第4話 逃げて死にかけ

 もう一度同じ内容のせいか、緊張は幾分和らいでいた。


『ユメが大好きだっ!』


 これが本当に叫べたら。

 ユメ――夢くんへ言えたら。


『ユメのことが大好きなんだっ!』


 スクリーンの向こうから小さく「わぁ……」という感嘆の声が聞こえる。

 アフレコで放映できるのはここまで。あとはスクリーンの向こう側で司会者のDVD販売がアナウンスされるが、残り少ないのでなんとくじ引きになったらしい。

 少しするとスクリーンの向こうから当選した人の喜ぶ声が上がる。


「海賊版とか出たりすんじゃね?」


「陽平、それは違法だ。お前、勝手にダビングして転売とかするなよ」


 陽平と准は会話が終わると「トイレ行ってくるな」と言ってスクリーン裏から離れて行った。

 残った自分は水筒の水でのどを潤し、休憩を……と思った時だ。


「すみませーん」


 ふと声がした。聞き覚えがあった。


(この声、さっき階段で)


 確か、aBc学園のOBで、名前は由真と呼ばれていたような。なんだろうと思っている間には堂々とスクリーンをめくって顔をのぞかせる人物がそこにいた。

 二十歳ちょっとだろうか、毛先のはねた黒髪に少しツリ目。でもにこやかに笑う男性。よく見れば筋肉質でスクリーンをめくる腕がたくましい。


「あ、のぞいちゃってすみませーん。オレも元演劇科だから許してね?」


 悪びれない様子に、日々希はきょとん顔で返す。


「今のアニメも声も、すごいよかったよ! 主人公の声優はキミだよね? 高三? もう就職とか進学とか決まってんのかなー?」


「は、はぁ、まぁ……一応」


 ずけずけしているが愛想の良い男性だ。なんて答えたものかと考えていると、演劇科OBの横に、誰かが並んで声をかけた。


「こら、由真。いきなり勧誘するな。怪しく思われるだろ」


 この声は階段で話していたもう一人のものだ。OBの隣に立っているが、ここからではスクリーンごしの黒い影しか見えない。


「だってゲーム作るのに専属の声優欲しいよなーってイダヤさんも言ってたじゃないっすかー。こんなセクシーな声持ってる子がいるなら、さっさとスカウトしとかないと」


「だからって高三はもう進路も決まってるだろ」


「じゃあ後々のために、声はかけときましょーよー。ツクルGの貢献のために。強いてはオレの給料アップのためにーなんてね、あはは」


 二人で話が盛り上がっている。どうやらスカウトらしい。光栄だけどツクルGってどんな会社なんだろう。

 少し話を聞いてみようかと思って「そっちに行きます」と声をかけ、日々希はスクリーン裏から姿を現した。


「あ、やっぱりかわい〜子が来たぁ!」


 由真さんという男のテンションが上がる。あらためて見てもやはり筋肉質で、自分より背が大きかった。

 そしてもう一人の人物は――もっとスラリと背が高いようだ。


「あ……? え……?」


 スクリーンから出て、まずはもう一人の男性の足元から見ていた。来賓用のスリッパを履いている。ググッと視線を上へ上げていくとベージュ色のカジュアルズボン、そして白いワイシャツ……細長い首、でも肩幅があってたくましい。首筋にくるっとした毛先が見える。髪はふんわりとしていて、なでたら気持ち良さそうだ。


 顔が――顔は――。


「は、は? う、そ……?」


 目も口も全開になっていただろう。それぐらいに唖然というか愕然。

 一瞬にして魂が凍りついた気分……いや、嬉しいはずなんだけど。とにかくこの時の心臓は止まった、と思う。


「は……う……」


 口がワナワナした。声を出すのが得意なのに声が出ない。目の前の人物を目を見張る。

 そして自分は――。


「わぁぁぁぁ!」


 全力ダッシュで逃げ出した。自分でも理性の働いていない行動。

(とにかくここから逃げろー!)と頭が指示を出していた。逃げなきゃ心肺停止する、すでに息もできなくて死にそうだ!


(嘘だろ――⁉)


 無我夢中で逃げるとはこのことだ。廊下ですれ違う人、誰とも目を合わせず、声も交わさず、ひたすら走って逃げた。

 たどりついたのはどこだかわからないが校舎の屋上。途中、立入禁止のテープをぶった切った気がする。


「な、な、な……なんで……」


 信じ難い光景……いや、見たのは気のせいでは? 幻を見たんじゃないか。

 そう思い、自分の頬をつねってみたが効果はなし、痛いだけ。


(い、いや、嘘だ嘘……俺の見間違いだよ。いるわけないじゃん)


 他人の空似だ、たまたまだ、嘘だ、わけわからん。

 だけどそれはすぐ真後ろに、来ていた。


「日々希……日々希、だよな? なんで逃げるんだ⁉」


「いぎゃぁぁ!」


 声優志望らしからぬ奇声が出た。それぐらいに自分の気は動転、もうマジでわけがわからない。

 ただこの場から逃げ出したくて、屋上の手すりに手をかけた。今なら飛び降りる気満々だったのだろう、自分の無意識は。


「あ! 危ないっ!」


 本当なら手すりが助けてくれるはずだ。本来の手すりは寄りかかったって壊れないはずだから。

 だけどここは、そう、今は立入禁止だった。確かこの学園は校舎がいくつかあるが、その一つの屋上の手すりが外れかけているとか、そんな校内ニュースがあった気がする。


(あ……落ち……る……)


 勢い良く押したことで手すりが外れた。屋上の外側に向かって。

 幸い、下は学園の裏庭だから、誰もいなさそうだ。手すりが落ちてもケガ人は出ない。

 でも自分は――。

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