「あーあー、そうですか。その若さで随分と偉そうでご立派。さすが、つい最近まで実の父親に犯されまくっただけのことはあるわね」


 ガタンッ。

 マリアは椅子から立ち上がり、横目でリクセを見下ろす。瞳の奥は酷く憎悪を滾らせている。リクセは鼻で笑った。


 「何よ、事実でしょ。いいじゃない、男から性的な目で見られて。一体何が不満なのよ」


 マリアの手が目の前のグラスを掻っ攫い、リクセの顔に水がビシャッとかかった。顔や髪からポタポタと水が滴り落ちる。首回りもびっしょりだ。あ然とするローリーは、リクセの体が小刻みに震え出したのを見て、フードをつまみ身を屈める。


 「あんた、やってくれたわね」

 「うるさい」

 「そもそも、あんたをはじめて見たときからムカついてたのよ。ちょっと見た目が可愛らしいからって周りから気を遣われて」

 「うるさい」

 「なに被害者ぶってんのよ!そういうところが一番ムカつくっつってんだよ」

 「うるさいうるさいうるさいうるさい!」

 「――お二人とも。もうやめましょう」


 互いに掴みかかろうとした女たちの間に、悲しそうにするアルベッツが立っていた。


 「お互いを傷つけ合ってはいけません。我々は同志なのです。その怒りはもっと別のところへ向けましょう」


 黙り込む二人。アルベッツは優しく微笑む。


 「どちらも苦悩を抱えている。人は心がいっぱいいっぱいのとき、余裕でいられない生き物です。ですが、そんな自分を責めず、焦らずゆっくり、回復のときを待ちましょう。我々が今していることはそのためにある。あなた方の苦しみを癒し、解き放つために」

 「…申し訳ありません、アルベッツ様。今後は言動に気をつけます」

 「分かって下されば良いのです」


 リクセは素直に座り直し、マリアもそれ以上は何も言わなかった。修羅場が一旦落ち着きを取り戻すと、ローリーはフードの下からちらっと様子を伺い、大丈夫とわかってホッと息をつく。


 「おやおや、皆さん。どうかされましたか?」


 新しい声がこの場に入ってきた。奥に厨房があり、出てきたのは二人の男女。一見ほとんど似通っている彼らは、全体的にカクカクとした肉つきをしており、大きな顔に目、鼻、口、が点のサイズしかない。エプロンもピンク色とお揃いで、違うのは髪型だけだ。短めの髪を高い位置で二つ結びにしているので、右側が女のほうである。

 それはそうと、彼らは返り血でべったりだ。食事のいい匂いに混じって厨房の奥からおぞましい悪臭がにおってくる。アルベッツは気にせず双子をにこりと迎え入れる。


 「アーツさんにハンナさん。いえいえ、何でもありませんよ。お気になさらず。ちょうど今、マリアさんがご到着されたところでした」

 「おお、そうでしたか。では、全員揃ったということで。ご機嫌よう、マリア譲」


 兄のアーツ・ベッキーのほうが右手でよっという素振りを見せると、マリアはちらっと視線を返した。彼女なりの挨拶の限界らしい。今度は妹のハンナ・ベッキーが顔の横で手を組み可愛らしく首を傾げた。


 「じゃあ、皆さんでお食事を頂きましょう」

 「そうだね、妹よ。我々も座ろうか」

 「そうしましょう、兄さん。ワタシもうペコペコで」


 アーツとハンナはともにローリーの後ろを通り、横に並んでドサリと座り込む。アルベッツとマリアもそれぞれの席へ移動し、計六人がテーブルについて向かい合う。アーツとハンナは同じタイミングで祈るように手を組む。


 「数多の生命に感謝して」

 「我が身の糧と致します」


 他の者は双子が祈り終わるのを静かに待つ。その後、一斉に食事へ手を伸ばす。料理のうち7割は、野菜と果物で作られたものだ。豊富な種類がアートのように美しく皿に飾られている。残る3割は肉で、スライス、ミンチ、蒸し焼き、など色んな食べ方が楽しめるようになっている。

 アーツは肉料理のことを自慢げに紹介した。


 「本日の肉は動物たちを生きたまま捌いていた料理人の男を使わせていただきました。彼にも同じ痛みを味わってもらうべく、我々も力を入れました」

 「暴れ回るのを押さえつけるのには苦労しましたね、兄さん」

 「そうだね、妹よ。前回の狩人は事前に息の根を止めていたからね。しかし、苦労の甲斐あって、彼は地獄へ落ちる間際、動物たちに酷い仕打ちをしてきた日々を、まさしく死ぬほど後悔したことだろう。そうなってくれていればどんなに良いことか」

 「でも、元はといえば彼らが悪いんですからね」

 「そうとも。いや、そうとも!」


 アーツがフォークを持つ拳でテーブルを叩くと、食器類がガチャンと揺れた。


 「なぜ彼らのような人間は、動物たちをわざわざ生きたまま殺してしまうのか。なぜ苦しませる?なぜ生きたまま腹をさばく?なぜ生きたまま煮えた鍋の中に入れる?僕にはその精神が理解できない。彼らは心が痛まないのか?あんなにも愛くるしい動物たちに残虐な行いを尽くし、それでも平然と居られる彼らが殺しても殺しても殺したりないくらいに憎い―――おっと」


 激しい怒りの面がぱっと元に戻った。手元の皿ごとステーキを叩き潰してしまっていた。


 「皆さん、失敬。少々取り乱してしまったようです」


 アーツは手拭きで肉汁を拭き取りながら言う。


 「気にせず料理をご賞味くだされ」

 「ローリーさん、お味はいかが?」

 「…えっ、あ、お、おいしい、です」

 「それは良かった」


 ハンナとぎこちないローリーの会話のあと、アルベッツは一旦フォークとナイフを置き、紙ナプキンで口元の汚れを拭いた。


 「アーツさんのお怒りは最もです。アーツさんたちはアーツさんたちの正義を全うすればよいのです。そのおかげでたくさんの小さな命が救われることでしょう」


 うむうむとアーツとハンナは腕を組んで満足そうに頷く。


 「やはりアルベッツ様はわかっていらっしゃる」

 「アルベッツ様のようなご理解の深い方に出会えて本当に良かった」

 「ところで、はアトラシアアカデミーへの潜入に成功したんでしたよね?」


 急にリクセが猫なで声になった。その顔はうっとりとし、二つの肉垂を机にたぷっと乗せ前のめりでアルベッツを見つめている。


 「ええ、そのようです」

 「ほんとすごい!顔だけじゃなくて中身も優秀なんて…惚れ惚れしちゃうわ(あ〜っ、あの子に抱かれたい!あの顔で熱烈なキスでもされたらたまらないわ…!)」

 「きっと良いタイミングで我々に有益な情報をもたらしてくださることでしょう――さて」


 突然、アルベッツの声が。うっすらと開いた目の奥は狂気の闇に染まっている。


 「幸せそうにしている連中を全員、殺してやりたい。ズタズタに、バラバラに、引き裂いてやりたい。お前たちは知らないだろう。世の中には望まない精神的苦痛を与えられ日々苦しみ喘ぐ人間がいることを。お前たちと私の間には見えない境界線がある。どう足掻いたところで私はそちら側へは行けない。私が手に入れられないものを簡単に手に入れられるお前たちが憎くて仕方がない。だから殺し、奪うのだ。私が味わった絶望と苦しみを一生お前たちにも味わせ続けてやる。この宗教仮面ゴットフェイスで」


 まるで何者かが乗り移ったかのような喋り口調に信者たちは眉をひそめた。

 実際、彼らには見えていなかった。アルベッツの背後に佇む髪の長い恐ろしい怨念の形相を――


 


 


 

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