Episode.5 pass/fail

 (なに、これ…)


 視界が悪い。それに、なんだか焦げ臭い。

 フレアは片腕で鼻を覆い隠した。


 (臭いまで再現されてるなんて。すごい)


 状況を確認しようと、辺りをぐるりと見回す。

 フレアはとっさに耳を押さえて前屈みになった。


 「ヴヴガアアアアアアァァァッ!!!」

 「あ…っ!!」


 鼓膜の奥がビキビキと痛み、必死で耐えた。

 あきらかに人間の肉体から生み出される声量をはるかに超えた叫び声だ。例えるならば、そり立つ壁のごとく巨大で、強暴な何か。

 途端、急に視界が晴れた。

 ほぼ同時に、大人数の人間がこちらに向かって叫び上げながら走ってくる。


 「は…?」


 頭が追いつかず、肩を何度かぶつけられるがまま、立ち尽くしてしまう。

 暑いと思ったら、頭上に太陽が出て爛々と輝いていた。澄み渡る青空に、絵の具で線を引いたような繊細な雲。地上は見渡すかぎり煉瓦造りの建物が連なっている。

 全てが本物。――いや、そう思い込まされるほどに完璧なまでに再現された、偽物なのだ。

 なら、もそうなのだろうか。


 「お、おい。アレ…」

 「なんてデカさだ…」


 志願者たちが目を見開く先で、今にも大木のような両腕が振り下ろされようとしている。次の瞬間、爆発にも似た音が轟き、家屋がめちゃくちゃに粉砕された。そこから上空に向かって汚い土埃が舞い上がり、少し遅れて空から大小さまざまな石の雨が遠くにいるフレアたちのほうにまで降ってくる。


 「いっつ…!」


 破片の凶器から頭をかばって守る。中途半端に屈んだ姿勢から両腕の隙間を覗き、フレアは恐怖におののいた。

 背面の空を隠す巨体の化け物がこちらを睨む。

 

 (あれが、偽神。はじめて見る)


 話に聞けば、偽神に同じ姿形をした個体は存在しないという。フレアたちの目の前にいる偽神は、はっきりと人間の体つきを保っている。しかし、首から下はバキバキに鍛え抜かれた男性の身体であるのに対し、そこに逆上して真っ赤になった幼い子どもの顔が乗っかっているという、歪な姿をしている。

 

 「あ…っ!!」


 逃げ遅れた住民はまだたくさんいた。偽神は怒り狂ったような声を上げ、何棟もの家屋を一気に跨いでその背を追いかけた。地面が激しく揺れる。追いつかれた住民は、そのままグチャリと踏み潰され、掴まってすぐ大量の血しぶきとともにパンッと弾け飛んだ――ような。なぜ、そんな曖昧な表現をするかというと、死んだ瞬間だけ霧がかかったようにぼやけて見えたからだ。恐らく、過度な負荷を与えてトラウマを植えつけないための、学校側の配慮なのだろう。

 しかし、それでも過酷な現実を知らしめるには十分な効果があった。

 フレアは思った。モルガディオのいう適正判断とは、戦闘に関する能力値だけでなく、精神力の強さなどさまざまな面も見られている。

 刻一刻と時間だけが過ぎ去る中、いまだに誰も動けていない。

 固唾を飲む静寂を切り裂くように、フレアの後ろでサッと動く影があった。


 「――…エレーナ!?」


 うずくまる中年男性にツインテールの少女が駆け寄る。地面に膝をつき、相手の状態を確認する。男性は怪我こそしていなかったものの、苦しそうに心臓のあたりを押さえていた。


 「胸が苦しむの?」

 「あ…ああ…。もともと、心臓の病を患っていて、苦しくて、動けない…。た、助けてくれ」


 エレーナはやさしく微笑み、頷く。


 「大丈夫、安心して。必ずあなたを救い出してみせるわ」

 「…ありがとう」


 男性の苦しげな顔に安堵の笑みが浮かぶ。


 「さあ、立って。とにかく、安全な場所まで移動しましょう」

 「ああ…」


 エレーナは男性をゆっくり立ち上がらせると、それから周囲の志願者たちに向けて言った。


 「周りをよく見て。飛んできたガレキや、逃げる際の衝突事故で、何名かが負傷しているわ」


 ハッとして、彼らは自分たちの周囲に目をやった。暴れ狂う偽神にばかり気を取られていたせいで気づかなかったが、エレーナの言うとおり、住民の何人かが地面に倒れている。


 「動ける者はすぐに動いて、彼らを安全な場所まで運ぶのを手伝って。そうすれば、私が治療を行うわ。もし、他にも治療ができる者がいるなら名乗り出て。いいわね?」

 「あっ…はい!!」

 「りょ、了解!」

 「私、癒の属性者です!」

 「なら一緒に来て」

 「は、はい!」


 エレーナの的確な指示により、つい先程まで突っ立っていることしかできなかった志願者たちが確実に息を吹き返しはじめた。

 たくさんの志願者たちを率いて遠のいていくエレーナの背中を見ながら、フレアはぐっと拳を握りしめる。


 (すごいよエレーナ。私は、どうすれば…)

 「…お、俺だって…!!」


 誰かが言った。


 「俺たちはゴッドブレイカーになるために、ここまで来たんだ!そうだろ!?お前らもそうなんだろ!?」

 「あ…ああ!そうだ!」

 「その通りよ!」

 「だったら――」


 その者は剣を引き抜き、大量の死を撒き散らす脅威に刃を向けた。


 「――戦おうぜ!全員でかかればやれるはずだ!こんなところで立ち向かえなくて、ゴッドブレイカーになんてなれるかよ!」

 「…っ!!」


 彼の立ち向かおうとする姿勢が周りに伝染していく。そこら中で武器を構える金属音が響く。


 「い…っ、行くぞー!!」

 「オオーー!!」


 50人程による突撃が始まった。

 住宅街を大勢の若者が駆け抜けていく。

 その場に残った志願者の中には、うなだれて、すでに諦めている者もいた。


 (私は…!)


 フレアは奥歯を食いしばり、背中の大鎌の柄を掴んだ。


 (私だって、ゴッドブレイカーになるんだ!彼らとおんなじ。そのために、ここに来たんだ!)


 彼らに続いて踏ん張り走り出そうとするフレアの足を――何かが絡めとった。

 それは試験前にモルガディオが志願者たちにかけた言葉。


 (目の前の光景を、現実であると思い込む…)


 フレアは武器の柄を掴んだまま、いま一度、現時点での被害状況を遠目から確認してみた。

 火炎により黒煙が勢いよく吹き荒れる周囲は、広範囲に渡って瓦礫の山と成り果て、街の一部は壊滅的な被害を被っていた。恐らく、数えきれないほどの死人が出ていることだろう。偽神が発生してから数分足らずでこのありさまということは、あの偽神の災害レベルは7段階のうち6以上と言っていい。

 今の自分は、ゴッドブレイカーどころか、父親から武器の使い方を教わりある程度の力を身につけただけで、偽神に関する経験など何一つなく、素人とさほど変わりはない。

 そんな自分が、あの歩く災害に矛を振るって、何か役に立てるのだろうか。

 無駄死にするだけ――。


 (…いや、)


 フレアは再び、柄を握る手に力を込めた。


 (そんなことはない!私にも何かできるはず…。父ちゃんと訓練してきた時間を思い出せ!)


 例えば、炎の弾丸を撃って敵の足止めをする。

 例えば、重症を負わすことはできなくとも、足の腱を切り裂いて、これ以上の進行を阻止する。

 例えば、そう、他には…

 フレアは考えに考えたあげく、柄を引き抜こうとして――やめた。

 身を翻し、敵に背を向け走り出す。

 フレアは、浮かない表情で、瓦礫の破片が転がる石畳を自分の足が踏みしめていくのを見つめた。


 (きっと、今の私の行動を見て、逃げ出したと考える人もいるだろうな…。でも、)


 グイッと顔を上げ、突き進み続けた。


 (今の私の実力で戦闘に加わっても、きっと役に立てない。そうだ…。自分の力を過信するな!だったら、この命を大事に使って他にできることをする!エレーナのように)


 住民は異変に気がつくなり、慌てて家を飛び出したのだろう。どの民家も玄関の扉が開けっ放しになっていた。手前の民家から順番に駆け込み、手当り次第に中を確認していく。


 (もしかしたら、逃げ遅れた住民がいるかもしれない。何かの事情で逃げられない人とか…――!)


 扉が開いていない状態の民家が目についた。ひょっとしたら、とすぐさま取っ手に手をかけ引き開けた。


 「あ…」


 老婆がいた。立てないのか、座り込んで小刻みに震えている。近くに杖が転がっていた。玄関を跨いで、急いで老婆のもとへ駆け寄った。


 「おばあちゃん大丈夫?立てない?」

 「あ…足ぃが悪ぅてのぅ…。わしゃ、ひとりで暮らしておるから、逃げようにも逃げれんのじゃ…」

 「だったら私がおぶって、安全なところまで運ぶから。遠慮なく乗って」

 「あぁ、すまんのぅ」

 

 フレアは武器をいったん床に下ろし、老婆のシワシワの腕をとって自分の肩にかけさせ、せーので担いだ。思った以上に軽く、少しびっくりした。


 「じゃあ、行くね。しっかり私の肩を掴んでて」

 「ありがとねぇ」


 恐る恐る玄関の外を覗き込み、安全とわかるなり駆け出した。

 あとは偽神の脅威が及ばない範囲から抜け出すまで、とにかく走るだけだった。

 これが今の自分にできる最善の行動だと信じて。

 その後もフレアは、逃げ遅れた住民や負傷者がいないかを探すべく、走って、走って、走り続けた…


         ❖❖❖


 「た、だいまー…」


 帰宅したフレアは、玄関にたどり着くなりぐったりと倒れ込んだ。外はすっかり薄暗い。

 

 「おー!フレア、おかえり!どーだった?」


 サンがキッチンルームの椅子から立ち上がり、疲れきった娘を元気に出迎えた。夕飯の支度中のセレーヌは、出来立てのパイ包みを載せた皿をテーブルに置きながら、娘の様子を遠くから見つめている。

 うつ伏せの娘からうめき声のような返事があがる。


 「たくさんの人を、救って、きた…」

 「???」


 わけが分からず、サンはポカンとした。


 「運動能力とかアトス能力値を見る試験じゃなかったのか?」

 「うん。ぜんぜん、ちがう…」

 「そーか…。どうだ?合格できそうか?フレア」

 「…わからない」


 あのとき、何をするのが正解で、どれが不正解だったのか。終わったあとの長い帰り道で無意識に考え続けたが、結局答えはまとまらず家に着いた。

 合格発表の日まで不安な日々が続きそうだと、フレアは思った。

 慣れ親しんだ空間に来たらどっと眠気が襲いかかてきて、だんだんとまぶたが重たくなっていく。気づけば、そのまま眠りについていた。

 二週間後、バーンズ家の郵便受けに一通の封筒が届く。アカデミーからだった。


 「………」


 郵便受けから封筒を取り出して、かれこれ1時間。フレアは、テーブルに置いた封筒とにらめっこを続けていた。ソファのところで肩に力が入った娘の後ろ姿を、サンは武器の手入れをしながら、セレーヌはキッチンルームで紅茶をズズッとしながら、それぞれ固唾を呑んで見守っている。

 フレアの手がついに封筒へ伸びる。ピクッとする両親。娘の様子をうかがうようにしながらそっと立ち上がった。

 娘が封を切って中身の紙をそーっと取り出す背後から、結果を覗き見る。

 堅苦しい挨拶文からまず始まり、次に「今回の試験で見極めさせていただいた結果――」と続く。その横に視線をスライドさせると、合格の二文字がそこには確かにあった。


 「やっ…たーー!! 合格だあ〜〜!!!」


 フレアは涙目になって大喜びした。何度確認しても、書いてある結果は変わらない。合格だ。


 「良かったじゃないかフレア!毎日毎日、鍛錬がんばったおかげだ!」

 「うん!ありがとう、お父ちゃん!」


 サンも一緒になってガッツポーズした。しかし、セレーヌだけは複雑な面持ちとなり、喜びを分かち合う親子から目をそらしている。


 「…本当に行くんだね」


 フレアは感激するのをやめて、母親を見た。そして、こう言った。


 「お母ちゃん。私、死にたくない」

 

 セレーヌは目を見開き、サッと顔を上げた。


 「でも、やりたいことがある。だから…行く」

 「フレア…」


 今の彼女は、二週間前とはまるで別人に見えた。

 知らない間に育っていく我が子を潤んだ瞳で見つめ、それからかすかに頷く。


 「…そうかい。わかった。だったら、やりたいことやって、悔いのない人生生きな。それがあんたの幸せなら、もう止めやしないよ」

 「うん。ありがとうお母ちゃん。行ってくる」


 二人はどちらからともなくギュッと抱き締め合った。そこにサンの大きな体も加わり、離れていったあとの寂しさを埋めるように家族の温もりを三人で感じ続けた。


 


 

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