新しい婚約者
4.新しい婚約者
『ブラッド歴1900年。11月11日』
レオンが目を覚ます事なく一年の月日が過ぎた。
アカデミーを卒業した後の私は、美術館を経営しているお父様の手伝いをしながら暮らしている。
そして、なんと今日は私の十九歳の誕生日。
でも、めでたい日だというのに家の中の空気は重く沈んでいた。
その理由はーー。
「エミリオ卿。すみませんが、もう一度言っていただけますか?」
お父様がソファの対面に座っているエミリオ卿に、緊張した面持ちで尋ねる。
彼は今日突然アポもなしにやって来て、ある要求をしたのだった。
いつものほほんとしているお父様の顔がこんなに青ざめているのは初めてだ。
同席しているお母様もお兄様も、愕然とした表情でその場を見守っている。
対するエミリオ卿は用意されたお茶を優雅に一口飲むと、にっこりと笑った。
「ええ、ですからティナ嬢を私の妻に迎えたいのです」
ピシャァァンとその場にいるゴールド家一同の脳天に雷が走る。
何言ってるのこのおじさん!?
というか未婚だったの!?
詳しい年齢を知らないけど、どう見ても私とは歳が離れすぎだわ……。
お父様、なんとかしてぇぇ!
アイコンタクトを送る。
お父様は私の目を見てゴクリと生唾を飲んだ。
「ですがティナはレオン君と婚約していますし……」
「実は、レオンが長らく目を覚さないので私が当主になる事で話が進んでいるのです」
エミリオ卿はおじ様が亡くなってからガーネット家の当主の代理をしていた。
継承権の順位としても問題ないし、そうなるのは自然な事だ。
「えっと、しかし歳が少し離れているのでは?」
「私は気にしませんよ」
「その。ティナは気の強い娘ですしエミリオ卿にはもっと相応しい女性が……」
「ゴールド家には、他に年頃の女性がいるのですか?」
「そ、それは……」
ゾクッと背筋に何か不気味なものが迫ってきた感じがした。
ガーネット家は美人の嫁を娶り続けていたおかげで異様なまでにみんな容姿が良いけれど、エミリオ卿に関しては外見では補えない何かを感じる。
頼む、上手く断ってくれ!!
とみんなの期待がお父様にのしかかるけれど、お父様は沈黙した。
なんとか頑張っていたけれどもう投げる球がなくなったようだ。
それを了承と捉えたのか、エミリオ卿は満足そうに微笑んで懐から二枚の用紙を取り出す。
「こちらはレオンとの婚約破棄の承諾書、それからこれは私と婚約を交わす誓約書です。サインしていただけますか?」
お父様は何も答えずぐっと拳を握っている。
そうだよね……。
ゴールド家とガーネット家では家格が違いすぎて歯向かえないわ。
断るのに納得させられるほどの理由はうちにはない。
長いこと全員が無言でじっとしている中、一番に口を開いたのはお兄様だった。
「いきなり来てサインをしろだなんて性急すぎませんか? 今晩、ティナの誕生日パーティーがあるんです。これから準備で忙しいので、今日のところはお引き取りください」
はっきりそう言ったお兄様は珍しく頼もしく見えた。
パーティーと言っても屋敷のみんなでご馳走を食べるだけだけど、物は言いようである。
エミリオ卿はじっとお兄様のことを見た後、フッと息を漏らして笑った。
「これは配慮が足りず申し訳ありません。では、また後日伺います」
あっさり引き下がるのは、うちがどうせ逆らえないのを分かっているとも見てとれる。
エミリオ卿は余裕の表情で書状を封筒にしまうと、それをテーブルに置いて立ち上がりそのまま去っていく。
ーーと思いきや、彼は私の元へ歩いてくると目の前で膝をついてどこぞの騎士のように跪いた。
そして、いきなり私の手の甲にキスを一つ落としたのだ。
「今日は誕生日だったのですね、贈り物も用意せず申し訳ありません。今度食事でもご一緒しましょう」
「……は、ハハハ」
乾いた笑いしか出ない。
でもエミリオ卿はそんなことは全く気にしていないようで、私に微笑むと颯爽と去って行った。
扉が軽やかに閉まる。
それと同時に、お兄様が音速でやってきてスカーフで私の手をゴシゴシと拭いた。
「ティナ、大丈夫か!? 生きてるか!!」
「う、うん。生きてる……」
「何考えてんだアイツ! ロリコンかよ!! 気持ち悪い」
「ジェイス」
お兄様の悪態に眉をひそめたお母様は立ち上がった。
「もっと言いなさい?」
「こ、こらやめないかお前たち」
「だって、あなたは平気なんですか? あんな変態に娘を差し出すなんて!」
泣き出すお母様の肩をお父様が抱く。
そして悲しそうな目で私を見た。
「平気なはずないさ。ティナ、嫌だったら断って良いんだ。家のことはどうにでもなる」
「どうにでもならないと思いますけど……」
私の現実的な一言に、その場は凍りついた。
お兄様が大きなため息をついて、悩ましそうに前髪をかきあげる。
「まだ猶予はある。その間に策を練ろう」
「そうさ、ジェイスの言う通りだ。それに一旦この事は忘れないか? 今日はめでたい日じゃないか」
「あなた……そうね、そうよね。ケーキを用意してこなくちゃね〜」
「うん、父さんも今日は良いワインを開けちゃおうかな?」
お父様とお母様はようやくいつもの調子に戻ったようだ。
仲良く鼻歌を歌いながら部屋を出て行った。
だけどお兄様だけは一人真剣な顔で、何かを考えるようにこめかみに手を添えている。
「エミリオ卿、なんか引っかかるんだよな。やたら上機嫌で浮かれてるっつーか……」
「当主になれるからかしら?」
「兄が亡くなってるんだぞ? それにレオンだってあんな状態で」
「確かに……。でも、レオンの容体を告げた時の彼は本当に悲しそうだったよね」
「うーん、それは俺もそう思うんだよな」
お兄様はまたしばらく悩んだ後、ぽんと自分の膝を叩いて立ち上がった。
「まぁ、とにかく今は俺たちが居ない間にあいつが来たりしても絶対に二人きりになるなよ。ティナ」
「うん、分かった」
「さてと。俺たちもパーティーの準備を手伝うか」
私とお兄様はキッチンに向かった。
この日は久々に楽しくて、私は幸せに包まれながら眠ったのだった。
しかしその数日後、お兄様の忠告も虚しく私はエミリオ卿に捕まってしまうことになる。
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