Episode.25 real face
シャウリーは女子トイレの鏡に映る自分の顔を見つめた。横に開けば便座がある、深緑の古びた木製扉が映り込んでいる。手洗い器の縁に手をつき、さらに顔を覗き込む。思い出すのは、先程のネモのわざとらしい嫌味な態度である。
(あれぐらいのことでめげてはダメよ、シャウリー。あなたは顔だけの女じゃない、心も強いの。美しい女性は身も心も備わっているものよ)
周りにはだれもいない。シャウリーはつい口元を緩ませる。
(ここに来るまで36人が私にぼーっと見惚れていたわ。そんな数、人気のモデル並みじゃない。腫れた顔だというのに、上出来ね)
虹彩がくっきりと見える美しいブルーの瞳と見つめ合い、深く頷く。
(私はだれよりも可愛いの。だって、学年一の美少女なんですもの。この究極の才能を今日も堪能しましょ)
うふふと笑い、女子トイレを後にしようとする。
フレアと目が合った。ピタッと立ち止まる。
身を固くし、見つめ合う二人。
「……」
「……」
「…あっ、シャウ――」
「どうしたの?フレアちゃん!あ、女子トイレに来たんだから何をしに来たのかなんて分かりきってるわよね。私ったら何を言ってるのかしら。見てのとおりここには今だれもいないから、好きにトイレの場所を選んで平気よ」
「い、いや、シャウリーがなかなか教室に戻って来ないから心配で…。具合でも悪かったらどうしようって」
「そうなんだあ〜!フレアちゃんって本当にやさしい。私はこのとおり元気よ。だから一緒に教室へ戻りましょ」
「う、うん。そうだね」
さらりとなびく髪から花の甘い香りを漂わせ、横を通り過ぎていく。フレアは今しがたシャウリーが立っていた場所を見つめ、内心、冷や汗をかく。
(さっき、一人で笑ってなかった?)
彼女の後ろをついて歩きながら、均整の取れた美しい歩き姿をチラッと見る。
(いやでも、あのシャウリーだよ?鏡に映った自分の顔を見てニヤけてるなんて、ありえない。見間違い、見間違い)
とはいえ、一度気になりだすと、ついつい目で追いかけ観察してしまうというもの。
翌日の昼休憩のときのことだ。チーム・スカーレットで食堂を後にし、中庭に面する廊下を歩いていた。周りにいる生徒は男女を問わず、シャウリーの存在に気づくなりポッと頬を染め、類い稀な美貌に見惚れていく。相手と目が合うと、シャウリーもうふふと微笑み、鷹揚に手を振り返す。見慣れた光景のはずが、なぜか意図的にやっているようにしか見えない。
そのあと、教室前廊下で談笑していたら、別クラスの女子グループがそばを通りかかった。彼女たちはシャウリーに気づくと、はっきり聞こえる声で「シャウリーちゃんだ!可愛い〜!」とはしゃいでいた。当の本人に目を向けると、これまた錯覚だろうか、みんなで楽しく笑っていたときより満足そうににこにこしている気がした。
(いや、これはもう、疑いようがないかも…)
フレアはうーんと唸った。
❖❖❖
その夜、フレアたちの部屋に五人で集まることになった。フレアがじゃじゃーんと取り出したのは、暇つぶしにもってこいのトランプカードだ。何をしようか考えたところ、とりあえず定番のババ抜きからやろうということになり、いざシャッフル。デメトリアにカードを渡そうとしたら腕をクロスさせていらないと拒否されたので、ローズのベッドに背を預け仮眠を取り始めた彼女を除き、カードを取り囲む。五人とも大分腫れが引いてきたので、普段どおりに喋れるし、昼の分まで夕食にありつき元気だ。
四人にカードが行き渡る。その後ペアを捨て、一番枚数の多いシャウリーからスタートとなった。
「う〜ん…。どれにしようか迷うわねぇ」
フレアから差し出された手札をのぞき見て、首を左右にゆったり傾げるシャウリー。迷いながら手を伸ばし、「じゃあ、これにしようかしら」と5枚のうち右から2番目を選んだ。カードをひっくり返し、表の面を確認するなり、ぱっと表情が明るくなった。
「ハートのA!やったあ、嬉しい!これで手持ちが軽くなるわね」
「あちゃー、やられちゃったなあ。あともう一枚横にズレてたら嬉しかったのに」
「フレア、自分でバラしちゃってるわよ」
「あっ!!」
シャウリーは口元を隠してお上品に笑う。手札が7枚から6枚になった彼女は、次のエレーナに裏返した手札を差し出す。
「さあ、どうぞ。エレーナちゃん」
彼女はいつでも微笑みを絶やさない。品よく、当たり障りのない声で喋る。
(本当のシャウリーがどんな子かっていうのはわからないままだけど、もう詮索するのはやめよう。人には一つや二つ、誰にも言いたくないことだってあるだろうし)
エレーナが左端のカードを迷わす抜き取った向かいで、フレアはうんうんと頷く。3番目のローズにエレーナの手札が向けられた。
「自分を偽り続ける人間は、見ていて疲れる」
………。
フレアはバッと傍らに居座る人物を振り返った。
(デメトリア!?――寝てる。)
彼女はしっかり目を閉じ、マフラーに顔の下半分を埋めている。エレーナの手札からまだカードを抜き取っていないローズは左手を中途半端な格好にしたまま、小首を傾げた。
「今のは、寝言…?」
「自分を偽り続ける人間は見ていて疲れる、って言ってたわね。一体誰のことかしら」
ギクッとするシャウリー――を目撃したフレアは内心だらだら汗をかく。
(二人とも!ストップストップ!シャウリーがギクッてなってるから、これ以上はやめてあげて!)
心の中で必死に呼び止めるフレアだったが、二人の様子を見て、あれ?となった。
エレーナもローズも何か言いたげにシャウリーのほうを見ている。
まさか、と思う。
(二人とも…もしかして、気づいてる?いや、っていうか、ここにいる全員…?)
ちらっとデメトリアのほうを見ると、彼女は薄目を開けていた。さっきのはやはり寝言ではなかったのだ。
(シャウリー…)
ここまでくると、もはや言い逃れはできない。四人の視線は本人の口が開くのを待っている。
シャウリーは観念したように目を閉じると、懺悔をする罪人の重みを漂わせはじめた。
「ごめんなさい、皆…。確かに私は、いつも仮面をかぶって過ごしているわ。察しのいい人たちには、すぐに見破られてしまうものなのね。自分が滑稽に思えて仕方がないわ」
「いや、そこまでは言ってないから」
エレーナが横から突っ込むも、シャウリーは依然として罪人の面持ちをしている。
ローズは恐る恐る聞いた。
「どうして、仮面を…?」
「それは…話せば長くなるわ」
「手短に言え」
「わかったわ」
極度の面倒くさがり屋なデメトリアは他人のことにも容赦がない。
シャウリーは息を震わせ深呼吸をすると、胸に手を当て、目を開いた。
「私が仮面をかぶる理由…それは、モテたいから!」
四人は押し黙った。
シャウリーは勢いに乗って続けた。
「可愛く生を受けて16年…。会う人会う人に、可愛いね、綺麗な子ね、と言われ続けてきたわ。私はその度に、痺れるような感覚を覚えてきた。一度味わうともう忘れなれない。そう、モテることは、私にとって、最上の喜びなの!」
いつしかシャウリーは立ち上がっていた。四人は唇を真一門に閉じ、まるでミュージカルを演じているようなチームメイトを見上げていた。彼女はようやく落ち着きを取り戻したのか、ふぅと息をつくと、普段の後光の差す天女の姿に戻った。
「そういうわけで、私は見た目の美しさを磨くだけじゃなく、心まで完全な美少女を演じ続けるの。だけど、それで疲れたことは一度もない。むしろ、達成感すら感じているわ。だって、頑張り続けた結果が返ってきてるんだから」
シャウリーの話はここで終わりを迎えたようだ。エレーナは微かながら頷いた。
「…なるほどね。聞いて納得したわ。話してくれてありがとう、シャウリー」
「いいえ、こちらこそ、聞いてくれてありがとう」
すると、ローズが小さく手を挙げ、「あの」と質問した。
「シャウリーさんは、どうしてゴッドブレイカーを目指そうと思ったんですか…?」
「え?」
「えっと…。他のみんなの理由は知ってるのに、シャウリーさんのことだけ知らないので…」
「たしかに。私も気になる」
フレアはすかさず同意した。
「デメトリアもだよね?――うん、だってさ」
「言ってない」
じろりと見てくるデメトリアを無視し、目でシャウリーを促す。
「そう、よね…。チームメイトにくらい、話すべきよね」
はじめてシャウリーから微笑みが消えた。うつむく横顔から不安を感じ取ったフレアは「大丈夫?」と顔を覗き込む。
「シャウリー、もし言いにくいんだったら、ムリにとは――」
「いいえ、大丈夫。ぜんぜん平気よ。誰にも話したことがない秘密、皆にだけ言うわね」
シャウリーは小さく息を吸い、寂しそうに笑った。
「私の家、貧乏なの」
その一言だけで、フレアたちはすべてを悟った。
「お金のために…ですか?」
「うん、はっきり言えばそう」
ローズが眉を八の字に下げて聞くと、シャウリーは即答した。
「ほら、ゴッドブレイカーって死と背中合わせの分、報酬もかなりのものでしょう?仕送りするには十分すぎるほどある。それにアカデミー自体が国のお金で賄われているから、学費や食費もすべて
「そうだったんですね…」
「あと、寮生活ということもあって、私が家を出れば家庭費も少しは浮くものね」
今でこそ淡々と語るが、当時は相当悩んだんじゃないだろうか。ハイリスクを覚悟の上で、家族の暮らしを優先したのだ。
「これ、」
シャウリーは袖を少し引き上げた。白く細い手首が露わとなり、そこに五種類の淡い色がきらめく。ビーズで繋ぎ合わせたブレスレットだ。それを目にした途端、表情がふっとやわらぐ。
「私が小さいときに母が作ってくれたものなの。街へ出かけたら、可愛いもの、オシャレなもの、たくさんあった。でも、どれもこれも高価なものばかりで、とても買う余裕なんてなかった。多分、私がいつもショーウィンドウを覗いてアクセサリーを欲しそうにしていたから、母が気を遣ってくれたんだと思う。身に着けたとき、自分がお姫さまにでもなった気分で、嬉しかったわ」
当時のことを語り終えると、大事そうに袖を戻す。
「家族の支えがあって、私はここまで生きてこられた。だから、今度は私がお返しする番なの。私がゴッドブレイカーを目指す理由は、こんな感じよ。聞いてくれてありがとう、皆」
エレーナは首を横に振る。
「お礼をいうのはこっちのほう。あなたはあなたなりに、家族のために頑張ろうとしていたのね」
「うん、簡単にできることじゃない。本当にすごいよ」
「ありがとう、二人とも」
シャウリーはエレーナとフレア、それぞれに感謝の微笑みを向けた。
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