第40話 初めての演技

 目の前の夢くんの瞳がうるんでいる。熱でもあるかのように呼吸も荒くて、今にも食われるんじゃないかという勢いを感じる。


 日々希を好きと言ったら。


 好きと言われたら、それはこの上ない展開、嬉しさ、興奮だ。


「俺は……お前にキスもした。こんなふうに押し倒してもいる。なんなら……お前にもっと触れたいなとも思っている……こんな気持ち、久しぶりで……息が苦しいけど自分が生きてるなって実感するというか」


 それは成海さんの時以来という意味か。

 触れたいのは……マジ? だってこの前のキスは“演技”だろ? そう思って頭がおかしくなりそうなのを必死に耐えて夢くんにキスしたんだ。


「日々希は嫌? 俺がこんなに近づいているのは嫌かな……嫌だと思うけどごめん、お願いだ、またこれは演技だと思ってくれていい」


 そう言われ、再び夢くんの顔が近づき、キスされる。夢くんの真意がわからない。夢くんの気持ちが曖昧で、演技なのかマジなのか。

 自分はマジだ、マジで夢くんが好きだ。

 だから触れたいと思ってくれるのは嬉しいし、キスされるのも嬉しい。優しい、この唇の柔らかさにゾクゾクしてしまう。


(夢くん……もう少し、もう少し、待っててくれ……その苦しさからもう少しで、解放してあげるから)


 その後で、もし夢くんが自分を好きだと言ってくれたら。響とユメのようなハッピーエンドを迎えられる。でももし夢くんが他の人を選んだというなら、それはそれで仕方ない……ボーイズラブのゲームと同じ、マルチエンディング。自分の選択肢によって変わる、でもこれは現実だからやり直しはきかないけど。


(夢くんに幸せになってもらいたい……あと、今はまだ“演技だ”という、わがままが通るなら、こうして夢くんに触れてもらえるのが最後かもしれないのなら――)






 夢くんのマンションに戻ってきた。

 夢くんのバイクの後ろに乗り、帰りながら夢くんが言ってきた言葉がある。

 それは『ツクルGにはもう来なくてもいいよ』ということだった。


『大体日々希の声の収録は済んだからあとは音声の編集をしていくから大丈夫だ』


 夢くんのその言葉は嘘だとわかっている。だって由真さんが『主役キャラだからまだまだ先は長いけど楽しみだよね』と言っていたから。

 夢くんが何を考えているか、それが正解なのかはわからない。


 でも夢くんは矢井部長が自分に手を出していることを知り、その手から守るためにそう言ってくれたのだと思う。会社にいて、矢井部長から命令されたら逆らうわけにはいかないから。でも会社にいなければ『連れてこい』と言われることもないから。


 夢くんは自分を制作チームから外すつもりだ。代わりの声優を見つけたのか、はたまた最近はAIでも作れるらしいから、自分の収録した声を真似てそれを使うとか。

 なんにしても夢くんは自分を守ろうとしてくれる。嬉しいけどさびしい。避けられた、せっかく自分の夢でもある夢くんとの作業ができたのに。


(こんなことであきらめてたまるか)


 あきらめない、夢くんとの仕事も。

 夢くんのこともあきらめない。

 あきらめるのは本当に夢くんが別の誰かを選んだ時だけだ。

 あきらめない、まだ。

 だから今だけは、まだ“演技”を続けさせてもらうのだ。最後かもしれないなら――。


 マンションに戻り、一息つき、風呂も入り。夢くんに「おやすみ」と言われ、夢くんが自室に戻ったのを見計らい、しばらくしてから。

 自分は夢くんの部屋のドアを開け、中に飛び込んだ。


「え、日々――なっ⁉」


 ベッド上に座っていた夢くんを今度は自分が押し倒し、ベッドに沈めた。マウントを取る間もなかった夢くんの唇に力強くキスし、寝間着であるシャツの下に手を入れた。

 夢くんの地肌は熱くて程よい筋肉がついていてたくましい。小さい頃から自分よりも背が高くてかっこいいお兄ちゃんだった。


(大好きだった、ずっと、今でも変わらず大好きだ。大好きだから触れたい、触れてほしい)


「ひ、日々希っ……」


 戸惑った夢くんが優しい力で肩を押し返し、キスが離れる。嫌なら夢くんの力なら自分なんか簡単にどかすことができる。そうしないならきっと、嫌じゃないよな、多分。


「夢くん」


 自分は演じるとができる。演技だと気合いを入れてなければ絶対にこんなことはできない。緊張で心臓麻痺起こしそうなほど心臓の動きが速いけど、演技してればごまかせる。


「もし、夢くんが俺を好きなら……って、さっき言ったから。その続き、俺にも教えて。夢くん、俺を好きならどうしてくれるんだ……?」


 そうつぶやき、そっと夢くんの肌に置いた手を動かす。夢くんがビクッと身体を揺らす。


「俺、演技、得意だからさ……どんなことでもできる。だから、教えて」


 夢くんの表情が変わる。戸惑っていたものが唇を引き結び、意を決したように動いた。

 肩を押さえられたまま、自分の身体は反転させられ、今度はさっきのカラオケ店と同じ態勢に――夢くんに押し倒された状態になる。


「……教えて、いいのか?」


 夢くんの細めた目が獲物を捉えた獣みたいで、見てると心が騒いだ。いつも優しい夢くんもこんな顔をするんだと思った。


 これは演技だ。

 マジじゃない、演技。

 これからマジが訪れるのかは、わからない。

 だから今は演技でいい。演技でもいいから、触れてほしい。


「いい、よ……」


 夢くんの手が優しく動く。

 優しくも興奮を抑えられないキスが何度も落とされる。

 初めてする演技だ。誰かとつながるというのは本当に頭が真っ白になりそうで意識が飛びそうで、ちょっと苦しさもあったけど嬉しくて。

 途中、涙が出てしまった。

 この涙は演技じゃなかったのは、ちょっと誤算だった。

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