5.新しい住処

 戸惑いは続くが、黙ってばかりもいられなかった。

 名前を詰まらせる私をエルはじっと見つめている。


「……それ、言うつもりは一応あるってことでいいのかしら」

「な、名前が、思い出せなくて……家の名前はわかるんです。キル……」

「待った」


 片手で制されてしまった。不意を突かれた私に彼女は言う。


「昨日からそうだと思ってたけど、帰ったのに家がないと言って、魔法院を出そうとした。そしていまは名前がわからない。もしかしなくても結構な厄介ごとを抱えてるわね」

「です、ね」


 これが厄介でないなら、どんな出来事も些末毎になるだろう。

 彼女は「わかった」と頷いた。


「言わないでおいてちょうだい」

「え」

「わたしも聞かないでおいておくし、尋ねることはしない」

「どうしてでしょう」

「どうもなにも、いまわたしはそれなりに忙しくて、大変な状況にある。この上面倒な事態に巻き込まれるのは御免なのよ。まして偶然助けただけであって、貴女みたいな“色つき”はただでさえ注目の的なんだから」

「……話さない方が良い?」

「正直知りたくもないわ」


 関わりたくない、と表情がありありと物語っている。

 言葉に偽りはなく、淡々と語る様は、最初から決めていたのかもしれない。彼女なりの理由があるのだろうが、これに困ってしまったのは私だ。

 見知った面影だったのもあった。まして寝台まで貸してもらったから、すっかり相談できる気で――もっと言うなら助けてもらえるかもと思ってしまっていた。

 見積もりの甘さを反省するのはともかく、このまま追い出されてしまうのは困る。

 行く当てのない帝都グノーディアで、知り合い達が私を覚えているのか探るのは果てしなく遠い道になる。絶望しか浮かばない未来。食い下がろうとした私を、頬杖をついた彼女は制した。


「かといって放り出しはしないから安心なさい」

「……というと?」

「昨日貴女を助けた言葉を忘れた? わたし、連中に貴女のことを弟子っていっちゃったわけ。我ながら迂闊な事を言ったものだけど、このまま貴女を放置して問題でも起こされてご覧なさい。私に迷惑がかかるのよ」


 頭の上から黒鳥を掴み置くと、頭のてっぺんからぐぐっと指を押し込む。相変わらず眠りこける黒鳥は、潰されてぺちゃんこになっても幸せそうな夢心地の様子だった。

 彼女は黒鳥を気味悪そうに見下している。


「だいたい、あの様子じゃいまのグノーディアの様子も知らないんでしょ」

「はい」

「だから私にいまのオルレンドル帝国がどうなってるか聞きたかったんでしょ」

「その通りです」

「じゃ話は簡単ね。貴女、しばらくうちで働きなさい」


 話を聞くこと、働くこと、どんな関係があるのかと一瞬悩んだが、つまり彼女はこう言いたいのだ。


「あなたのところで働く報酬が、オルレンドル帝国についての現状?」

「あら、馬鹿じゃなかったのね。そ、わたしはケチじゃないから、最低限の面倒くらいはみてあげる。……愚鈍かと思ったけど、冷静になればちゃんと話が出来るじゃないの」

「……具体的には何をすればいいのでしょうか」

「家事よ。家はご覧の通りなんだけど、わたしは片付けは好きじゃないの。弟子も逃げちゃったし、家政婦を探してたところだからちょうどいいわ」


 ただ、とエルの視線は私の指に落ちた。

 ちょっと意地悪げに唇がつり上がる。


「見たところいいところのお嬢さんよね。掃除に洗濯、料理ができなきゃ話にならないんだけど、そこのところどうかしら。料理くらいは見逃してもいいけど、最低限やってくれなきゃ報酬は払えないわよ」

「一人暮らしの経験はあるから、その程度の範囲なら。あと、料理もできます」

「……あらそう」


 つまらなさそうにされたのは置いといて、これは諸手を挙げて喜ばしい結果じゃない。

 でも、なにもわからない状態で放り出されたのなら、彼女の条件は破格のものだし、嫌だなんて文句を付けるのはもっての外だった。

 寝食が確保できるなら望ましいが、その前に聞いておかなければならない。


「教えてもらえるのなら、是非雇われたいと思います。でも、その間にどうか教えてもらえませんか」

「いいわよ、なに?」

「……ライナルト皇帝陛下が即位されてから、いまは何年経ってるんでしょう。それとあの方に……妃はいらっしゃいますか」


 ちょっと言い淀んでしまったが、この質問は想定外だったらしい。私ももっと他に聞くことがあったのかもしれないが、どうしても知りたかった。


「……妙な質問だけど、まあいいわ。いまは陛下が即位してからそろそろ六年が経とうとしてて、それから独身で妃はいない。……正確にはこの間まで側室がひとりいたけど、隣国との関係が悪化したせいで国元に返された」

「……サゥのシュアン姫ですか?」


 ここでエルの顔が歪んだ。

 不思議な表情だが、すぐに彼女は本音を隠す。


「妙な知識はあるのね。意味わかんないけど……そうよ」

「…………そうですか。ありがとうございます」


 ……だったら、やはりここは私の知らない世界だと確信を持てる。

 諦めがストンと胸の中にはまって、ぺこりと頭を下げた。


「あなたの元で働くお話、受けさせてください」

「受けるのね。なら、一応表向きは師匠と弟子ってことにするわよ、異論は無いわね」

「はい。エル……さんが師匠ですね」 

「そうなるけど、わたしのことはエルネスタって呼んでもらえるかしら。勝手に略されるのは気分が悪いから」

 

 じっと何かを訴えかける眼差しに気を取り直した。

 彼女とは初対面だ。そして雇ってくれるというなら上下関係と意識付けはしっかりしないといけない。


「わかりました。気をつけます」

「よろしい。ま、そこさえ気をつけてくれるのならあとはなんでもいいわ。エルネスタさんでも、師匠でもお好きにどうぞ。どのみち表向きだけで、魔法を教えるつもりはないけどね」


 昨日のなにもない混乱状態、街中で魔力酔いを起こして一晩を迎えていたら、いまごろどうなっていたかわからない。私は自分の運の良さに少しだけ不安が吹き飛び、同時に心許ない自分の立場に、言いようのない感情を覚えた。

 ……助けてもらえたんだもの。もっと前向きにならないといけないのに、いまの現実がどうしても認めがたい自分がいる。

 慌てふためいて事態が動くならいくらでも騒ぐが、エルネスタの前でみっともない真似をすれば放り出されそうだ。その厳しさが逆に私を立て直してくれるのか、自分でも殊の外、背筋を伸ばして頭を下げられた。


「よろしくお願いします。ひとまずは、掃除をすればいいですか?」

「その前になにか食べなさいな。……炊事場は外よ、適当に置いてあるから、そこから取って食べて、ついでに道具類なんかも確認しておいて。いちいち説明して回るのは好きじゃないから」


 黒鳥が私の肩に飛び移るのだが、エルネスタはなんとも言えない表情でこの子を見る。


「その使い魔……いえ、やっぱりいいわ。聞かないと言ったのはこっちだし、わかんないことは外にいる子に聞いて」


 再び乳鉢を掴むと作業に戻り、調合に没頭するようで見向きもしなくなった。

 私も外に出るべくノブに手を掛けると、背中から声が掛かる。 

 

「ちゃんと働いてくれるなら、もっと親身になって相談を受けてくれそうなヤツを紹介するわよ」

「……ほんとですか!」

「礼を言うのは早いわ。わたしは気分屋だから、まずはその気にさせてちょうだいな」


  今度こそ外に出ると陽射しが全身に降りかかり、眩しさに目を閉じた。冷たい風は耐えられないほどじゃない。むしろ陽射しが強いから、陽が高いうちは暑く感じるかもしれないが……それよりも驚いたのは、目前に広がる緑だ。

 鼻を抜ける匂いですぐに理解した。

 ここにあるのは森を抜ける爽やかな風だけで、街中の雑然とした、様々な人々が生活する気配がない。

 簡素な木材の平屋を取り囲むのは森で、目前には広場。整備された道が森に繋がっていて、そこだけが外界と平屋を繋ぐ道なのだと知る。


「目の塔が……あんなところに……」


 ここが帝都内部じゃないとわかったのは、緑に浮かぶ『目の塔』を目視したからだ。あれは帝国でもっとも高い建造物。帝都グノーディアの象徴だから、遠く離れていてもまずは塔が視界に飛び込んでくる。

 旅人や遠征帰りの人々は、遠くから『目の塔』を見つけることで帝都との距離を知り、あと一息だと足に力を込めるのだ。

 確認できた目の塔の大きさ的に、エルネスタの家は帝都を囲む湖の外周付近にある、森の奥深くに位置してそうだ。周囲に人気は感じないし、家の前にぽつんと設置された硝子灯以外は文明を感じられない。

 寒い、と後ろから声が掛かって戸を閉じた。

 田舎から出たてのお上りさんみたいに辺りを見回していく。

 家の前を広めにとってあるのは、焦げ付いた古い木製人形が説明している。

 離れた位置に屋根付きの炊事場があって、傍では水が沸いていた。水桶やカップが置かれているから、飲み水として使える証拠だ。一口飲んでみたら、あっという間に三杯も飲み干してしまった。

 炊事場に雨除けの屋根は備わっているけれど、横からの風には弱い。本格的な炊事場だがすべて外気に晒されているのもあって、丁寧には使われていなかった。

 無造作に置かれた鍋の蓋を開ければ、ほのかにあたたかいスープが入っている。温めたい気持ちもあったが、竈は木と火打ち石を使う火熾しだ。

 別におかれた桶には使い終わった食器やスプーン類が放り込まれている。石鹸と布があったから、後で洗う必要がありそうだ。

 他人様の家の台所は使い勝手がわからない。食器置き場を探すために硝子蓋の容れ物を捲るとパンも発見したが、いつ買い込んだのかってくらいにカチカチだ。食器が見当たらず首を捻っていると、膝裏にちょん、となにかが触れて悲鳴を上げた。


「な、なにっ!?」


 びっくりして振り返るも誰もいない……が、視線を下げると、人じゃないものはいた。

 大型犬が私を見上げている。ただし普通の犬ではなくて、光すら吸収する漆黒の暗闇で、黒鳥と同質の物体だ。目にあたる部分だけが一対白く備わっていて、ふんふんと鼻を鳴らしながらもう一度スカートを擦る。

 今度は鼻先がふいっと動いて、下段の棚を差した。指示通りに棚を開くと、無造作に置かれた食器類が積まれている。

 ……普通こんな下段に食器は置かないんじゃないかしら。

 黒犬が吠える様子はない。尻尾を振りながら大人しく待つ頭を撫でた。


「教えて……くれたのよね。ありがとう」


 ぼんやりと伝わる魔力から、この子が「外にいる子」なんだと把握できた。

 自己紹介をせずとも、この子は私を把握している。知性の高さがエルネスタの使い魔であると如実に語っていた。


「よろしくね」


  黒鳥が黒犬の頭の上に飛び乗り、黒犬はおすわりの姿勢で頭上を気にし出したが、黒鳥は素知らぬ顔で鎮座し続けている。

 私はぬるいスープを皿によそうと、パンを浸し、期待と不安を織り交ぜにしながら口に運ぶ。

 食事はきっと彼女の手製だ。塩っ気が強く、そのわりに出汁の味がない。ただ野菜と肉を放り込んで塩を入れて煮ただけで、肉も臭みが強かった。食べられれば良い……そんな感じだろうか。あんまり料理が得意じゃないのはわかった。

 これを消費しきったらお料理について考えないとならないが、目下、私には優先的に考えなければならないことがある。

 

 名前、なんて名乗ろうかな。

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