Episode.7 swear in front of a crowd

 黄金の女神像は微笑をたたえ、礼拝堂を埋め尽くす黒服を、慈愛の眼で見下ろしている。

 背面の幻想的な神話の壁画と一体化して、神々しい物語の世界へ見るものを誘う。

 荘厳に満ちた空間は、無用な話し声や乱暴な足音など、聖域を冒涜する一切の音を禁じた。

 やがて、教師陣を代表し強面の男性教師が前へ出てきて、祭壇の階段の脇に立つ。


 「――予定時刻となりました」


 声は静かに発せられたが、響きやすいドーム状より最後列にまでしっかりと届いた。


 「これより、新入生による宣誓式を執り行う。まず始めに、全員で主へ祈りを捧げる。――“我が主と共に”。」


 祭壇の正面、新入生の中間あたりで指揮者を務める女性教師が台へと上る。スッと手を挙げると、新入生を挟み合う形で並んでいた教師陣は一斉にあごをあげた。左右男女に分かれた列をなしており、アカペラで歌う。指揮が始まると、四拍子置いて、男女の美しい歌声が重なり響く。


 “我が主の名は フィーランス

 慈悲を司る 救いの女神

 遥かなる大地超え

 善人ぜんびとの身に流れる 御身の血

 悪しき魂を炎が浄化する

 天の導き 風のやすらぎ

 大地に雨のお恵みを

 嗚呼 戦い行く我等にどうか

 勝利と栄光を 与え給え


 我が主の名は フィーランス

 美貌を司る 愛しの女神

 主より託されし この力

 数奇な運命を 共に歩まん

 雷鳴は天空へ轟いた

 世界が凍りつくとき

 光と闇はひそかに混じり合う

 嗚呼 死に行く我等にどうか

 人類の未来への希望を与え給え


 降りしきる毒の冬

 音はどこへ逝くのだろう

 時の狭間に取り残され

 私達は万物の無に返る

 癒やしの光が永久に根をはり

 際限を知らない空間が

 花木を移ろいつづける


 悪神へレイドが残した死の呪縛

 打ち砕かん 主の力で…“


 美麗な余韻を残して、祈りの歌は幕を閉じた。しんとなった礼拝堂で、指揮者の女が台から立ち去っていく。

 男性教師は進行を続けた。


 「新入生の諸君に、モルガディオ校長から挨拶が送られる」


 モルガディオは彼のすぐ隣に立っていた。男性教師から一礼を受けるとそれに軽い会釈で応え、祭壇へ続く階段を一段ずつ上がっていく。

 彼も同様にマイクを通さず、地声のしわがれた声で新入生に話しかけた。


 「御早う。我が校の新たなる学生諸君。学長のモルガディオ・オッドネスじゃ。と言っても、儂のことは入学試験のときにすでに知っておろうから、今さら自己紹介は不要じゃろう」


 モルガディオは後ろの女神像を振り返った。


 「我々は女神フィーランスから恩恵を賜り、女神へレイドから呪いを受けた。言い伝えにもある通り、二人は姉妹で、生まれたときから、片や自然の力を操り、片やその身を変幻自在に変えることができたという。まさに、アトスと偽神そのもの。我々は二人の女神と切っても切り離せない関係にあるのかもしれん」


 新入生のほうに再び向き直る際、鈍色のローブをばさりといわせた。

 

 「偽神は、精神の負荷に耐えられなくなった者が発症すると言われておる。当然、彼らに罪はない。じゃが、偽神に墜ちた者は自我を失い、他の人間を殺戮しようとする。我々はそれを必ず止めねばならん。そのためならば、命が燃え尽きる覚悟を持ってでも、誰かがやらねばならんのじゃ」


 モルガディオは、新入生一人ひとりの顔を見ていくようにゆっくり見回す。


 「宣誓とは即ち、その覚悟の程を皆の前で表明するということじゃ。とはいえ、目的や思いは人それぞれじゃろう。全員とは言わん。己の意思を皆の前で宣言したいという者だけ挙手し、この場所へ上がってくるとよい。さあ、一番目は誰が行く?」


 サササッと割とたくさんの手が挙がった。モルガディオは嬉しそうにうむうむと頷く。


 「では、誰を当てようかのう」

 「――そこをどけ」


 後列のほうで冷徹な声がした。

 途端、人の流れが激しく起こり、声の主の周囲は五メートル以上誰もいなくなった。

 いや、正確にはいる。男三人、女一人。彼らも同じ新入生だが、若い身でありながら、声の主の側近という特別地位を持っている。

 声の主はどこにいても目立つ存在だった。なぜなら、指定の制服が黒であるにもかかわらず、彼だけがデザインは似通っているが特別製の白制服を身にまとっていたからだ。

 厳粛たる校内でそんな勝手が許されるのは、この国で唯一人しかいない。

 驚きと憧憬の眼も無視し、自分の為に出来上がった道を当然のように突っ切っていく。彼が祭壇の手前までやって来ると、モルガディオは深く頷いた。


 「やはり、貴方が一番手でしたか。シルヴァス殿下」


 モルガディオでさえも敬意を示さなければならない相手、シルヴァス・セイクリッドは未来のこの国を背負って立つ威厳と風格、そして王族たる気品を兼ね備えた美貌に銀髪をさらりと揺らし、堂々と祭壇に上り立った。


 「当然だ。私がこの場所へ来た目的を、皆に知らしめておく必要がある」


 王国の貴公子を思わぬところで目の当たりにし、新入生たちはざわついた。


 「何故、シルヴァス様のようなお方がアカデミーに…?」

 「さっき見間違いだろうかと思ったけど、やっぱりそうだったんだ!」

 「画面越しと同じで、少し近寄りがたい雰囲気がある…」

 「当たり前だ!一生お目にかかれるかどうかの立場にある御方なんだぞ。俺たちとは訳が違ぇよ」


 シルヴァスが顎を持ち上げ小さく息を吸うそぶりを見せると、ささやき声はピタッと止んだ。異様な静けさに包まれた礼拝堂で、白銀の王子からピリピリとした空気を感じとり、数十人が息を呑む。


 「我が名は、シルヴァス・セイクリッドである」


 全体の空気が――一瞬にして変わった。

 目の錯覚であろうが、類い稀な美貌が銀色の光暈ハローをまとっているようにさえ見える。

 近づきがたい威光があれど、自らかしずきたくなるような、なまめく不思議な感覚が彼らに生まれた。

 

 「この国は、偽神による被害が年々増加傾向にある。国は偽神になりうる可能性のある者を目の届く範囲に管理し、いつ何時偽神が発生しても対処できるようにとの施策を打ち出すなどしたが、結果は先に述べた通りだ。ゴッドブレイカーの人手不足がさらに深刻化するのも時間の問題だろう。すなわち、我々は現在、国家存亡の危機に直面しかけている」


 新入生たちはいつしか緊張の糸が解け、呼吸するのも忘れてシルヴァスの話に聞き入っていた。


 「城の中に留まっていては、実情を把握することは不可能だ。よって、私自ら現地へ赴き、この目と耳でこれまで見えていなかったものを確認する。そうすることで、この芳しくない現状を打開する策を講じられるはずだからだ。いや、必ずそうする。この国の未来を死守すべく、なんとしてでも解決の糸口を見つけ出す」


 他を寄せ付けない程のオーラはすべて王国、ひいては国民の平和のためだと知るや、新入生たちは胸の奥がジンと熱くなるのを感じ身体を震わせた。


 「なんて御方だ…!民のために、自分の身を危険に晒してでも責任を全うしようとするなんて…」

 「シルヴァス様、素敵…」

 

 新入生たちの目の色は、彼が語る前とであきらかに変わっていた。壇上から降りてきたシルヴァスを多くの者が瞳の奥を輝かせ目で追っていく。

 もとの位置へ戻ったシルヴァスに、従者の一人が後ろから声をかける。


 「シルヴァス様。いつもながら、聴衆の心を惹きつける御言葉に敬服致します」

 「聴衆を惹きつけようとした覚えなどない」


 シルヴァスは凍てつく刃のごとき無表情のまま、従者からのねぎらいをはねのけた。


 「…うむ。では、次の者に移るとしよう。二番手に行きたい者は挙手を」


 促したものの、モルガディオは新入生を見回すなり「はて?」と首を傾げた。


 「ずいぶんと数が減ってしまったのう」


 最初のときは三分の二の数が挙手していたが、それが半数以下になるほど激減してしまっていた。モルガディオはうめき声を上げつつも、仕方が無いといった様子で長い髭をつまんで上下にさすった。


 「では…―――お主、名は何と申す?」

 

 誰のことを言っているのかわからず、モルガディオの視線の先にいた者たちは互いを見合い首をひねった。モルガディオが顎をしゃくってさらに促す。


 「そこの、右目に小さな切り傷の跡がある、主のことを言うておる」

  

 相手はようやく自分のことを言っているのだと気づいた。


 「俺…?」

 「そうじゃ。名は?」

 「フォンセ・カーテです」


 黒髪に赤い目の涼しい顔立ちをした少年は、モルガディオのほうをまっすぐ見て答えた。


 「フォンセ・カーテ…。そうか。では、フォンセよ、壇上に来て喋ってもらおうか」

 「はい」


 フォンセはためらわず祭壇へと向かった。大勢を前にしても一切動じず、冷静の中に情熱の炎を感じさせる声色で言った。


 「俺は困っている人を助けたい。そのためにここへ来ました」

 「…………ん?以上か?」

 「はい。俺の中にあるのはこれだけです」

 

 目が嘘偽りのない気持ちだと語っていた。

 モルガディオは小さく何度も頷く。


 「そうか、わかった。本当にもう良いんじゃな?」

 「はい」

 「ありがとう、フォンセ。戻ってよいぞ」


 フォンセは壇上を去る際、モルガディオと正面に対してそれぞれ丁寧に目を伏せた。


 「では、どんどん行くとしよう。次は――」


 「ん?」とモルガディオの眉間に深くシワが寄せられた。右端あたりに立つ、ダークグリーンの髪を無造作に伸ばした背の高い女の生徒を見ている。挙手する者を当てるはずだが、その生徒は挙手どころか、虚空を睨むように祭壇から目をそらしている。


 「…マフラーで口元を隠したそこの娘よ。名は何と申す?」


 特徴的な見た目ゆえに、生徒はすぐに自分のことだと気づく。

 おもむろに振り向いたヘーゼルの瞳は、内に暗い感情を燃えたぎらせているように見えた。


 「…デメトリア・ヴェルディグリ」

 「デメトリア、というのじゃな?どれ、ここへ来て、胸の内を語ってはみんか?」

 「…手を挙げていない」

 「儂が聞きたいのじゃ。先の短い老人の切なる頼みだと思って、聞いてみてはくれんかの」


 デメトリアはどうするのか考えたのち、登壇するほうを選んだようだった。

 モルガディオの近くへ来るなり、マフラーを外さないまま、こもった低い声で話し出す。


 「10年前、偽神によって母親を目の前で殺された。私は奴らを許さない。必ず殺す。以上」


 言い終えるなり、さっさと来た道を引き返してゆく。普通なら咎められそうなものだが、不幸な境遇ゆえか、その不遜な態度に対し教師側は何も言わなかった。


 「…そうか。目の前で母親を…。つらいことを思い出させてすまなかった。ありがとう、デメトリア」


 モルガディオは少しの間、自身の足元を見つめると、ふぅーっと深く息を吐き、気を取り直したように「では、次」と言った。


 「今度は誰が――」

 「はい」


 真っ先に手を挙げたのは――フレアだ。すぐそばのローズは、天高く突き上げられた右手を見上げ、口をあんぐりとさせていた。モルガディオも彼女の前のめりな姿勢に満足している様子だ。


 「ホッホッホ。ここはどうしても譲れないようじゃ。では、今度はお主にお願いしようかのぅ」


 フレアはもう一度笑顔で「はい」と言い、登壇するより先に相部屋の友人のほうを振り返った。


 「あっ、よかったらローズちゃんも一緒に――うおっ!?」


 ブンブンブンブン!!!

 普段大人しい彼女からは想像もできないような、なんとも激しい首の振り方だった。ローズは(見たまんまだが)人前に出るのが苦手なタイプらしい。これにはフレアも苦笑ってしまう。


 「そ、そんなにイヤなんだ…。じゃあ、ローズちゃんの分まで、行ってくるね」

 「い、いってらっしゃい…」


 若干疲れたのか、眉を八の字に下げて笑うローズに手を振って見送られる。

 フレアは登壇の道中でも、いつもどおりの笑みを浮かべていた。それは、大勢の前に立ったあとでも変わらなかった。


 「フレア・バーンズです。私は――」


 フレアは上着の右ポケットに手を当てた。そこには、曾祖母から貰った大切な形見が入っている。もうこの世にはいなくても、こういう形でそばに居続けてくれる大事な人のことを思いながら、フレアは張り切った声で言った。


 「私は、偽神になった人たちを元の姿に戻すために、ゴッドブレイカーになることを志しました」


 ザワッ…!

 礼拝堂は一瞬にして騒然となった。

 誰も彼もが、何を言っているんだとばかりに訝しみ、首を大きくひねり、隣近所でひそひそと話し込んでいる。


 「…あ…れ…」


 フレアはひどく困惑していた。想像していた反応とまるで違う。何かまずいことでも言ったのだろうか、と。


 「えっと…あの…」

 「皆の者、静粛にせよ」


 モルガディオの一言により、いったんは静けさを取り戻す。ただ、異様な雰囲気であることに変わりはない。

 モルガディオはフレアのほうに向き直る。


 「フレア・バーンズ君、だったかの?」

 「あっ…はい!」

 「一つ聞くが、何故君は、そのようなことを思いついたのかね?」


 フレアはえっという顔をしてから、必死に言葉を探すように目をウロウロさせる。


 「私のひいおばあちゃんが、以前…そう、言っていたから…です。偽神になった人を…その、元に戻せるんだよって…」

 「ふむ…」


 返答の意味をじっくり考えるように、モルガディオは顎に手を添える。そして。


 「…君のひいおばあさんがどういう意図でそのようなことを言ったのかはわからぬが、一度偽神に堕ちてしまった人間を元に戻す方法は現時点で見つかっておらぬ」

 「え…。う、そ…。だって――」


 ――ひいおばあちゃんは、確かにそう言っていたはずなのに。

 フレアは続く言葉をグッと飲み込んだ。

 言われてみれば、記憶というものは本来曖昧なものだ。それが幼少期の頃のものならば、なおさら。


 (じゃああれは、私の、記憶違い…?)


 信じたくはない。だが、周囲の反応がそれを裏付けているような気がして、現実を突きつけられる。


 (なら私は…一体何のために、ここまで来て…)


 そのとき――背筋がゾッと凍りついた。

 心臓の鼓動がドクドクと脈打つ。フレアは恐る恐る周囲を見回す。


 (なんか今、殺気を感じたような…。気のせい?もう、わからない…)


 あれだけ絶えることのなかった自信に裏打ちされた前向きな笑顔は、どこかへ消え去ってしまっていた。

 


 


 

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