Episode.16 each other's past
帰りのホームルームが終わると、クラス・イグニートの生徒は一斉に立ち上がり、荷物をまとめにロッカーへ向かった。
フレアは一人座ったままだった。あれからエレーナともまともに口をきいていない。
ローズがスクールバッグを肩にかけ、顔色をうかがうようにして近づいてくる。
「フレアちゃん…。帰らないの…?」
「ゴメンね。ちょっと、考え事したくて。先帰っててくれるかな」
「…うん。わかった。じゃあ、またあとでね」
「うん。また」
軽く手を振り、少し寂しそうな背中を見送った。
(――あ)
ロッカーの前に立つツインテールの背中が目につき、目で追った。エレーナは一度も振り返ることなく、教室を出て行った。
「…ふぅ」
次第に人の気配も薄まっていく。
最後の笑い声も廊下の向こうへ遠のいていくと、この場は静けさだけが残る。
フレアは机に両腕を置いて突っ伏した。
今はとにかく頭の中を空っぽにしたい。
しばらく目を瞑り、何気なく頭を右へ向ける。
薄っすら目を開けると、おぼろげな視界に人影がぼやあと映り込む。
ドキッとした。
(え?誰?なんでまだいるの?ていうか、あの席って…)
フレアの隣の隣は、デメトリアの席だ。
心臓のあたりがヒヤヒヤしてきた。しっかりと目を開けて確認したいが、目が合ったらと思うと怖くて見られない。
(どうしよう。このまま寝たフリをして気づかなかったことにしようかな。はあ…。私ってば、何でこんなこと考えてるんだろ。デメトリアさんは同じチームなのに。でも私、きっと嫌われて――)
「なぜ話しかけてこない」
フレアはバッと起き上がった。教室の中は二人しかいないので当然のことだが、デメトリアはフレアに話しかけていた。
「何でって…。だって私、デメトリアさんに嫌われてるんじゃ…」
「別に嫌っていない」
「で、でも!チームの話し合いのとき、ずっと私睨まれてたし…」
「話しかけるタイミングを伺っていた」
(えーーーー…。あれが…?)
デメトリアは教壇のほうを向いたまま、言った。
「そもそも、刃を向けたこと自体間違いだった」
「え?」
「入学日でのことを言っている」
「あ…」
「偽神への憎悪を無関係な人間に向ける。それこそ、未熟な精神の持ち主のすることだ。私はまだまだ子供じみていた。あの日のことを陳謝する」
フレアは目をまるめた。てっきりまだ憎まれているのだと思い込んでいたために、なんだか肩の荷が下りていくような気がした。
「デメトリアさんって意外とよく喋るんだね」
「普段は始終口を閉じている」
「どうして?」
「他人と口を利くのは面倒でならない」
アハハ…とフレアは苦笑いを浮かべる。「だが」と続けられた言葉に、ふっと表情を戻す。
「今は必要なことだと思い、話している」
「…そっか」
フレアの口元がかすかに緩む。
もしかすると、フレアがめげずに話しかけ続けてきた頑張りが、今に繋がっているのかもしれない。
「ねえ。どうして今日、レベル1じゃなくて、レベル3を選んだの?良ければ教えてもらえないかな」
彼女は強い。クラスメイトなら誰もが知っている。今日の突飛な行動も実力がある故の自信からくるものだと、誰もが思ったことだろう。なんとなくだが、フレアにはそうは思えなかった。
デメトリアはゆっくり目を閉じると、しばらく経ってここではない遠くを見つめる。
「母親の命を奪ったのも、レベル3だった」
少しの間が空く。フレアは黙って続きを待った。
「今でも鮮明に覚えている。奴には翼があった。多くを喰い殺した後だったか、
暗き瞳が宙を睨み、鈍く光る。
気持ちを落ち着かせるように深く息をつくと、表情はすぐに戻った。
「奴にはあきらかな悪意があった。人を殺すことを楽しんでいるのではない。人が不幸になる様を見て愉しんでいる。奴のあの顔を見て、私はそう思った。この憎しみは一生忘れないだろう。奴ら自体を許すことも当然ない」
「……」
「だが、お前は違う」
「え?」
「私とは逆だ。救済しようとしている。何故だ」
デメトリアに見据えられ、フレアは戸惑う。
「それを、言ってもいいの?私が…デメトリアさんに」
殺したいほど憎む相手を助けようとしている話なんて、それこそ彼女の気を害するのではないか。しかし、それはフレアの取り越し苦労だったようである。
「こちらが話せと言っている」
つまり、促しているのは自分だから、遠慮なく言え、と。
フレアは話す決意をした。
「…さっきデメトリアさんが言ったみたいに、実は私にもあったんだ。他人と口を利くのが億劫になった時期。それで――」
一度、ちゃんと話を聞いてもらえているかどうか確認してから、安心してフレアは続ける。
「――それで、私、他人を遠ざけてた。わざと。その頃からかな。イライラすることが多くなって、母ちゃんと口げんかしたりしてさ…。なんでこんなにイラつくんだろうって、しばらくはわからなかった。でも気づいたんだ。私はイライラする原因が他人にあると思ってたけど、違ってた。原因は私。私のあの態度が周りをイヤな気持ちにさせて、それが自分に返ってきてただけだったんだ。
そこからはまるっと態度を変えて、積極的に他人と関わるようにしていった。そのうち、だれかといる楽しさみたいなのを思い出してきて、今ではこんな感じ。…えっと、つまり、何が言いたいのかっていうとね」
フレアは体の向きをわずかにデメトリアがいるほうへと変えたが、目は斜め下を向いている。
「そういう誤りって、気づいたらやり直せばいいと思うんだ。だから、ひいおばあちゃんに偽神を元に戻す方法があるって言われたのを思い出して、それが人生をやり直せるキッカケになればと思った。…これが私の理由。信念、なんだ」
デメトリアがどう受け止めるかはわからない。否定されても仕方がない、とも思っている。
デメトリアは言った。
「やはり、理解できない」
――やっぱり。
「だが、否定もしない」
フレアは顔を上げ、デメトリアを見た。デメトリアもまた、フレアのことを見ていた。お互いにはじめて、敵意や恐怖を抜きに、まっすぐ面と向き合った気がする。
心のわだかまりがスゥーッと溶けていくのを感じながら、フレアは微笑んだ。
「私もデメトリアさんの気持ち、全力で受け止める。聞いてくれてありがとう」
すると、デメトリアは席を立ち、蝋燭の地味なシャンデリアが吊り下がる天井を見据えた。
「まだ終わっていない」
「終わってないって…何が?」
フレアもつられてゆっくりと席を立つ。
遠い記憶を睨むように目を細め、拳にグッと力が入る。
「あの頃の私は何の力も持たない非力な子どもだった。だが、今は違う。毎日死物狂いで剣を握り、あのときの仇を討つに足る力を得た。明日こそ、それを証明する」
ホログラムの訓練は、結局時間切れに終わってしまった。つまり、まだ勝てていない。デメトリアの全身から殺気にも似たオーラが滲み出ている。フレアは決心する。
「私も協力する!」
最後の会話だけ、忘れ物を取りに来た金髪の男に偶然聞かれていたことを二人は知らない。
❖❖❖
夜が明けた。
この日の午後も、予告通りホログラムによるチーム戦の特訓だった。
昨日と同じ流れで次々と順番が回り、七番目にしてチーム・スカーレットの名前が呼ばれた。
二階ではブレイドが欄干に両腕を乗せ見下ろしている。
「さーて、今日はどーするよ。また昨日と同じ愚行に走るのか?それとも――」
「レベル3で」
フレアがはっきり言うと、二階のほうでザワつく気配があった。後ろにいるエレーナも信じられないといった目をしている。
「ほーお?昨日で懲りてねェみてぇだな。…まぁいい。好きにやってみろ」
「は!?」
エレーナは二階のほうを睨み上げ、ついでフレアの背中に目を落とす。
「あんた…気でも狂ったの…?」
その声は、どこか悲しげだった。
「エレーナ」
「信じて」
澄んだ瞳は自信という光に満ちあふれていた。
「フレア…?」
一体何の根拠があるというのか。だというのに、その通りに信じ込まされてしまうから不思議だ。
「第二ラウンドだ」
ブレイドの操作により、フレアたちは再び光の檻の中に閉じ込められた。鉄製床から光る粒子がエビ反りの鱗を形成し、やはり現れ出たのは人魚の怪物だ。鬼の形相が牙を剥き出しにして叫び上げると、STARTの文字が表示される。
ほぼ同時に、フレアが走り出す。
「フレア!?」
「フレアちゃん…!!」
何も聞かされていないエレーナとローズは驚いた。
フレアは得意の瞬速で一気に敵の側面へと回り込んでいく。敵もフレアの姿を捉え、体をひねらせ追ってきた。
「グギャアアアア!!!」
グワッと伸びてきた手がフレアを押し潰さんとする。フレアは大鎌を振るってそれを退け、次に来たもう片方の手を後ろに一回転して避けた。
できるかぎり交戦せず、敵の注意を引き続ける。それには大きな意味があった。
(こっちのことは私に任せて。だからそっちは、任せた)
フレアは目一杯に息を吸い込んだ。
「デメトリア!!!」
ヒュンッと横切る疾風の影。
まっすぐ敵のほうへは向かわず、天井へと駆け抜ける。靴裏をダンッと天井につけ、力強く蹴った。
デメトリアはそのまま長剣を振り上げ、真下の人魚の頭頂部めがけ落下していく。
「―――ッ」
落下と同時に振り下ろされた一メートルの刃は、人魚の頭頂部から胸下あたりにかけて真っ二つに切り裂いた。
人魚が絶叫を上げ、光の粒子となって弾け飛ぶ。
フレアたちの頭上にCLEARの文字が金色に輝く。
「うそ…」
ぼう然とするエレーナのその向こうで、満面の笑みで喜んだフレアがハイタッチを求めてデメトリアへ近づいていく。
「デメトリア!勝った!勝てたね!やったあ」
だが、掲げられた右手の意味がわからないデメトリアは、「なんだこれは」と、ガシッと手首を掴んだ。フレアは痛みに顔をしかめながら笑った。
「ちがう!ちがう!これはハイタッチ」
「なんだそれは」
「えぇ!?知らないの?やったーっていう喜びをだれかと分かち合うやつだよ」
「はじめて聞いた」
「え〜?そうなの〜?困ったなあ」
あははっ、とフレアがデメトリアと楽しそうに笑っている姿を見て、エレーナは狐に包まれたような面持ちになる。
「一体、何があったの…」
昨日の二人のやり取りを知らない者からすれば、犬猿の仲だった人間がたった一夜にして肩を組んで笑っているぐらいの感覚だろう。
しかし、ローズはパチパチ手を叩いて嬉し涙を浮かべ、シャウリーも安心したように微笑んでいる。
フレアはデメトリアとの会話をいったん止めると、ぱっと振り向いた。
「エレーナ!」
大事な友人に向かって白い歯を見せて笑い、親指を立てた。
そんな天真爛漫な姿に、エレーナもつい笑みをこぼしてしまう。
「まったく…やってくれるわね」
エレーナとローズとシャウリーは二人のもとへと近づきていき、フレアは手を広げて、デメトリアは体の向きを変え、彼女たちを迎え入れた。
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