6.未来の皇妃→家政婦業

 私はエルネスタの家にやっかいになることが決まった。

 けれど盲点だったのはここから。私は誰かと暮らすことは慣れていたけど、あくまでも世話される側の人だった。

 ましてエルネスタは一人暮らしで、これまで家事をしていたお弟子さんもわざわざ外から通っていた人だった。そんな人の家に突然お邪魔してしまったら、合わないことも出てくるのだと、わずか一日足らずで実感する羽目になったのだ。

 

「温め直すくらいなら誰でも出来るのよ、誰でもね」

「はい」

「なにこれ」

「食べやすくしました。お昼に時間を取られるのすきじゃないかなと思って」


 お昼前になってもエルネスタのご機嫌が斜めなのは、生活習慣が私と合わないせい。

 昨日はあれから邪魔との一言で部屋に追い立てられたおかげで、まともに居間に残れなかった。エルネスタには調合や請け負った仕事に集中して、ろくに話しも聞けず終いで終わったのだ。

 やれることもないから夜に眠りについたら、当然ながら朝には起きてしまう。だったら雇ってもらうと決めた手前、さっそく掃除に取りかかったら「うるさい」と叱られた。寝ている彼女を起こさぬよう配慮していたが、この家、居間のほかは私とエルネスタの部屋しかないし、防音設備なんてないから音が響きやすいらしい。おまけに普段誰かがいることがないから、常に人の気配がして不愉快だと言われてしまった。ただ息を潜めれば良い話ではなく、気配は魔力に感じて反応しているらしいので、こればかりはどうしようもない。

 主の気性をご存知らしい黒犬に慰められつつの朝食は、昨日の残りのスープだったから味気なかった。

 片付けても置き場があれでもないこれでもないと注意されつつ掃除をこなし、外でせっせと昼食作りだ。

 お昼に出したのは固いパンをふかし、ゆで卵を潰したものにチーズと塩胡椒を和えたもの、野菜を挟んで焼いたサンドイッチだ。『エル』が手軽に食べられるのが好きだったので作ってみた。


「単に挟んだだけ? まあいいけど」


 で、一口。これが見事に彼女の味覚に一致し、午後からは文句が減った。

 その後の夜ご飯にはあり合わせの野菜とお肉を使った煮込み。肉類の臭み取りは相当頑張って、葡萄酒や香辛料類は強めに効かせている。葡萄酒はいつ開封したのかわからない瓶だったのだが、匂い的にはまだいけるだろうと判断して使用した。

 この時には散らかっていた机も片付いていたが、それでも物が溢れているのはこの家の収納棚に対して物が多すぎるせい。大雑把にだけど埃や目に付くゴミは取ったので、少しは見られるようになっている。

 エルネスタは、ただの煮込みなのに、食べるのも面倒くさいといった表情を隠さなかった。

 たった一日で伝わる。彼女はとても複雑怪奇な性格と風のような気質を備えた人だ。


「味が濃い」

「お嫌いです?」

「嫌いとは言ってない」


 エルネスタは自身の感想を隠さない。一見悪い空気になりやすいが、感想はあとに引きずらない。

 彼女にはエルの面影を引きずってるせいか、いつの間にか言い返しもしたが、不思議と嫌な空気にはならなかった。

 仕事が落ち着いたからか、彼女はやっと昨日の私を思い出した。


「昨日のお風呂どうしたのよ。遅くに入ったけど使った気配なかったわよ」

「外の湯あみ場ですよね。行こうとしたら足音立てるなって外に出られなかったの、覚えてないですか」

「記憶にないわ。もっと強くいいなさいよ」

「言おうとしたら扉閉じられちゃったんですー。だから朝方に入りましたけど、なんでお風呂が外なんですか。しかも屋根があるだけで風除けもなにもないし!」

「どうせ熱くなるし、家の中だと湿気で黴が出るから嫌」


 いいながらも煮込みはどんどん食べてくれる。

 オルレンドルでは出汁を利かせた薄味が好まれるから、香辛料が強い味付けは労働階級や、ここからだと地方にあたる、彼女の出身地である元ファルクラム王国で好まれる。


「掃除は遅めだけど、まあ物を乱暴に扱われるよりはいいわ。うるさかったら追い出してるところよ」


 そしてこれも、エルネスタなりのお褒めである。

 

「丁寧といってください。知らない原材料があっちこっちに散らばってるんです。よくわからない光ってる石とか、動く目玉なんて手荒に扱えません」

「ああ言えばこう言うわね。一応食事は及第――」


 黒犬がエルネスタの膝をつつく。

 卓の中央を陣取る黒鳥の虚無の目がエルネスタをじっと見つめていた。


「満点だから許してあげるけど」

「ありがとうございます」


 久しぶりの家事だからはりきりすぎて、自分の体力の考慮と配分を間違えた。強い疲労感を覚えながら食事を口に運ぶが、我ながらすごく美味しい。薬草や香辛料の見分け方は亡き恩師エマ先生、調合は料理人リオさんに教わった経験が生きた。

 特に話すことのない私たちだが、話題がないのが逆によかった。ここで彼女は約束通り私の知りたかった話を教えてくれたのだ。

 私の白髪が目に付いたのか、まずは髪色についてだ。


「あの無警戒さ、どうせいまのグノーディアでの色つきの扱いも知らないんでしょ」

「昨日も言ってましたけど、色つきってなんでしょう。ちょっと脱色したくらいには見てもらえないのでしょうか」  

「そんなハリコシがあって艶やかな白髪なんて無理があるでしょ。若すぎるし、だいたい地毛だとしてもまともな親なら染め直させるわ」

「なる……ほど……?」

「だからそういう特殊な感じの髪色で、あとは魔法使いの才能があるヤツは総じて“色つき”って呼ばれてる。他には赤緑青がいてよりどりみどりだけど、わたしも純粋な人間で白は初めて見た」

「いまのグノーディアということは、どのくらい前からですか?」

「だいたい一年くらい前だから、精霊共の出現が激化してからね。……ちょっと、こういう食事のパンにはバターが必要でしょうに、なんで持ってこなかったのよ」

「昨日の時点で使い切ってて空でしたよ」

「買い置きは……」

「黒犬ちゃんに教えてもらいましたけど、買い置きもありませんでした」


 真面目な会話に反し緊張感が足りなかったのは、すでに「異世界のなかでの違う世界」にいることを理解していたおかげもある。加えて疲労も溜まっていたから真剣に悩まなかったし、エルネスタも淡々としつつもあれこれ喋ってくれるおかげで悲壮感はない。

 発酵なしパンは失敗したけど、家庭で食べる分には悪くない出来だ。材料は最低限でジャムすらないのは味気ないが、エルネスタに文句を言う気配はない。それどころか豪華とすら感じている節があるから、私はやっぱり贅沢に慣れてしまったらしい。

 エルネスタは空になったお皿を眺めてちょっと悩む仕草を見せたが、それもわずかな間だった。


「おかわりもらえる?」

「はい。お肉多めでいいですか?」

「ええ、それで」


 思ったよりしっかり食べる人だから、明日からもうちょっと量を増やしてもいいかもしれない。

 質問を許されるかな、と尋ねてみた。


「精霊の出現ってなんでしょう。彼らがいたのは大昔だと聞きました」

「ああなるほど、そっから説明しないといけないのか」

「できたらファルクラム王国がどうなったか、あたりも詳しく教えてもらえると……」

「なに? あの国に興味でもあるの?」

「……エルネスタさんの出身国ですよね」

「一応ね。どのくらいから知りたいの」

「大体を」

「長いわ。ざっくりいくから気になったら質問なさい」


 大陸の歴史は、ファルクラム王国がなくなるまで大きくは変わっていない。直近ではキルステンの長女が見初められて側室入り。懐妊したものの、国王は反逆者の手に掛かり逝去。ライナルトが国内を把握し、異母妹のヴィルヘルミナ皇女を軍ごと迎え入れたが、少し違うとしたら、王位継承者のダヴィット殿下とジェミヤン殿下だろう。両兄弟殿下はラトリアに密通し、反逆者達と共に国王を害した罪により処刑されたとなっている。これによりファルクラム王国の直系の後継はキルステン長女のお腹に宿った子供だけとなり、あれやこれやにかこつけ国としては存続不可。ファルクラムはオルレンドル帝国の属領になった。


「……崩壊のきっかけになったのはコンラートでした、っけ?」

「あそこはほぼ全滅ですってね。もう立て直しもきかないでしょうし、いまはどういうわけかラトリア領よ」

「跡取りなんかは生き残ってたりはしませんか」

「わたしが知ってるのは領主一家から領民まで残らず虐殺されたって話だけよ。その時には故郷にはいなかったし、詳しくは知らない」


 ああ、だとしたら、あの彼がもしスウェンだとしたら……。

 理解が追いつかないままに口を開いていた。


「あの、でしたら側室入りしたキルステンの噂なんかはご存じないですか?」

「噂?」


 変なことを気にすると思っただろう。しかし私には「聞かない」と宣言したエルネスタだ。疑問は呑み込み、眉を寄せて視線は宙を漂った。


「そういえば一時期、わたしが学生の頃に騒がれてたわ。貴族の娘が母の不貞の結果、家の中がごたついて追い出されてしまったとかなんとかね」

「気がする……ってことはご存じないんですか?」

「貴族のことを根掘り葉掘り調べてなにが楽しいのよ。知っててもしょうがないから興味はなかったけど、あれは噂になったから覚えてるわ。ちょっと待ってちょうだい、母さんはなんて言ってたっけ」


『こちら』に来て気にするのは、この世界にいるはずの私だ。キルステンの次女は母の記憶障害によって忘れられ、あまつさえ彼女の不貞の煽りを喰らって家を追い出された。紆余曲折の末に市井に身を落としたのだのだが、こちらの私はどうなっているのか。

 “私”はうまいこと引取先を言いくるめて一人暮らしを始め、学校に通い出した。そこで『エル』と出会ったのだが、このエルネスタは“私”を見ても反応を示さなかったのだから、違いは顕著だ。

 転生人同士出会わなかったのかと疑問を抱いたのだが、どうもなにかが違う気がしてならないでいる。

 悩む私に、エルネスタはようやく回答を与えてくれたが、その内容はとんでもない。


「なんだったっけ……ゲルダ様が身篭もった時に、追い出された次女と和解したんじゃなかったかしら」

「ど、どんな風に?」

「じじばば共が王家が穢れるとか煩かったあれだわ。たしか次女は幼馴染みと一緒に暮らして、子供も儲けてたけど、ゲルダ様の希望で全員キルステンに戻したのよ」

「こ」

「その幼馴染みってのが使用人だって話だったから、まっとうな血筋じゃないし、お腹の子の傍に置くなんてって反対意見が上がったのよね。だけど陛下の勅命で一発」


 唖然としてしまった。あまりに私の知る、私の経歴と違いすぎるのだ。

 彼女が学校に通っていないのかを問えば否だった。


「困窮してるわけでもない貴族の娘が市井の学校に通うって、なんの冗談よ。頭がおかしいどころの話じゃないでしょ」

「そ、そうですよね」

「どうせ戻ったのもきっかけがあっただけで、使用人の家に匿ってもらって、兄姉からは援助でもしてもらってたんじゃないの」

「そうかなぁ……それはない気がするんですけどぉ」

「なによ、見てきたみたいに」

「なんでもないですけどぉ……」


 その頭のおかしいことをしていたけど、話せないのがもどかしい。

 下手なことは言えない。エルネスタは『エル』と違って大人の分別が備わっているけど、有言実行の人であるのは変わらない気がしている。「聞かない」と決めた彼女にどこまで喋って良いのか、逆鱗に触れて追い出されるのは避けたかった。

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