No.017 大泣きの後に

 今、俺は大泣きをした後、アリアに頭をヨシヨシされている。こんな姿、恥ずかしくて、誰にも見せられない。だけど、今は誰も見ていない。いや、メリッサが見てるけど。


 村がブルーヒュドラに襲われ、目の前で妹シアルが殺された。その復讐のためにブルーヒュドラを殴ったこの拳がレナードたちに一目置かれ、冒険者になった。すぐに要塞都市ランドールでモンク僧として修業を始め、ホリムに福音書を教わった。レナードが切り開いた戦線を維持するために先行して、デモネシアのボスと出会い、レナードの右腕がなくなった。戦いに追われ、気付けばホリムが死んでいた。親友のロビンが俺のせいでイジメられていた――


 泣きながら、まとまりのない今までの濃い経験をアリアに零していた。それをうんうんと頷いて、黙って聞いては「頑張りましたね、偉いですわ」と褒めてくれた。ここではエースではなく、一人のグレンとして、16歳の少年として、本音が出せた。俺は村で今まで通り、ロビンと一緒に狩りをして暮らせればそれでよかったんだ、と。エースになりたかったわけじゃない。紅き流星と呼ばれたかった訳じゃない。拳神なんて――


「でも、あなたには才能がありましてよ? 皆、羨ましいんじゃないかしら?」


 そう、ロビンも言っていた。才能がない者は努力しても成せない。でも、俺は才能があるから、努力すれば成せる。この差は大きいと。


「大丈夫ですわ、自分を信じなさい。あなたは強く、才能に溢れていますもの。これからもきっと、もっともっともぉーと強くなりますわ。わたくしが保証しましてよ」


 何だか分からないけど、ひとしきり泣いたおかげか、アリアの励ましの言葉のおかげか、今までは気を引き締めっぱなしだった体から、急に力が抜けるようだった――


「あら、大変っ! メリッサ、彼を部屋へ」

「はっ! 奥様」


◇◇


 目を覚ますと、ベッドの上にいた。見慣れない天井。カーテン越しに光はない。もう夜のようだった。俺は静かに上体を起こし、腕をぐっと上に伸ばして伸びをする。久しぶりにゆっくり休んだかもしれない。


「そうか俺、あのまま寝ちまったのか……」


 思い出すと恥ずかしかった。ガキみたいにアリアの胸に抱かれて、大泣きして、泣き疲れて眠っちまうとか――


「どんな顔して、出て行けばいいんだよ」


 俺はベッドから足を下ろし、頭を抱えた。恥ずかしすぎるだろ。大の男が。しかも、仮にも拳神なんて、前線では崇められていたんだ。他人の奥さんの胸で大泣きしてたなんて、なんて弁解したらいいんだよ。


 こんがらがった頭のまま、とりあえずドアを開けて部屋を出る。長い廊下が続いている。雰囲気的に一階の奥のである事は何となく分かった。カーテンのない窓から見える景色に地面が見えたからだ。そして、右は壁、左だけが廊下だった事もあり、何となく、そっちに向かう。

 初めて来た家で、初めて会った人の前で初めて大泣きしてって初めてづくしで、アリアに会ったら何て説明しよう、とか、きっとメリッサが運んでくれたんだろうから、礼を言わないととか、とにかく頭の中で色んなシミュレーションが行われていた。

 中央辺りになったのか、大きく広がる廊下とその向こうに、エントランスが見えた。見覚えのある景色に、正直迷わないか不安だった俺は安心した。エントランスに出ると、


「まだ子供なんでしてよ! あんなに頑張って生きて来たのに、今度は人殺しさせるつもりですの!」


 アリアの怒鳴る声が聞こえる。


「子供かどうかは関係ない! 同じくらいの年齢の兵士や冒険者は山ほどいるのだ! 皆、大なり小なり命を張って、様々な危険や悔しい思いをして来ている!」


 今度の怒鳴り声は、バイセルか。声の聞こえるドア、寝る前に案内されたダイニングだ。そこに近づき、耳をドアに当てる。


「でも、彼はアリエル教徒でしてよ! 人殺しは禁忌、教団からは裏切り者になりますのよ? 分かってまして?」

「……それに関しては、申し訳なく思っている。だが、事は一刻を争うのだ。すでにジャルカが堕ち、敵はここ、オイエードに迫っている」

「そんなっ!」


 悲鳴にも似た声を上げたアリア。そのまま、沈黙がしばらく流れる。話の流れ的に、アリアは俺をかばってバイセルに意見してくれていたのだろう。俺が泣いたりしなきゃ、このトラブルも起こってなかったかもな……


 甘えてしまった自分に少し反省していると、肩をトントンと指でつつかれた。振り向くと、口元に人差し指を立て、静かにとサインしているメリッサが立っていた。そして、こそりと耳元で、


(お二人は落ち着いたか?)


 とだけ尋ねて来た。ドアに耳を当てた俺は頷く。まだ沈黙しているからだ。そして、メリッサを再び見て気付く。手元に昼間出してくれたお茶セットを持っていた。そして、俺の頷きに反応して、ドアをノックし、「失礼します」とあっさり入って行った。


「グレン様がお目覚めですが、お通ししても良ろしいでしょうか?」


 何事もなかったように、そう尋ねるメリッサに、


「おお、通してくれ」


 バイセルは、嬉しそうに答えていた。さっきまでの喧嘩が嘘のように、俺はメリッサに案内され、ダイニングへ通された。アリアは後ろを向いていた。涙を拭いているようだった。


 悪い事しちゃったな。


「グレン、話は聞いたぞ。色々大変だったようだな。全く聞いてやれなくてすまなかった」


 そう言って、バイセルは頭を下げていた。


「い、え、ん、えっと、良いっておっさん。その、俺もなんて言うか――」


 動揺していると、振り向いたアリアと目が合う。ニコりと微笑んだ。


「戦場じゃない場所で普通に会話するのが、久しぶり過ぎて……なんていうか、油断したというか」

「わはは、まあいい、そこに座れ。メリッサを茶を入れてくれ」

「はっ!」


 そこと言われたのは、バイセルの隣だった。座ると頭の上に大きな手が乗り、ガシガシと撫でられた。


「そうだな、アリアの言う通り、姿と会話だけ聞けば、ただの生意気な子供だな」

「でしてよ。皆で祭り上げて、期待を背負わせては可哀想でしょう?」

「だが、戦場にこのくらいの年の子がたくさん散っているのも現実だ。その子たちのためにも、早く戦争を終わらせてやらなければならない。それが軍人の、指揮官の仕事だ」


 真剣な顔でアリアに説明するバイセルは、お茶を持って来たメリッサにも尋ねる。


「なぁ、メリッサ、お前が従軍したのはいくつだった?」

「はっ! 17歳でありました」

「俺も16歳だ。儂たちは時代が良かった。戦争がなかったからな」

「ええ、デモネシアとの争いも局地で、冒険者が片付けてくれていました」

「時代が変わった、という事だ、アリア。そして、今もデモネシア戦線ではたくさんの若者が散っているだろう。こやつがここに来ている分、余計な」


 そうだ。俺が遊撃しないって事は、現地の戦力で対抗しなければならない。それなりに戦える者もいるが、数が圧倒的に足りない。ロビンは無事だろうか。


「だから、早くこやつを帰してやらなければならない。そして、今度は儂らが南方を援護しなければならない。そのために――」


 再び俺の頭をぐいぐい撫でまわしながら、アリアを諭すバイセル。


「こやつを呼び出した。戦争を早く終わらせるために」

「……」


 理屈はアリアも分かっているだろう。だけど、感情では納得できていないのだろう。顔が険しい。


「あ、えっと、アリア、俺の事、色々考えてくれてありがとう。大丈夫だから、おっさんと一緒に敵をとっとと追い返して、まずはこの街の安全を確保しなきゃって思えたし」


 俺の発言にムッとしたのか、メリッサに注意される。「奥様を旦那様の前で呼び捨てされるとは何事か」と。それをバイセルが制す。


「こやつの育った集落は、狩猟生活していた。集落と戦場しか知らずに育っている。察してやれ」

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