Ⅰー2

 レオノールは産褥さんじょくで体調を崩し、寝込んでいた。

 危機感を覚えた彼女は、悪い体調を押して外出することを決意する。病床にあって満足に娘の世話ができない自分に替わり、娘を世話するにふさわしい使用人を探すためだ。


 ブルゴスの町に不案内な彼女には、アティマフの聖母大聖堂付属修道院が営む孤児院しか、当てはなかった。


 その日。

 孤児院は、地に足がつかないような、落ち着きのない雰囲気に覆われていた。孤児たちは、アルマス城伯家のレオノール嬢の来訪を、修道女から告げられていたからだ。生まれたての娘を世話する使用人見習いを探すのが、目的だという。


 孤児院は、未成年の面倒しかみない。男は一四歳、女は一二歳で成人になると、容赦なく追い出されてしまう。


 七歳を過ぎた児童は、見習いとして大人の仕事の手伝いを始める。その意味では、七歳を過ぎたら、成人前に引き取り手が現れるかどうかが、孤児たちの勝負どころだ。


 女児が選ばれるだろうから、彼女らは、身だしなみのチェックに余念がない。


 それをよそに、七歳のインマ・ガルシアは、一人、七歳未満の小さな子供たちの面倒をみていた。


「目がトロンとしてきたね。お眠なのかな? いい子でねんねしましょうね」

 インマは、抱きかかえている赤ん坊を、ゆらゆらと揺する。


 彼女は、生来の献身的な資質を備えていた。孤児院に勤める修道女たちは、殊更に誉め言葉を口にはしないながらも、心中ではインマを高く評価していた。


 そこへ、レオノールが姿を見せた。顔色は青白く、一見明白に体調が悪そうだ。

 彼女のもとへと、女児たちが無慈悲に殺到する。皆、子供ながらに、鬼気迫る表情をしている。

 

「レオノール様。あたしを連れていって!」

「ダメ! 行くのは、あたし!」

「きゃっ! 服を引っ張るな!」


 女児たちが浮足立ち、あっという間に、騒然とした状況へ置かれた。


「あなたたち。落ち着きなさい!」と、修道女が収めにかかるが、女児たちは、どこ吹く風でレオノールへ群がり続ける。


 こんな子たちに娘は任せられない、とレオノールは瞬時に悟った。胸中に、諦観の念が漂う。


 たまらず顔を背けると、超然として赤子をあやしている女児の姿が、ふと目に入った。

 

 ──ああ! なんて優し気な……。


 あれは、いやいや面倒を見ている顔ではない。彼女に、霊感がささやいた。


 修道女たちが寄って集って苦心惨憺さんたんし、その場は、ようやく収まった。


 応接室というには質素な部屋へ通され、レオノールは、やっと落ち着きを取り戻す。

 

「申し訳ございません。レオノール様」などと、統括者らしき修道女が謝罪の言葉を重ねるが、心に響かない。

 これを無難に受け流し、彼女が口をつぐんだところで、レオノールは、話を切り出す。

 

「赤ちゃんを、あやしていた子がいたようですが……」

「ああ。インマですね。あの子が気になりますか?」

「ええ」

「では、連れて参ります」


 しばらくして、インマが連れてこられた。


 やせ型の体形で、亜麻色の髪、茶色の瞳をしている。これは、隣国のネフクラ王国人によく見られる特徴だ。

 顔立ちは整っているが、愛嬌があり、美人というよりは、かわいい感じの印象がある。

 ゆるふわの髪をツインテールにしているのが、またかわいらしい。


 彼女は、ペコリと頭を下げる。貴族を前にしても、尻込みする気配は感じられない。


 レオノールは、彼女が委縮しないよう、極力穏やかに会話を始める。

 

「あなたのお名前は?」

「インマ・ガルシア」


「小さな子の世話が、好きなのかしら?」

「うん。かわいいから好き」


「それは、誰にでもできることではないわ。あなた、偉いわね」

「そうかな? あたしは、幸せな気持ちになれるから、やってるだけだよ」


「私の赤ちゃんの世話をお願いしたら、やってもらえるかしら?」

「それは……嬉しいけど……」と、インマは、急に歯切れが悪くなった。何か迷っている様子だが、レオノールは、その意味を計りかねた。


「インマ。あの子たちの面倒は、私たちが責任をもってみるから。あなたは心配しなくてもいいのよ」と、彼女の心情を感じ取った修道女が、助け舟を出した。


 どうやら、面倒をみてきた子供たちに情が移り、後ろ髪を引かれているようだ。

 レオノールは、少し気の毒に思った。だが、これは年下の子に愛情をもって接してきた証だ。そう考えると、好感が持てた。


「こんなにいい機会は、二度と訪れないに違いないわ。あなたは、自分をもっと大切にすべきです。このお話は、ぜひお受けしなさい」と、迷っているインマに対し、修道女が諭す。


 これで、インマは、踏ん切りがついた。一転して、晴れやかな表情になる。

 

「わかりました。レオノール様。よろしくお願いします」と、元気に言った。


「それは頼もしいわ。では、お願いしますね」

「はいっ! あたし。頑張ります」


 翌日。

 インマは、修道女に連れられて、ブルゴス城へ出向いた。

 住み込みで働くことになるが、彼女の持ち物は、質素な衣服が数着ばかり。驚くほど少ない。修道女たちが、金を出し合って、わずかばかりの餞別をくれた。ありがたさが、心に染みた。


「インマ。よく来てくれたわね。歓迎するわ」と、レオノール自らが出迎えてくれた。傍らにいる門番は、インマのことを、全くと言っていいほど、気にかけていない。


 レオノールと門番の温度差が、ちぐはぐだと感じる。子供ながらに、割り切れなさを覚えた。


「レオノール様。これから、よろしくお願いします!」と、その気持ちを振り払うように、インマは快活にあいさつをした。


 そのまま真っすぐに、レオノールの部屋へ通される。


 ベビーベッドが置かれており、セシーリアの寝かされた姿が目に映る。息が止まるほどに驚嘆し、目を見張った。我慢ならずに、セシーリアのもとへ駆け寄る。

 

「わあ! まるで天使みたい! 清らかで、かわいくて……ああ、言葉になんてできないよ」


 インマは、うっとりとした表情で、セシーリアの顔にじっと見入っている。

 セシーリアは、まだ生まれてまもなく、視力は弱いが、インマの顔を見つめ返しているように見えた。彼女のハートは、見事に撃沈される。


「ああん。もう、胸のときめきが止まらないわ!」


 インマは、セシーリアの異体にも、まったく忌避感を覚えなかった。


 それは、献身的で、母性の強い、彼女の性格のなせる業に違いない。加えて、無垢な子供だからこそ、セシーリアがまとう清浄で高潔な空気を、感覚的にとらえてもいた。


 こうして、二人は出会った。


 ところが、程なくしてインマは、途方に暮れた。城の使用人たちは、セシーリアの育児を全く手伝ってくれない。


 レオノールの食事からして、アルマス家の家族との同席は許されず、使用人用のものだ。それも、使用人用の食堂での同席も気まずいため、自室で食べていた。


 レオノールの体調は、悪化の一途をたどっている。ついには、母乳がほとんど出なくなった。セシーリアは、まだ離乳食を食べられない。これは命の危機だ。


 陰ながら助けてくれる使用人はいるものの、表立った協力は、城主の手前、望むべくもない。


 インマは、乳を提供してくれる人物を探すべく、まずは、孤児院の修道女を頼った。だが、心当たりはないという。


 解決策が見いだせない彼女は、ブルゴスの町をあてどなくさまよう。

 町で傭兵の男とトラブルになっていたところを、運よく、ズイノレ亭という居酒屋兼食堂の女将マルタ・モレノに助けられた。


 インマは、お城での事情を、かいつまんで話す。


「よしっ! 任せときな。実は、娘のホアキナが、先月、子供を産んだばかりでねえ。体が丈夫なもんだから、余った乳を捨ててるほどなんだ。もう一人くらい、なんということはないさ」


 インマは、突然差し込んだ希望の光に、喜びが隠せない。

 以来、インマは、セシーリアを連れて、ズイノレ亭に入り浸る日々を過ごす。


 それから一月ほどして、レオノールが静かに息を引き取った。形ばかりの、最低限の葬儀が行われる。それは、アルマス家の酷薄さを、端的に表していた。





「この子。目が悪いんじゃないのかい?」


 一歳を迎えたセシーリアをあやしていたホアキナは、深刻な事実に気付き、狼狽のあまり声を上げた。

 

「まさかっ! そんなこと」

 

 ズイノレ亭の仕事の手伝いをしていたインマは、即座に駆け寄る。


 生まれて間もない乳児は、そもそも視力が弱いが、一歳を迎えるころには、ほぼ成人に近くなる。

 実際に、セシーリアより一月早く生まれたハビエルは、興味のある物を見つけては、部屋の中を活発にハイハイしていて目が離せない。

 

 セシーリアは、彼に比べて、ひどくおとなしい。これは、女の子だからだと思い込んでいたのだが……。

 

 インマは、セシーリアの目の前で、指を動かして見せた。確かに、ほとんど反応できていない。


 インマは、否定できない事実を突き付けられ、セシーリアの未来を悲観せずにはいられない。とめどなく涙が流れた。

 

「お嬢様は、何も悪くないのに……神様は、なんて不公平なの?」

 

 インマは、もはや神に不満をぶつけるしかなかった。

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