10頁 珀と契約成立

 狼になった彼を部屋の中まで運ぶのは簡単だった。

 流石に傷を負っているから抱っこじゃなく普通に魔法で運んだわけだが。

 

「……普通の人間じゃないのは意外でした」


 はぁ、と重い溜息を零す綺夜子。

 客人用の部屋に寝かせたので問題もない。

 狼になったからと言って、衣服が一緒に消えるというお約束はなかったようなので、気軽に彼の服を直すのにすぐ取り掛かれた。

 彼の服を直すのにすぐ取り掛かれたから御の字、といったところか。

 血が付いた衣服は魔法を使って違和感なく修繕した。

 彼の傷に関してはある程度の治療はしたから後は何も問題はない……はずだ。


「……何、何なの。何なの? 海外でのあいさつのキスはまだわかるけれど、他国では助けた相手をつがいと呼ぶ風習の国がどこかにあるとでもいうの? ないでしょうそんなものは……っ!!」


 綺夜子は頭を抱えていた。黒崎綺夜子は、恋愛弱者である。

 なお且つ、彼女は恋愛小説の相手役の男性に夢見たりするような初心な女であった。現実の男性に自分のことを番だだのと言われて照れもあった。

 あったのだが、衝撃過ぎて色々と頭の回路が混乱していて明日は死ぬ日なのかしら、と自分の辞世の句を考えてすらあった。まだ自分にやることがいっぱいあると必死に精神に言い聞かせ、頭の整理をしていたのである。

 師匠が「君みたいな未亡人臭漂ってる子は一部の変態しか寄ってこないよ」と言われたことを脳裏に駆け抜けた。

 執筆机に思いっきり叩いて、痛みに悶えながら額に手を当てる。


「……落ち着きなさい黒崎綺夜子。あれはおそらく彼の思い人の幻覚を見ただけでしかありませんっ。私のような女に惚れる殿方なんて聞いたことがないものっ!!」


 とにかく、夢だったと思わせて彼を家に帰せばいい。

 それでいい、うん、何一つ問題はない! オールOK!! よし、そうしよう、彼が目覚めたらすぐに追い出そう。

 ここ森の山奥なわけだし、さっき倒れていた彼の理由も飛行機が墜落したニュースも出回っていない。そこが疑問だが、彼の恰好がどうも説明がつかなかった。

 

「そういえば、彼の纏う魔力は少し違う気が……何か関係が?」


 顎に手を当てながら考える綺夜子。

 まるでこの世界の存在と違うと言うか、そんな感覚を覚えた気がする。

 ……あれは、一体なんなのだろう。


「……ここにいたのか、つがいよ」

「げほげほっ!! ごほっ!!」

「……大丈夫か?」


 バリトンボイスで番、という単語が聞こえた気がして咽た。

 上半身、包帯で下だけ履いてる状態を見てどうして冷静でいられよう。

 きょとんなんて、漫画表現がぴったりな顔を浮かべる彼に抗議する。


「だ、大丈夫なものですか!! 怪我は痛まないのですか!? 下手に動いては傷が開くでしょう!?」


 私は急いで彼の元へと駆け寄った。

 異性への照れよりも、起き上がった彼に怒鳴る。

 彼を一人にした自分も悪いけれど病人が立ち上がるのは認めてはいけない。

 魔法のことはバレたら不味いと思ったから、致死傷レベルから補講できそうな程度には直したとはいえ痛みはあるのだから。

 なぜ普通に歩けているんだ子の男。

 

「ほら、はやく戻ってください! 怪我人はベットで養生しなさい!! 傷ついた美形を楽しむ趣味は私はないのでっ」

「…………」


 まったく動こうとしないので、私は彼の顔を見上げる。

 無表情だから、何を考えているかよくわからないが、どことなく不満そうだ。

  

「……なんですか? はやくベットに、」

「ゼフィルスだ」


 澄んだ青氷色の瞳が私を見つめる。

 氷のような冷たさを感じるのに、どことなく温かみが感じられた。

 ……あまり聞き慣れない名前だ。

 けれど、綺麗な名前だとその時私は感じた。


「ゼフィルス、さん……せめて上着を着てくれませんか? 刺激的過ぎますっ」

「……男の裸体なんぞ、刺激物ではないだろう」

「未婚の女には刺激が強すぎる、と言いたいんですっ」

「……そうか、すまない」


 彼は片手に持っていた上着を軽く肩にかける。

 無表情なのに、声がどことなく嬉しそうなのは気のせいか?

 少し落ち着いたので、私は改めて話を再開する。


「ゼフィルスさん……ですか。あまり海外でも聞き慣れない名前なんですね」

「……ここは、アルバフィールではないのか?」

「アルバフィール……? ちょっと待ってください。スマホで確認しますから」


 私が知っている国や地域の名前でそんな名前はなかったはずだ。何度も調べても検索にひっかからなかった。つまり、彼は虚言を言ってる可能性がある。

 ……のだが、あの衣服で無理やりこじつけていた飛行機墜落の線も低い。

 スマホでさりげなく調べてもニュースのトピックにもない。いや、元々その点は一番にテレビのニュースとスマホのニュース記事で確認してあるからわかっていることではある。

 が、彼がなぜ温室に落下してきたのかの説明が他に浮かばないからだ。


「あ、ごめんなさい……あの、アルバフィールとはどこの場所でしょうか」

「アルバフィールは北東の雪国だ」

「……北海道をそう例えているわけでもない、ですよね?」

「ほっかいどう? とは、なんだ」


 ……待て。

 異国の服。アルバフィールという謎の国名。彼の体の異質な魔力と、体が獣化した説明……これなら、できるかもしれない。

 彼の存在の、証明を。


「……ゼフィルスさんは、異世界から来たっということに?」

「……なんだと?」


 低い声で、私はびくりと肩を揺らした。


「この世界は、俺がいた世界と違うのか?」

「……その可能性が高いかと、この機械を見て覚えはありますか?」

「なんだ、その板は」

「これはスマートフォンです、これで貴方の知っている土地の地図か調べてみませんか?」

「……頼む」


 私はスマホを彼に見せる。

 ネットサイトの地図を使って、時折写真モードに変えたりしながら今私たちがいる日本の風景、海外の風景を映して見せると、彼は目を見開いて黙り込んでいた。

 ……表情が全てを物語っていた。

 

「……貴方は、元の世界に帰りたいですか?」

「我が民が俺の不在で困っているはずだ。一刻も早く戻らなければ、」

「……我が民? ……まるで王様みたいな口ぶりですね」

「ああ、俺は人狼族の王、白狼王ゼフィルスだ」

「白狼王……」


 白狼王、か。人狼族ってことは、ウェアウルフを連想したのは間違いじゃなかったってことなんだな。

 おそらく彼が狼化したのもそれが理由なら納得はできる。


「その……私のことを、番、と呼んだ理由は?」

「番、という単語に関しては我が国、アルバフィールに住まう人狼によくある習性だ。雄は雌の番を探す……その中でも、運命の番という物は、私たちにはすぐわかるものなんだ」

「どうやってわかるんですか、その……運命の番、は」


 す、すっごく言いにくいがここで聞かないと後々面倒だ。

 綺夜子は非常に面倒に感じながらもあえてゼフィルスに問う。

 ゼフィルスは自分の胸元に手をそっと当てた。


「出会った瞬間に、本能が訴えかけてくる……コイツは自分の物だとな。お前ならば、この人が自分の理想、いいや、想い人だと思う瞬間はなかったか?」

「……お気に入りの家具を見た瞬間感じるのと一緒、という意味ですか?」

「……少し違う、理性が溶ける感覚と言っていい」

「そうですか」


 ……確かに家具を買うのに理性が溶けることなんて滅多にないか。

 番、の意味は動物の雑学的な知識でわかっているとはいえ。

 運命の番、とは大きく出たものだ。


「私が今まで母国や他国の女に惹かれない理由がよくわかった……お前だったから、私は他のおんなたちに惹かれなかったのだな」

「私は貴方を助けただけであって、それだけで好きになりましたと言われても一目ぼれという認識以外に何もないのですが……?」


 彼は助けてくれた人だから、好意を抱いてくれているだけ。

 こんな私に一目惚れする人なんて、絶対いないんだから。調子に乗ったら、だめなんですからね、私……! と、恋愛小説のヒロインなら考えそうな話だが、自分にはそういう魅力がある人間だと思ってないのでそこまで傲慢になるつもりもない。


「私、初対面でコロって落ちるようなチョロい女ではありませんからね。確かに、ゼフィルスさんは端正な顔立ちですけど、私はまだよく知らない相手にうすぐ下心を働かせようとする女は目指していないので」

「……」

「? どうしたんですか?」

「……なんでもない」


 彼は面食らった顔をしたかと思えば、ふっと柔らかく目を伏せた。

 ……な、なんだか変な空気を感じる。早急に話を切り替えよう。


「……話を戻しますが元の世界に戻る方法を探すためには、情報を集めなくてはいけないのではないですか?」

「……それもそうだな」


 ……ならば、やはり私としても都合がいいな。


「ですから取引をしましょう。給料は出しますし、もちろん衣食住の保証もします。貴方は、元の世界に戻るための拠点もいるでしょう?」

「それでは、番の方が利がないのではないか」

「貴方が私の護衛役として働くこと。それが私の利です……最近、呪術をくらってしまって、呪術を解くためにも相手を探さなくてはいけないんです」

「……呪術?」


 護衛役を買って出てくれる条件として、今すぐすべき条件は言うべきだものね。


「わかりやすくいうなら、憎悪や嫉妬などと言った負の感情から来る呪い、と言っていいですね。内容によっては呪殺で私がこのまま死ぬ可能性もあります」

「……なんだと?」

「ですから、その呪術師から呪術を解かせること……それが今回私たちが目標にすべき指標としませんか?」

「……わかった、契約を飲もう」


 真剣な面持ちで彼は頷いた。

 綺夜子はそっと心の中で胸を撫で下ろした。


「よかったです、ならこれも追加しましょう……貴方は、今度からはくと名乗ってください」

「はく……?」

「はい、姓は……白に関連するのがいいですよね。雪城、雪城珀ゆきしろはくにしましょう。偽名を名乗ればゼフィルスさんも呪術の重症化は防げますから」

「ゆきしろ、はく……」

「ああ、漢字も書けるようにしておいてくださいね? 字はこれです」

「……わかった、覚えておく」


 私はゼフィルスさんにスマホを字面を見せる。

 お互いに不利益はない、WIN-WINという奴だ。

 これで私もしばらくの間は先生にとやかく言われないはずだ。

 ゼフィルスさん、いいや、はくにはこれから生活するためにも国籍の登録とか色々とやっておかないといけないのか……大変だけど、やるしかない。


「……」

「……? どうしました?」


 はくは私の頭を軽く撫でた。


「我が番を穢した礼は返さなくては我慢ならんからな」

「……なっ、」


 私は思わず、顔が熱くなる。

 これが巷で聞く、素直クールって類の人間なの……!?


はくさん、調子に乗らないでくださいっ」

「……はくでいい、護衛役なのだろう? なら、親しい方が牽制にもなるしな」

「け、牽制って、そういう意味じゃないですよね?」

「どっちの意味であってほしい?」


 穏やかな笑みで駆け引きをしかけてきている相手に思わず固まってしまう。

 ……な、なんてズルい返しっ。そういう言い回し、ズルいって思ってしまう。

 というか、それは私がどちらかを口にしてしまったら、下手に裏を探られてしまう返しじゃないですか。


はく!! いい加減にしないと今日の晩御飯作りませんよっ」

「そういうことにしておこう、我が番よ」

「……もうっ!!」


 気が付けば、私とゼフィルス、いいえ雪城珀を助手に迎え、呪術を解くための秘匿事件を追う日々が始まった。

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