***


「あ……。レオン、なんでここに?」


 私は髪を整えながら目の前の人物にそう尋ねた。

けれどすぐに答えは返ってこない。

猫っ毛の前髪から覗く三白眼は眠そうで、喋るのが億劫なように見える。


 全く会話が弾まないこの青年、なんと私の婚約者だ。

ガーネット家の嫡男、レオン・ガーネットである。


 ガーネット家の先祖はヴァンパイア。

でも現代で彼らは血を欲せず人間と変わりない生活をしている。

長らく平和な世が続いたおかげでヴァンパイア達の戦闘遺伝子は眠りについたのだ。


 それによってゴールド家が交わした”末代まで娘の生き血を捧げる”という盟約は、嫁ぐという形に成り代わっていた。


 ーー迷惑な話だわ。


 私からしたらガーネット家は、ゴールド家を玉座から引き摺り下ろした宿敵。

本当は嫁ぐなんて嫌だけど、うちの名誉を守るためには仕方がない。


「……ティナが前に手紙で教えてくれたから」


 レオンは長い沈黙の後ぼんやりしながらそう答えた。


「ふ、ふうぅぅーーん? そうなんだぁ?」


 いやちょっと待って?

確かに手紙に書いた気がするけどそれってだいぶ前の話だ。

律儀に覚えていてくれたの?

レオンだって今日は貴族会なのに、遠いのに、わざわざ私のために来たの?


 私は自分の顔が赤くなるのを感じた。


 ち、ちがーーう!

別に嬉しくないし!


「じゃこれ案内図だからっ!? 楽しんで!」


 私はレオンにリーフレットを押し付けて展示場へと促す。

レオンはそれを眺めながら流されるままに屋敷の奥へと去って行った。


 ふぅ、やれやれ。


「あぁ、ティナってば。今の態度はレオン様に対していかがなものかと思いますわよ?」


 いつの間にか出入り口に誰かがいる。

その姿が目に入った時、私はゲッと息を詰まらせた。


 巻き髪の金髪をポニーテールにして、高級ブランドで身を固めている彼女は私の通うアカデミーで同じクラスのマリー・ロッソだ。


 彼女は今日も取り巻きを連れている。


「何で来たのよ。マリー」

「ちょうど通りかかったもので」


 マリーはすまし顔で言った。

そんなの絶対嘘だ。


 金融業を営むロッソ家は古くからの名家で資産も莫大。

貴族の中でも存在感が大きい。

でもアカデミーの成績ではいつも私に負けて二番だから、今日は腹いせに粗探しでもしに来たんだろう。

この何不自由ない名家に生まれたお嬢様が、私は苦手だった。


 マリーは私を一瞥すると扇子を揺らしながらクスッと笑う。


「嫌ですわティナったら。どうしてそんなレトロなワンピースを着ているのかしら? 晴れの日には華やかな装いをするべきではなくって?」

「そうよねぇマリー様」

「お母様のお古かしら?」


 マリーに同調する形で取り巻き達はクスクスと笑った。


 今日私が着ているのは、ネイビーのツイード生地に白いレースの襟がついたワンピース。

クラシカルな服装はこの場に相応しいと思うけれど、新し物好きのマリーの好みには合わないようだ。


 マリーは人の服装を指摘するだけあってクラスで一番お洒落だけれど、この件に関してはセンスの問題というより価値観の相違だ。

そういう時は対抗するだけ無駄ね。


 私が黙っているのがつまらないのか、マリーはわざとらしく嘆かわしいため息をついた。


「ああ……ティナ、私には本当に分からない事があるのです」

「何よ?」

「ほら、何でしたっけ? 古代にゴールド家がヴァンパイアと交わした盟約を教えてくださる?」

「え? ”一族で一番美しい娘の生き血を捧げる” だけど」

「そう、そうよね?」


 マリーは扇子をパチンと閉じて、私の肩をトントンと叩いた。


 うわ、なんだか嫌な事を言われそうな気がするけどもう遅い。

彼女は「それなのに」と喋り始めていた。


「ティナは顔もまぁまぁでちんちくりん。なぜガーネット家に嫁げるのでしょう?」


 ほら、やっぱり嫌味だ。

マリーの言うことは一理あるけど、私にだって言い分はある。


「仕方ないじゃない。遠縁の分家も合わせて年頃の娘が私しかいなかったんだから」

「それが問題なのよ! ゴールド家の血筋より、美しさに重きをおくべきじゃないかしら?」

「賛成です! ティナでは不釣り合いですよねぇ」

「家柄も良くてお美しいマリー様の方がお似合いですわ」


 分が悪い。

完全に一体多数の構造である。


 この国でヴァンパイアに信仰心を持つ人は少なくない。

彼らは容姿も美しいし蠱惑的な雰囲気がある。

マリーもそれに魅了されたうちの一人なのだろう。


 でも。

別に私は、自主的にレオンと婚約した訳じゃないのに。

なんでここまで言われないといけないんだ。

悔しい……。


「ちょ、ちょっとティナ。何ですのその泣きそうな目は。やめてくださる?」

「目にゴミが入っただけだもん……」

「なんだか私が悪いみたいじゃない。私よりブスでスタイルが悪いのは事実でしょう!」

「……俺の婚約者の悪口、言わないでくれる?」


 あ……。


 いつの間にそこに居たんだろうか。

この場にいる全員の視線をさらったのはレオンだった。


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