第一章 運命の交差

Ⅰー1

 神聖ルースガア帝国のオイレンブルク朝は、第三代皇帝の御代みよとなり、全盛期を迎えていた。


 カバレスベア王国の地方領主から始まったオイレンブルグ家は、長年にわたり、婚姻政策へ執拗に注力してきた。そして、その執念は実を結んだ。 ついに、ユーレミヒ地方で最大版図を誇る、ルースガア帝国皇帝の地位を手中にしたのだ。


 のみならず、オイレンブルク家の一族は、ほかにも国王や領邦領主の地位を数多く獲得している。今や、ユーレミヒ地方の大半が、オイレンブルグ家の勢力下にある。


 現皇帝カールⅤ世・ハインツ・フォン・オイレンブルク=ツェーリンゲンが兼任する君主・領主の地位は、二〇を超えている。彼は、多言語を自在に操る優秀な頭脳を持っていた。そんな彼は、支配下の国々を巡る視察を人生の楽しみとしていた。


 



「陛下。お寛ぎいただけますよう、誠心誠意努めさせていただきます」


 レオノール・デ・アルマスは、そう言うと優雅にカーテシーをした。


 仙姿玉質な容姿と清艶なたたずまいに、強く感銘を受ける。そればかりか、彼女のまとう神秘的な雰囲気は、神や天使にいだくような圧倒的な崇高ささえ感じさせる。その印象は、抗いようもなく脳裏に刻印された。彼は、予想外の事態に面食らう。


 ──あり得ない! 幾多の美女を目にしてきた朕が、気後れするとは!


 世話役がブルゴスの城伯の庶子だという話は、事前に聞いていた。高を括っていたところで、虚を突かれた。


 各地を視察する際に、彼は世話役の女性たちの多くと関係を持ち、愛人にしてきた。でありながら、レオノールを穢すことを、彼は恐れた。


 踏ん切りがつかないまま、ブルゴスでの滞在期間は、終わりを迎えようとしている。だが、不可解なことに、最終日の前日となって、恐れがふと薄らいだ。レオノールの艶麗な魅力の前に、彼は、ついに膝を屈した。





 ブルゴスでの滞在から、およそ一年後。


「陛下。ブルゴス城伯、ドン・アンヘル・デ・アルマスが、孫娘の認知を求めて謁見を願い出てきております。通してよろしいでしょうか?」と、近侍が奏上した。


 皇帝カールⅤ世の脳裏で、レオノールの印象は色褪せようもない。


「ブルゴス城伯が! レオノールも一緒か?」

「それが、出産時の産褥で体調を崩しているため、来られない由にございます」

「そうか、それは残念だ」


 彼は落胆した一方で、安心感が湧き上がる。同時に、薄らぎつつあった恐れの感情が脳裏をかすめた。


「では、城伯を通せ」

「御意」


 少しの間をおいて、アンヘルと赤子を抱いた乳母らしき女性が入室してきた。近侍に促され、アンヘルは、早速用向きを奏上する。


「帝国の太陽、皇帝陛下にごあいさつ申し上げます。本日は、レオノールの娘・セシーリアを連れて参りました。つきましては、皇女として認知いただければ幸甚に存じます」

「そうか。近くに来て、娘の顔をよく見せてくれ」


 レオノールの娘とあって、好奇心がうずく。


 ところが、赤子の異体な容姿をまじかに見て、彼は思わず鳥肌が立った。赤子にもかかわらず、白髪で、肌の色も病的に白い。瞳は紫色だ。


 そればかりか、レオノールを超える威圧的な崇高さに気圧された。恐れよりも一段と激しい戦慄せんりつが、体中を走り抜けるのを感じる。

 我慢ならずに、顔をそむけた。


「そのような者が、朕の娘であろうはずがない! く去れ!」と、彼は激昂した。気を呑まれたうえでの発作的な行動だった。


 あまりの怒りように、アンヘルは、ほうほうの体で謁見の間を後にした。


 こうして、レオノールが産んだセシーリアは、皇帝カールⅤ世の娘の中では、皇女として認知されていない唯一の存在となった。





 皇帝の世話役を務めたレオノールが出産に至り、もともと虚栄心が強かったアンヘルは、歓喜に酔いしれていた。巷間の評判からみて、皇帝の認知は既定路線だ。確実に皇女の祖父になれる、と踏んでいたのだ。


 ところが、皇帝は評判を見事に覆して認知を拒否し、期待は打ち砕かれた。彼にとって、これは青天の霹靂そのものだ。


 強い不満のはけ口は、理不尽にも、セシーリアに向けられた。原因らしき、あの異体な容姿は天に課された運命であり、当の本人に、何ら責任はないというのに。


 アンヘルがセシーリアへ向ける関心は、もろくも消え失せた。レオノールについても、同様だった。ユーレミヒ地方では、処女性が高く重んじられている。非処女は、ゴミ同然の扱いだからだ。


 アンヘルは、悪代官を地で行く性悪な領主だ。他人への思いやりは皆無なうえ、極度の吝嗇りんしょく家で、自分かわいさから他人のための出費を惜しむ。


 当主がこんな調子であるから、セシーリアは、アルマス家において、事実上の育児放棄ネグレクト状態に置かれた。

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