第5話 そんなこんなで……

「日々希っ!」


 思い切り腕が引っ張られ、ちょっと痛かった。

 合わせて、勢いよく引っ張られた身体はバランスを保てず、前に倒れた。

 コンクリートの床に直撃、これは痛い――。


(いや、痛く、ない?)


 全く痛みはなかった。なぜなのか、何があったのか。理解できなかった状況が徐々に理解できていく。

 まず自分は手すりを壊して屋上から落ちかけたが落ちなかった。それは腕を引っ張られたから。

 次に自分は引かれた反動で屋上の床に叩きつけられると思ったがそれもなかった。

 なぜかと言うと――。


「日々希っ、大丈夫か⁉」


 自分の下敷きになり、抱きとめてくれた存在がいたからだ。全力ダッシュで逃げる要因にもなった人物だけど。

 何が起きたのかわからなかった頭が、そこにいる人物の「はぁ、良かった」という安堵の笑顔を見た瞬間、点火したように爆発しそうになった。


「――っ!」


 声を出すのが仕事なのにまたもや声が出ない。顔が真っ赤になった、多分……だって目の前の人物がクスッと笑ったから。


「なんだよ、日々希。久しぶりに会ったから俺のこと、忘れた?」


「そ、そんなわけ……」


 もし忘れてたなら、屋上から飛び降りて頭を打ちつけて思い出してやる。いや、忘れるわけがないじゃん。ずっと考えていたよ。ゲーム会社の人が来たから、もしかしたら来るかもなんて思っていたよ。

 本当にいた、会いたかった人が。


「はぁ、とりあえず、お前が落っこちなくて良かった。大丈夫か、立てるか?」


 憧れの人の手がポンポンと背中を優しく叩いている……というか自分、大好きな人の胸に手を置いてるし、顔が近いし、息がかかるぐらいだし。


(はわわ……)


「え、あっ⁉ ちょっと、日々希――!」






 夢くんの夢はゲーマーだと、小さい頃から言っていた。夢くんは小さい頃から勉強もスポーツもなんでもできて、お友達もたくさんいた。

 そんな夢くんは憧れで……いつしか夢くんが大好きになった。でも自分は夢くんのようにプログラミングとか、パソコンをいじるのは苦手。


 だから夢くんと関わりがいつか持てるかもしれない……そして自分も興味あるものと考え、自分は声優を目指すために高校で演劇科を選び、さらに卒業後は声優専門のアカデミーに行く予定でいるのだが――。


「う……」


 まぶたを開けると、なんだか身体が痛かった。

 まばたきを繰り返し、自分は今、何をしてるんだろうと考える。

 何をって、寝てるけど。なんで寝てるんだ?


 仰向けのまま視線を巡らせると見慣れない部屋。校内の保健室でもない場所だ。

 綺麗な緑色のシーツのベッドに、整理整頓された家具や棚……こんな整った空間はいつもの自分の部屋なんかじゃない。だってアニメのDVDラックも大量の漫画もないぞ。


(お、俺は? 俺、何してんだ……?)


 学祭は? まだアフレコイベント、もう一回あったよな? でも壁かけ時計を見てみるとすでに夕方だ。学祭は終わってる時間だ。


(け、携帯っ!)


 日々希はベッドから起き上がり、携帯を探す。ズボンのポケットに入れていたはず……あ、ベッド脇の棚にあった。時刻表示は、やはり夕方で学祭の日で、トップ画面には『お大事に!』と『イベントは心配するな』という、陽平と准のメッセージが表示されているが、それはもう二時間も前のものだ。


(イベント、終わってる⁉ 俺は一体――)


「あれ、起きたのか、日々希」


 今、気づいた、開きっぱなしのドア。そこから顔をのぞかせたのは、さっき自分を助けてくれた、あの――。


「はうっ」


 驚いて変な声が出て、手で口を押さえた。また声が詰まりそうになったが、そろそろちゃんと言葉にしなきゃ。


「ゆ、夢……くん……」


 会えるとは思わなかった。本当の本当にふんわりした茶色い髪で笑顔の素敵な夢くんだ。


「具合はどうだ? あの後、気を失っちゃったからさ。演劇科の連中と先生には訳を話して帰らせてもらったんだ。あ、ちなみにここは俺のマンションだ。aBc学園からすごい近いんだぞ」


 それはお互いに知らなかったことだ。まさかこんな近くにいたとは。


「久しぶりだな、日々希。もう高校生だったんだな。最近は親戚で集まることないもんな」


「そ、そうだね……」


 自分は母親に写真を見せてもらっていたけど。夢くんは自分を見るのは久しぶりなんだろう、興味もないだろうから仕方ないけど。


「さ、さっきはごめん……逃げ出しちゃって」


「あぁ、あれな。ホント、びっくりしたぞ。お前は逃げるわ、危うく死にかけるわ。でも無事で良かった。せっかく会えたんだから、もっと話したいもんな」


 そう言ってくれるのは素直に嬉しい。思わずニヤニヤしそうになる。


「それに、お前のさっきのアフレコ、すごかったしな。聞いてるこっちもドキドキしたぞ。響とユメなんて名前、偶然なのか? それともお前がつけたの? まぁ、なんにしても良かった、あれは」


 そこをツッコまれた途端、血の気が引いた。そうだ、夢くんは聞いてしまったのだ。

 禁断のあれを――。


(う、ウソ、だろ……あれは聞かれたら……)


 また言葉が出なくなる。なんなら呼吸も止まりそう。


「それでさ、そんな実力ある日々希に、ちょっとお願いがあるんだ。俺、新しいゲームを考えてるんだけど、それに出す声優を探してたんだ。ちょうどいいから、卒業まで手伝ってくれないか? もちろんバイト代出すし、おばさんにはここに寝泊まりする許可ももらったしな」


 ……はい、なんだと?

 日々希は口を開けたまま、再び固まる。今日何度、言葉を失っただろう。

 夢くんは笑顔で楽しそうなのに。


「だってaBc学園も近いし、ちょうどいいだろ?」


 ……何が?

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