若人たちの旅立ち

No.001 突然の死

 俺の生まれた村は貧しかった。ナスツール共和国という小国の西の果て、50人程度が暮らし、狩猟を主としていたビルナッチという村。

 自然豊かで、生命を慈しみ、狩った獲物は骨まで無駄にしない、そんな営みが行われていていた。


「長老っ! ロビンとグレンがまた、大物を持ち帰りましたっ!」


 長老と呼ばれた頭頂部から額にかけて禿げ上がり、腰まで伸ばした白髪と白髭に毛皮の服を着た老いた男は、立ち上がって天を仰ぐ。


「おぉ……女神アリエル様に感謝を……我が村はまた救われました」


 胸に当てた右手の平を下ろし、報告に来た若者を見る。


「何日分になりそうだね?」


 その質問に少し首を傾げて宙を見た若者は少しして、答えた。


「分かりませんっ!」


 ハァとため息をついた長老と呼ばれた男は、若者の元に歩み寄ると、


「狩りも下手、計算もできない……お前は一体何ができるのだ?」

「へへっ」


 鼻の下を右手人差し指でこすりながら、若者はニコりと笑う。


「褒めとらんわ、バカ者」


◇◇


 村の中心では盛大に火が焚かれていた。まだ照る日を隠さんばかりの煙が立ち上がる中、二人の男がたくさんの村人に囲まれ、拝まれていた。

 一人はニコニコとしており、一人はどうだとばかりに胸を張り、誇らしげに大笑いしている。


「おぉ、女神様……ありがたやありがたや」


 幾人かの老婆は膝を付き、二人に拝んでいた。また、若い女たちは、そんな二人に黄色い声援を浴びせている。若い男の一人は、そんな状況が気に食わないのか、ふてた顔で足下の石を蹴り、またある壮年の男は誇らしげに二人を見つめていた。


 二人の後ろに寝転ぶ巨大な獣。猪のような象のようなミルチと呼ばれたこの辺りで生息する野生動物であり、小さい物でも成人男性6人が横に並べる大きさであり、今回のそれは、何とその3倍以上の大きさがあった。


 子どもたちはあまりの大きさに近くから見上げて開いた口が塞がらないほど、珍しい大物だった。その体には、数え切れないほどの拳の跡と、切り傷が刻まれている。


「……なんと」


 そこへやって来た長老は、眼を見開いた。


「やっぱりロビン兄とグレン兄はすげぇや」


 少年が嬉しそうに二人の周りをピョンピョン飛び跳ねる。


「きっと、頑張ってる皆への女神様からのご褒美だよ」


 囲まれている一人の男がそう言うと少年の頭を撫でる。男の名はロビン・マッカー。村一番の信頼を集め、若い女性たちは彼に抱かれる日を今か今かと待ち望んでいるほどの好青年だった。


「何がご褒美だ、ふざけんなっ! お前危なかっただろ? 女神様なんて、助けに来なかったじゃねぇか」

「でも、君が助けてくれただろ、グレン。だから、僕は今ここにいるんだ、ありがとう」

「チッ……そういう事じゃねぇんだよ」


 この舌打ちしている真っ赤な髪のクソガキは、まだ15歳の俺、グレン・ゾルダート。ニコりと笑うサラサラの黒髪に爽やかな顔が印象的なロビンから目をそらして、空を見てぼやく。


「女神様が助けてくれるってんなら、父さんだって……って、イテッ! イテテテテッ!」


 何者かが俺左耳を下から引っ張ってやがる。目をやるとそこには若い少女がいた。


「お兄ちゃんっ! 女神様の悪口言わないのっ! どうすんのよ、女神様が怒って村に災いが来たらっ! 謝ってっ!」


 頬をプクッと膨らまし、そう叫ぶのは実の妹のシアル。キンキンと煩せぇガキだなぁ。


「はいはい、ごめんなさいよっと」


 適当にあしらって、耳を掴んだシアルの右手を払い、不機嫌にその場を去ろうとすると、ロビンの声がした。


「僕はグレン、君を誇りに思っているよ。代わりに女神様に謝罪しておくから、ゆっくり休むといい。後は僕がやっておく」

「そうかい。んじゃ英雄様、頼むわ」


 そう一言残し、俺は家へと潜り込んだ。寝所の藁に寝転び、頭の下に両手の平を潜り込ませ、天井を見上げる。突風でも吹けば飛びそうな藁と木で作られた雨漏りする家。都会では、レンガだったか硬い石を積み上げた頑丈な家に住むと、以前訪れた狩人が言っていたのを思い出す。


「んなもん、ほんとあるのかよ」


 今回の狩りは、本当に危なかった。一歩間違えば、ロビンは死んでいたかもしれない。俺はもう、大切な誰かを、狩りで死なせるのはこりごりだった。あの時だって、俺が油断さえしなけりゃ、親父も死なねぇで済んだかもしれない。そんな後悔が、いつだって狩りの最中は頭をよぎる。


 まぁ、今回はそのおかげでロビンを助けられたから良しとするか。


◇◇


「きゃぁぁぁぁぁっ!」


 次の日の朝か、俺は悲鳴で目を覚ます事となった。昨日の祭り騒ぎで、平穏そのものだった村に、悲鳴が響き渡る。

 俺は慌てて、自分の小屋から飛び出す。そして、眼前に広がる光景に愕然とした。


「……なんで、ヒュドラが」


 ヒュドラ。小型のドラゴンであり、この辺りには生息していないと言われている狂暴な獣。大きさは昨日のミルチの二倍ほど。冒険者組合に所属する数百人程度しかいないエリートであるA級冒険者ですら、全滅すると言われる事で有名なヒュドラが、今、目の前で村人を口に放り込んで行く。


「っ! シアルッ!」


 ちょうど、次の獲物が妹に定まった瞬間だった。悲鳴もまさにその妹、シアルの声だ。俺の場所からじゃ、間に合わない。


 ザシュッ!


 剣で切られてよろけるヒュドラ。その先には、果敢にもヒュドラに挑む男の姿があった。ロビンだ。慌てて、ロビンに駆け寄った俺に、


「グレン……どうやら僕らの命運もこれまでのようだね」


 辺りに広がる真っ赤に染まった集落、あちこちに転がるちぎれた四肢や頭部にチラリと視線を送り、悲しそうにそう口にしたロビン。それもそのはず、ヒュドラに襲われて助かった集落なんて聞いた事がないからだ。しかし、何でこんな場所にヒュドラが――


 混乱して見上げた空から、突如として火の玉が空から降り注いだ。それは、ヒュドラに命中し、爆発。悲鳴にもにた雄たけびを上げるヒュドラ。軌道を辿れば、飛竜に跨る魔術士の姿が見える。

 遅れて駆け寄って来る男女。男二人は剣士と斧士だろうか。女は杖を持っており、修道服のような装いから治癒術師だろう。


「いやぁ、ちょうどいいところに小せぇ集落があって助かったな。良い囮になってくれたぜ」


 そんな言葉が聞こえると同時に、三人はヒュドラに奇襲を仕掛けている。暴れるヒュドラ。もがきながら、振り回す尻尾が――


「シアンッ!」


 間に合わなかった。振り抜かれた尻尾に妹のシアンが吹き飛ばされる瞬間だった。庇いに走っていたロビンの背が絶望に飲まれる。直撃だった。吹き飛ばされ、ゴロゴロ転がった後、泡を吹き、ピクリとも動かないシアン。慌てて駆け寄った俺は、すぐに口に耳を近づける。息がない……脈を診る。


「クソッ!」


 もう死んでいる。怒り心頭の俺の後ろに駆け寄ったロビンは、申し訳なさそうに口を開く。


「……グレン、せめて僕らだけでも」


 だが、俺にその言葉は聞こえなかった。ヒュドラを睨み、それと戦う冒険者たちを睨む。


「ふざけんな。目の前で家族を殺されたんだ。村の連中だってほとんど殺されてるじゃねぇか……」


 立ち上がった俺の拳は、恐ろしいほど震えていた。恐怖、怒り、無力感、絶望、喪失感――あらゆる、感情が入り交じり、言葉にならずに駆け出す瞬間だった。ロビンは悲しそうな表情を浮かべつつ、笑顔で俺に告げる。


「分かった。殿を僕がしようと思ったけど、一緒に戦おう」


 こうして、俺とロビンの冒険者への第一歩が始まる――


 俺は全速力で走った。景色が分からないくらいの速さで。そして、その感情の全てを、目の前にあるヒュドラの腹へ――


「死にさらせぇぇぇぇぇっ!」

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