纏屋書店の裏噺 壱章 【宵の帝ーよいのみかどー】

綾凪

【宵の帝ーよいのみかどー】

 辺りを見ると古民家の一室、蝋燭についた灯が4本ほど部屋の端に、中奥に1本立っている。

 その部屋の中央に1人の人物が片膝を曲げて、腰を据えている。


 この世の人間とは思えない雰囲気の、恐ろしく端整な顔立ちの男か女かもわからない人間が、その人が口を開く…。



「おや、怪訝な顔をしてるね、此処は【物語】を紡ぐお店だ。売ったり、追体験をさせてやれるわけじゃない、ただ紡がれるのを待っている【物語】たちの住まう場所なんだ」


 店主は続けた。


「今回君に、紡がれる語りは【帝】についてだね」


「とある村の物語だよ。」


 「不機能家族に蟹が憑いたように。

 嫉妬と狂愛には、猿が。

 我慢には、猫が。

 そして、曇天には大蛇が憑いたように。」


 「その村には、帝…そう鵺が降りてきたのだよ」

 そう言うと、その店主は薄い笑いを浮かべながら最後に。



「では、君が紡ぐ私の物語、うまく紡いでおくれ。頼んだよ」




 ◯

 土を踏み締め、木枝が折れる音が森閑とする辺りに木霊している。そう、1人の人間がまたこの村に何も知らずに立ち入っていた。

 かと言って迷い込んだ風にも、誘(いざな)われて来てしまったようにも見えない。その口元には薄ら笑いを浮かべてさも、御目当ての物が見つかった時の子供のような無邪気さを孕んだ笑みを浮かべている。



「そうか、ここか……」



 山の中、小高い丘から全体が見渡せる程には小さな村がそこにはあった。

 そろそろ夕刻、宵の口と呼ばれる時刻だ…。

 あたりが薄暗くなっていくのが見てとれる。

 その時だ、村を囲む様に並んでいる石灯籠が徐々にそのあかりを放っていく。

 何せ山の中にある村だ、外灯というものがまるでない。その代わりの石灯籠なのだろうが、それも相まって、中々に妖幻な雰囲気を漂わせている。


 ふと後ろから声が聞こえる。



「ねーねー!何してるのー!もう暗くなっちゃうよ!帝が通る頃だって!危ないよっ!」



 後ろには小さな、小学生ぐらいの少年が立っていた。

 たぶん村の子なのだろうその姿は、甚平に半ズボンと中途半端な奇格好をしている少年だった。


「やぁ、可愛い子。そうだね、そろそろ天つ日の役目も終わり頃だ。もう夕あかりしか残っていないね。そうだ坊や、今日私は住まうやしろがないんだ。坊やの村までの案内を頼まれてくれるかい?」



 すると少年は鳥影を見るような表情を浮かべる。

 少し間を空け返事が返ってくる。


「いいよー!丘から見えるあの小さな村なんだ!ついておいでよ!こっち!こっち!」


 少年に連れられ、けもの道を歩いていく。進んで程なくすると周りからヒョー、ヒョー、と聞き慣れない聞き覚えのある鳥の鳴き声が聞こえてくる。


「ほほう、トラツグミか…君はいい声で鳴くね。」


 ボソッと独り言のように呟く。

 暫く歩くと村と雑木林の境がなんとなしに見えてくる、地面は獣道から村道に、周囲は森林から石灯籠、そして民家が連なり空の領地が広がっていく。


 この令和の時代にどちらかというと昭和の農村のような佇まいの村だった。

 暫く少年の後を追って歩いていくと、小さな広場に出た。

 中央に偉く達筆な古文が刻まれているガタイのいい大人が1人すっぽり収まる程の大きな石碑があり、その周りには花が…みれば、この村の中にあるにはこれまた違和感という言葉がしっくりくる花がそこにはあった。


「綿毛のタンポポか…これはまた頓知と皮肉が効いた花を咲かせてるねぇ。」


 その周囲にはくるぶし程度の深さの水溜りというには小綺麗な、堀というには質素すぎる池が石碑を一周する様に水を張っていた。

 その数カ所に橋が掛かっておりそれを通って石碑の前まできた時に、少年がピタリと足を止める。


「いやはや珍しい、珍しい…」


 それは少年の可愛らしい声に混じって数人、いや十数人のまるで合唱にも似た重なった声だった。その声のまま続ける。

「自分から入ろうとしてくる者は居なかったものでね。」


 その二重声のような声に変わったのを皮切りに周囲の石灯籠から石碑に向かって、火が一直線に地を這って勢いよく迫ってくる。

 その火の道筋にあった民家は総じて燃え切られるように崩れて瓦礫に変わってしまっていた。


 だがその火は少年と私には届かなかった。


 周りを囲んでいる池の手前でビタッと止まっていた。地面に気を取られている間に空は暗く、夜になったというより何かが大きな囲いに覆われたような黒が一面に広がっていた。


 パチッパチッと火が民家だった瓦礫を焼く音に混じり、不気味な低音を含んだ幼子の声だけが脳裏にいや、全方位から包むように聴こえてくる。



「なんで夕刻が【宵の口】なんて呼ばれているか知っているか?霊の人よ…」



 すると風が周りで焼けている火を撒きとらんばかりの強さで辺りに吹き荒れる。

 その風に打たれて、タンポポの綿毛が一斉に空を舞う。目の前をそれが覆う時、今しがたあった子供の姿は消えていた。



「夕刻…人間と怪異の世界が移り変わり始める時刻だ。薄暗い情景に人々は少なからず恐怖を抱く、だが真夜中ほど恐怖に警戒をしないんだよ…。警戒がないから恐怖が直に怪異に影響を与える…。ほぼ一方的に都合のいい時間帯ということだ。」



 すると、その声を皮切りに囲っていた水が溢れ出し、足元を満たしていく。

 足裏に伝ってくる水の感覚は、流水(るすい)というより 沼水ぬまみずに似て、変な粘りと、妙な冷たさがあった。


 辺りを満たすと地面が沼にすり替わったかのように足場が無くなり、体が地中に沈んでいく。


 冷たく呑まれる感覚はある中で不思議と水をかぶった時のように濡れている感覚はない。

 呼吸も問題なくでき、体の不自由さもない。


 ただ、沈んでるというよりは、”落ちている”に近い感覚で深く、深く進んでいく。

 感覚では5分ほどゆっくりと落ちると、そろそろ足を付けられそうな勘が働いた。


「おや、そろそろだ…。」


 するとゆっくりと脚先から触れる様にその身を置いた。と同時にいつも肌身離さず持っていた煙管の羅宇が深緑色に光を放っている。


 村に来てから人智を超えた、月並みな言葉で言う超常現象の嵐だが店主は慣れた様子で慌てることも、取り乱す事もなく淡々と受け入れむしろ何処となく楽しんでるかの様な笑み浮かべ口元が上がっていた。


「此処に足を踏み入れるもの久方ぶりだねぇ…。」


 周りを見渡すも一面の黒、そこに飛び回る無数の白い蛍火たち。それ以外何も見えやしないが店主には”視えていた”。



「君にはいい体験をさせてもらったよ。礼を言わなきゃね。」

 一言呟くと唐突に歩き出す。



「帰りはこの先だね。」



 傍から見ると勿論方向もわからなければ、何処かもわかっていないが、その店主には此処はどこでどこに向かうかわかっている様だった。


 視えているであろう出口に歩いている時。

 

 ふと視線を上に向けると、大人1人を鷲掴みに出来るであろう、大きな三股に分かれた鳥の足が宵闇から無数に伸び生えて迫っていた。


 この宵闇の中でもわかるほどには乾いた血が伸びた鉤爪にベットリと張り付き、足が伸びてきた奥天井からは狩られてきた人間達の怨嗟を孕む慟哭が宵闇という空間を震わせるほどには低い音を立てて響いていた…。



(バツン) (バツン) (バツン)




 だが爪が空を切る。


 その足が店主を捉えることは無かった。



 その足の持ち主であろう主から低い声との二重声にも似た声が降ってくる。


「なぜ……届かぬ……。」


 その声にはもう石碑の前で話していた時のような余裕の色は消え失せていた。


「おや、怪訝そうだねぇ、楽しませてくれた土産だ。教えてあげようか鵺。」


「いつから………。 今までの祓人(はらいびと)とは違うと思ってはいたが……。」


 店主が、咽喉を鳴らして笑う。


「そうだねぇ、そこら辺にいる有象無象の贋作と一緒にされるのは心外だがね?」


「私は祓人ではないんだよ。強いて言うなら、言葉に妖気を纏わせ物語を紡ぐ者。【纏言者】(てんげんもの)とでも呼んでくれ」


「だから、おまえさん達を祓うこともしない。だが、おまえさんたちが触れることも出来ないのさ」


 それから店主は続けた。


「宵の闇と呼ばれるお前さんたち妖、怪異の類が蔓延る棲家よりさらに濃く深い黒にわたしはいるんだよ。なぁ鵺いや、帝か…お前さんには立ち入るとこすら、触れることすらも出来ない深い、そして不快な領域なのさ。」


 一通り言って聞かせると雰囲気が変わる…。

 まるで仄暗く深い湖を覗き込んでいる時のような重く冷たい狂気が言葉に乗る。


「はて?お望みならばここまで手を取り引っ張ってしまおうか?望むなら”錠”を開けるがね。なら、伝承は「宵の闇の黒、帝は澱む(よどむ)」に変わる…。」


 すると咽喉を鳴らしながら鵺が身を震わせるほどの不気味な笑いがそこにはあった…。


「まぁ、戯れもこの辺にしておこうか。いい話に巡り合わせて貰ったよ。あとは今まで通り、好きにするといい。ではね」


 と頭上で捕食者に狙われた小動物の様に恐怖と警戒が入り乱れて、動けない鵺をよそに店主はその場を去っていった…。

 30分程歩いていると、周りの黒に少しずつ森の木々が映り見えてくる、そして光が黒を押し出して明るくなっていく。


「戻ったね。」


 時は夕刻、村の石燈籠を過ぎた頃から時空が歪み、時間が足を止めたのだろう…。


 進むと少しずつ斜面が上がっていく、そう、あの丘に続く道だ。

 しばらくして最上まで辿り着く。


 見下げるとそこには。

 村の中央にあった石碑と目の前に綿毛のタンポポが一輪咲いているだけだった…。


 それを見た店主が一言口を漏らす。


「タンポポの花言葉…皮肉だねぇ。この世との【離別】か…。」


 5分程度黄昏れて丘を降りていく。

 道の先から薄ら人影が見える。こちら側に向かってくるようだ。すれ違いざまに会釈をし会話が始まる。



「この時間にお登りですか?もうそろそろ日が沈む頃ですが」

 店主がにこりと微笑み話しかける。


「ええ、この山は夕日が綺麗と聞きますからね…。ただ、怖い噂も耳にしますが身近な絶景の誘惑には耐えられずに…。」

 と笑いながら返ってきた。

 お互い、「では」と言って話を終わらせ背を向ける。



 ○

 声をかけて来たのは恐ろしく整った顔をしたまさに容姿端麗の文字を写したような顔立ちの中性的な人だった…。

 美人というより妖精の様な奇抜と和風を上手く取り混ぜた独創的な背丈より大きめのゆるっとしたお洒落な格好をしていたお人だった。


 向けられた笑顔はまさに妖艶という言葉がとてもしっくりくる。

 いや、これから見に行く景色はそれも凌ぐ絶景と聞く、その景色の裏で囁かれる噂に少しの不安がよぎる。


「宵の口の刻、帝が通る…か…」


 まぁこう言うのは気にしないが吉だ。男の独り言は続く。


「そうだ、せっかくなら景色の写真も撮って帰ろう。妻にも見せてあげたい。そして生まれてくるあの子にも・・・いつか大きくなったら一緒に・・」


 それは探検家とは別に一人の父親になるであろう男の嬉しそうで幸せそうな呟きだった。

「よし!あと少し!」


 そう言い聞かせ足を動かした。




 ◯

 姿が見えなくなった登山道で 右手の煙管から人間ではないであろう低い声が聞こえてくる。


「あの人間消え入りますね、主人殿。」

「ふふふ、やはり入っていたね…。」


「気づいていて持ってきていたのでは?」

「あぁ、そうだね」


「あの人間鵺に捕まりますよ…主人殿だったからしりぞけられたものの…。」

「いつも言っているだろう?体験し、紡ぐだけと…。救いはしないし邪魔もしない。」


「特にあの鵺は珍しいからね…。」

「たしかに鵺の中でも異質に見えました。」


「宵闇に産まれ、出る場(いずるば)は空、雷雲まといて丑の刻にて。これが知られてる鵺の伝承だ。特に異質なのはお前も見ただろう?」


「あの村、そう幻村だ。鵺は1つの所に留まる怪異じゃないんだよ。だがあの鵺は待ち伏せし誘い込んでいる様子だった…。あの村と其の周辺、一度近づけば”かれる”のは至難だろうさ。」


「他と産まれ方が違ったんだろう、きっかけはかつてあった村の子の失踪だろう…。」


 だが住んでいた周りの大人が悪かった。いや悪過ぎた。と言い、また続ける…何処か楽しそうだ…。


「消えた子供の感情が鵺の核となり、大人「有識者」の歪んだ知見、感情が鵺を形作った。そして自分達が作った鵺が、他とは違う事に気づき不気味で異質な存在として【帝】とつけ恐れた。」



 最後に、ふふっと含み笑いを浮かべるとゆっくり歩きだす。






 後ろで人と時間が切れる音がした…。

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