9頁 相棒との出会い

 「綺夜子さん! ちょっといい?」

「どうしたんですか? 一花さん」


 ソファの背もたれに手を置きながら一花は片腕を上げる。

 彼女の無邪気さで黒崎探偵事務所が明るくなっているのを感じながら、


「わたし聞きたいことがあるんだ」

「聞きたいこと?」

「二人の出会い! ぜひ聞きたいです!!」


 思わず吹き出しそうになるのを何とか堪え、紅茶をソーサーの上に置いた。


「っ、……急になんですか。一花さん」

「だって、珀さんがどういう人なのか知らないんだもん! 結局妖精なの!? 違うって言ってたのがまだ納得できないよ!」

「……話してもいいのではないか?」

「珀……ですが」

「彼女もここで働いているんだ、知ってもいいことだと思う」


 珀に勧められて、キラキラと輝いた目をする一花に綺夜子はたじろく。

 数秒の間を置いてから、口にすることにした。


「……はぁ、わかりました」

「やったぁ!!」

「……あれは、ちょうど5月の頃です」



 ◇ ◆ ◇



「……今日も、平和ですね」


 猫探しを終えた黒崎探偵事務所から魔法から繋がる扉で自宅の屋敷に帰り一人、綺夜子は紅茶を飲んでいた。

 静寂足る室内の中、窓ガラスを叩く音が聞こえてくる。


『魔女! 魔女!! 開けろ!!』


 ……しかたがないわね。

 コトリ、とソーサーの上に陶器の音色が鳴る。

 そのタイミングと同時に、窓が開かれる。


『カルムダーク! カルムダーク!!』

「……どうしたの? クロウ」


 クロウと呼んだカラスは私の師匠の使い魔だ。

 嘴に手紙を咥えられていて、封筒を受け取ると彼は主人の元へと去って行った。

 指を鳴らしてペーパーナイフを手元に魔法で移動させた。

 手紙を手に取り、中身を確認する。


『やぁ、カルムダーク……いいや、愛しき我が弟子、黒崎綺夜子くろさきあやこ。君が秘匿探偵をしているのは僕も嬉しいよ』

「……元気そうでよかったです、師匠」


 私を幼少期、拾い上げてイギリスで育て上げてくれた彼には感謝を抱いている。

 ……物好きな人じゃなかったら、私は彼と同じ探偵になっていないのだけど。まぁ、私がやるのは猫探しや探し物、行方不明者を主にしているからまったく仕事がないってわけじゃない……が、今は暇なのも事実だ。


『最近聞いた話だと、相棒を未だにいないと聞いたよ。学生時代、散々探偵には相棒の存在のこと力説したよね? 成人してから数年で、そろそろ結婚してもいい年なのに……もしかして、そんな相手もいないとか?』

「結婚してない師匠に言われるつもりはないですね。適齢期もとっくに過ぎているというのに……貴方にだけは言われたくありません」


 ひくり、と頬が引きつる。

 ……ふざけるのがお好きな人だ。こういう冗談を言わないと死ぬ人間なのを知っているからより腹立たしさがある。


『少なくとも、君。胸元に呪術くらったんだって? 体を大事にしなさい。若いんだから』

「……よくご存じで、私の不注意なので余計なお世話です」

『いつまでもボッチ生活はやめなさい……今度、改めて君にふさわしい使い魔たちと君の相棒にふさわしい候補者たちを集めて君のいる日本に行くから、待っていなさい』

「……っ」

『あ、それといい加減恋人なり夫なり作りなさ、』


 ビリビリっ!!


「……もうっ、勝手なことばっかりなんだからっ」


 破り捨てた手紙を魔法で燃やす。

 灰は後で魔法で箒に掃除をさせることにして……って、そういう問題でもなく、外見は若いだけのいい年のご老人のくせにっ、もう!!

 

「……庭いじりでもしましょう」


 綺夜子は溜息を吐きながら、外に出た。

 指で空をなぞりながら、ホースの水を花々にかけていく。

 魔法という物は便利だ。とても、便利だ。


「……こんな感じですね」


 はぁ……結婚なんて考えたくない。

 今の少子社会で小作りしろと遠回しに言われても、そんな相手なんてそうそういるわけもないというのに。絶対スマホだって出会い系アプリなんて入れる気なんざ毛頭ない……運命的な出会いという物に、トキメかない女でもないけれど。


「……私は、恋人なんて持てるわけないのに。先生も、ひどい人、」

「がぁあああああああああああああああ!!」


 ガラスが割れる音と共に男の悲鳴が聞こえた気がする。

 結界を銃砲か何かみたいなもので破られた感覚もあった。 


「……何?」


 私は急いで、物音がした場所へと走る。

 外の庭と別に温室の方の天上のガラスが大きく壊れているのが目に入る。

 上から落ちてきた? 飛行機から落ちてきたとかでも納得できる理由じゃない。


「……大丈夫ですか!?」


 硝子の破片の上で異国の恰好を纏った男性がいた。

 白髪に近い銀の短髪から覗く獣の牙を思わせる小さなピアス。

 藍色を使った民族衣装。上には一部に毛皮が使われた白袖の長いコート……恰好だけなら、まるでファンタジー作品に出てくる雪国の民族っぽい。

 ふと、彼の体の輪郭を視線でなぞると腹部が赤く染まっていた。


「……ぐっ、」


 精悍せいかんの顔つきの彼は、痛みに歪めていた。

 めずらしい恰好もそうだが、今は治療ちりょうをしなくては。


「動かないでくださいっ、治療ちりょうしますから!」


 私は念のため温室の中にある机に置かれた救急箱を手に取る。

 彼に魔法の存在を知られていいわけがない。

 下手に動かないためにも彼には一般的な応急手当をしないと。

 鋏なども使い、彼の衣服を裂いて早急に手当てにかかる。


「……お前、は、」


 彼はぽそり、と口にした。

 低くて少し怖い声だったけれど、今はそんなこと言ってられない。


綺夜子あやこです、黒崎綺夜子くろさきあやこ

「……アヤ、コ」


 彼は私の頬にそっと手を触れ、じっと色の瞳をこちらに向ける。

 ……な、に? 急に。

 一瞬、彼は蕩けた顔を私に向けた。


「……貴方が、俺の……つがい……か、運命の、」

「え?」


 彼の呟いた言葉がすぐに咀嚼そしゃくできないまま気が付けば彼の手を握っていた。

 いや、おそらく彼が私の頬に手を触れていた時に触れていたのだと今気づいた。

 彼は意識を失ったのを確認し、慌てて治療を施すことにした。


「廻る廻るチドメグサの葉、肌に纏い、芽生える温もりとなりて咲き誇れ」


 綺夜子は彼の傷痕に手を触れながら、致死傷を軽傷レベルまで治療する。

 

「ふぅ、こんなものね……? え?」


 唐突に彼の体から獣の毛が生え始める。

 同時に彼の体は狼の姿へと徐々に形を変えた。

 ウェアウルフ……? それともヘルハインド? いいや、おそらくどちらでもない。だってそのどちらかなら雪国の民族系の衣服なんて着ているはずないもの。

 彼が狼になったのと同時に、衣服が消えるなんてことはなく普通に転がっている。

 意外と大きい体躯だが、弱っていることに何ら変わりはない。


『……貴方が、俺の……つがい……か、運命の、』


 ……治療に集中していたのに。彼の言葉が頭に過ってしまった。


つがいって……あの、つがい、よね。比翼の鳥で例えるなら、雌と雄で番、……って言う、あの。しかも、運命の、って」


 それって、つまり……一目惚ひとめぼれという意味にも取れる言い回しだ。

 その意図を一秒ごとに理解をしようと頭を回せば回す度、思考を回せば回すほど顔が一気に熱くなる。

 

「――――何、ですか。何なのですか、それは」


 いい大人が、たった一人の男でこんなに動揺するなんてどうかしてる。私は目の前にいる怪我を負った狼をどう家に運ぶか、数分間だけ悩む羽目になった。

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