No.019 開き直る

 アローグの絶命と、俺の全力肉体強化フルドーピングされた肉体には、短刀が通らなかった事を目の当たりにした兵士たちから敗走が始まり、気付けば死体の山の中で返り血で真っ赤に染まる俺だけが立っていた。そして、その様子から更に恐怖が伝染したのか、この日の攻撃はそこを境に終わりを迎える。


 殺しちまった。


 俺の頭はそれでいっぱいだった。目の前に転がる金色だった真っ赤な死体。俺が初めて殺したホミニス。デモネシアも黒い血のような物を飛び散らすが、死ぬと全て蒸発する。だがホミニスの真っ赤な血は、死んでもこうして残っている。俺が怪我した時に流す血と同じ色の血だ。真っ赤に染まった自分の腕を見て震えているのに気付いた。


 ふと正面に大きな影が立つ。そして、抱き締められた。


「良くやった、グレン。お主が悪いのではない。命令したのは儂だ。儂が悪いのだ」


 バイクルの声だった。そして、そのまま、大きな声、各員に指示を飛ばしている。内容は分からない。俺は、人を殺してしまった。その現実に、真っ赤に染まった自分の体に、独特と香る血の匂いに、どうしたらいいのか分からなくなっていた。


 あいつにも家族がいたんじゃないか? 仲間がいたんじゃないか? あいつの死を悲しんでいる奴がいるんじゃないか? 小さい子がいたりしたんじゃないか? もしそうだったら、俺は父親を奪った事になる。そしたら、あの時の山賊と同じじゃないか。親父を殺したあの山賊たちと――


◇◇


「正直、これほどとは思わなかった。紅き流星の名、伊達ではなかったな。圧倒的ではないか」

「うむ。しかし、初めて人を殺した新兵がよく陥る罪悪感の海に沈まなければ良いが……」


 防衛戦を無事に耐えたナスツール軍は、生き残った者たちに酒を配り、祝杯を上げていた。そんな中、バイクルや他の指揮官は、俺の話をしているようだった。だが、俺はその場にはいなかった。あの後の事は覚えていないが、バイクルの家に戻され、服を捨て、メリッサになされるがまま、風呂に入れられ、そのままベッドに横になっていた。


 セルシオが殺された時、ロビンとダブって見えたんだ。そしたら、言い表せない怒りに囚われてた。気付けば、口から血を垂らし、憎々しいという目で睨むアローグの顔が思い出される。そして、胸に穴の開いた死体。本当に殺してよかったのか? いや、セルシオは殺されてた。殺さなきゃ、もっと仲間が殺されてた。仲間? アローグも仲間じゃないのか? 同じホミニスだぞ?


 同じ事を脳内で繰り返し問いかけているうちに夜が明けてしまっていた。ノックが聞こえる。返事する気力もなかった。ドアが開く。


「いつまで寝てる気だ?」


 バイクルの声が後ろから聞こえる。返事しないでいると、無理やり起こされる。


「今日も攻めて来るかもしれん。行くぞ、早くこれに着替えろ」


 バサッとベッドに置かれたのは、ナスツール軍の兵士の服だった。そうか、俺は人を殺してしまったから、モンク僧用の修道服はもう着れないんだったな。


「俺も最初、賊を殺した時はずいぶんと悩んだものだ。もう昔の話になってしまったがな」


 突然、バイクルは自分の過去を語り出した。まだ、軍に入って間もない頃に、オイエード城下町では、組織的な賊が暴れまわっていて、取り締まりの強化をしていたところだったという。基本的には、殺さず捉え、拷問してアジトを吐かせる狙いだったが、その日は運悪く、同期の仲間を殺されてしまい、バイクルはその賊を生きて捉えず、自ら選択して殺したのだと話す。その後、数日間、夜もうなされたという。


「悪政の割を食って、路頭に迷った結果、賊となり下がった自国民を殺すより、国の命令で動いて、それで金を稼いでいて、侵略のために戦う敵兵を殺す方がまだ罪は軽いと思わないか?」


 確かに、そっちの方がまだ正義があるのは分かる。だが、だからと言って殺していい理由にはならない。


「それに、昨日の戦闘を見てわかっただろう? 殺さなければ殺される。それが戦争だ。そして、この戦いが長引けば長引くほど、南方への援護は遅れ、お前の心配する旧友たちは危険にさらされてしまうのだぞ?」

「……」

「開き直れ! 死にたくなければ俺の敵になるな! と言えるくらいに開き直れ! それでも敵をやめない奴は、自ら選んだ死だ。お主に罪はない、殺せばいい」


 そうか、死にたくなければ敵を止めろと言って、止めない奴は死んでもいいって自分で決めた奴だから、殺されても文句は言わないって事か。


「それに、兵士の家族ってのは、いつそやつが死ぬか分からない事くらいは覚悟しているものだ。うちのアリアやメリッサだって、今日、儂が死ぬかもしれないと思っているだろう。そういうものだ」


 そうか、死ぬ本人だけじゃなく、兵士になった時点で家族はそれなりに覚悟が付いているものなんだな。村じゃ、狩りの最中に崖から落ちて死んだり、親父みたいに俺が油断して、山賊の人質になって身ぐるみ剝がされて殺されるとか、予期せぬ事故ばかりだったからな。だから余計、理解できなかったのかもしれない。そういう価値観を。


「……着替える」

「うむ、外で待っている」


 仲間を殺されたくなければ、殺すしかない。これは相手がデモネシアだろうとホミニスだろうと同じ答えなんだ。それが戦争、俺がすべき事なんだ。だったら、俺は――


「男前になったな、似合うじゃないか、軍服が」

「なあ、おっさん」

「なんだ?」

「この戦争、犠牲者をなるべく少なく終わらせる方法ってあるのか?」


 俺は陣に向かいながら、バイクルにそう尋ねる。すると当たり前という顔で答えが返って来た。


「敵の総司令、皇帝が止めるといえば終わるだろう」

「てことは、ラベルンロンドの首都に攻め込まないとならない訳だな?」

「そうなる。しかし、今の我が軍の戦力では、首都に到達するには何年かかるか……」

「俺が行く」


 俺が一人で首都まで乗り込んで、皇帝に戦争を止めさせればいいんだ。何なら皇帝を殺せば終わる訳だ。そうすれば、多くの者の命は守れる。これしかない。俺は確信していた。


「行くってお主、首都に単独で乗り込むのか?」

「ああ、皇帝だけ片付ければ戦争が終わるんだろ?」

「いや、まあその側近や片棒を担ぐ貴族も終戦と言えば、終わるだろう」

「軍服じゃ目立ち過ぎる。他の服ねぇか?」

「本気か?」

「本気だ」


 殺すのは最小限で済むならそれに越した事はない。そう伝えると、バイクルは考え込んでいた。そして、ようやく口を開く。


「失敗しないか? お主に死なれれば、それこそ、ナスツールは終わりだ」

「昨日の金色がエースだろ? デモネシアの中級くらいだ。一撃で終わる程度の話だぜ? そんなの何百、何千と蹴散らして来た。心配はいらない」


 バイクルは驚いた顔をしていた。何に驚いたのか分からなかったが、目を大きく見開いている。


「どうせ、向こうのお偉いさんたちも金と権力で上にいるだけのザコだろ?」

「……そうだな」

「心配する要素がどこにあるんだ? もう俺は人を殺しちまった。一人殺したんだ、もう千人も変わらない。だけど、命令で動いている連中は戦いたい訳じゃないだろ? なるべく殺したくはねぇ。命令した奴が戦えばいいのに戦わねぇ。だったら、戦わせてやる……」

「分かった。お主の案にかけるよう、皆を説得しよう」

「向こうの首都までどのくらいだ?」

「馬車で一カ月ってところだろうか」

「なら、一週間だな。一週間で蹴り付けてやる」


 俺の言葉に、できるのかという顔を浮かべるバイクルだったが、陣に入ると、他の指揮官に説明を始め、訝しそうに見て来る奴もいたが、


「あんた、俺の敵か?」


 と聞くと、黙ってそっぽ向いていた。結局、反対もなく、俺は着替えを用意してもらい、オイエード城を後にした。

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