第30話

グティエル・エンバレクは素晴らしい体躯を持った山猫じみた笑顔の持ち主で、不機嫌そうにひそめられた眉と醜い小さな目を除けばなかなか宮廷でも通用しそうだった。


フォルテ・ギリアはそれを意外に思う。晴れて皇后となり皇太子を産んだ麗しきメイのことだから、もっとチビハゲデブで臭いおじさんのところにラウラをくれてやったとばかり。おそらくメイは北の最果ての土地に美しいものなどひとつもないと考えたのだろう。


ざっと観察を終え、フォルテは優雅に一礼した。


「皇帝陛下より親書をお届けにあがりました。姓はギリア、名はフォルテ。尊敬する辺境伯閣下、お若い閣下の御年齢にそぐわぬご高名は遠く王都にも響き渡り、その威厳と英知に感服いたしております」

「御託はいい。要件はなんだ?」


フォルテは鼻白んだ。彼は美貌が冴え冴えとよく見えるよう、かすかに顎をあげて流し目をくれてやった。やはり目の前のユルカイアの領主のような男は、自分のような男を見下すものらしい。


「私は常々クォート家の尊貴なる皆様方と時間を共にさせていただいておりますが――」

「ああ。その皇后のヒモがなんの用だと聞いている」


――落ち着け、とフォルテは自分に言い聞かせた。相手は北の田舎者で、彼ほど美しい男は見たことがないに違いない。舐められないよう尊大にしているのだ。


グティエルの顔には山猫のように柔らかな笑みが浮かんだままである。無言の促しに乗るのは腹立たしいが、このまま膠着する意味もない。


「……姫君がお元気であられるか、皇帝陛下はいたくご心痛を示しておられます」

「誰のことだ?」


フォルテ内心、呆れた。


「お預けした姫のことですよ。ラウラニア姫のことです」

「妻はすでに皇女ではない」


ごく平坦な声音である。


「なぜ姫と呼ぶ?」

「お身体に流れる血は消せません」

「皇女の称号を剥奪しておいて、血には敬意を払うという。おかしなことだ。中央諸侯たちがお考えの常識はユルカイアなどから見れば異質なものばかりだよ」

「閣下はその中央と喧嘩をなさりたいので?」


グティエルは両手を挙げた。古臭く黴臭く辛気臭い応接間に、その仕草はそぐわない。


天井が高く、堅牢な石壁はまるで牢獄だ。見るからに堅牢な城は城というより要塞か砦といった風情で、いくらタペストリーを飾ろうが大理石のマントルピースを置こうが誤魔化し切れない。


「まさか! 我々は清らかなる皇帝陛下のしもべです」

「ではラウラニア様に会わせてください。それで僕の仕事も終わりですから。顔を見たらすぐに帰りますよ」

「何故突然に使者をお立てになられたのか聞いても? あなた方は婚礼の祝宴にも出席なされなかった。よほどユルカイアの土が足に合われないと見たが」


フォルテは猫被った猫を剥がすことにした。彼はグティエルと噛み付きあいたいのではなく、反りの合わない幼馴染の顔を見に来たわけでもない。使者になりたいなど言わなかったが、うっかり白羽の矢が立ってしまっただけだ。去年以来、後ろ盾のないフォルテには損な役回りが回って来通しだった。


「皇后陛下はお産まれになった皇太子殿下のご体調をいたく心配あそばされ、皇帝陛下のもっとも年長のお子であられる姫様にご相談なさりたいと仰せです」

「――血統魔法に不具合があったのか。それは気の毒に」


貴族には稀に起こる疾患だった。体内にある魔力嚢に先天的な問題があったか、魔力測定の術式に反応しなかったか。もっと昔はどんな貴族家にも特有の血統魔法があったものだが、エルフの血が薄まり普遍魔法しか使えない貴族も増えた今日となっては疾患の確率も上がっている。貴族たちはこれからゆるやかに魔法を失うさだめにあると聖職者たちは予言する。だから祈り寄進しろと。


「確かにラウラは治療方法の実験体に最適だ。皇太子サマとは半分血のつながったきょうだいになるわけだからな」


毒のある言い方をフォルテは無視して頷いた。


「仰る通りです。彼女が知ったら暴れ回るでしょう」

「あれはそんなことしないだろう」

「まさか。閣下は姫の本性をご存じでない」


二人の男は微苦笑の混じった憎悪の視線を送り合った。分厚い繻子のカーテンがせっかくの初夏の陽光を遮り、閉ざされた窓のせいで蒸し暑いのに背筋は冷える。フォルテは火がない暖炉をちらりと見た。灰が掃除されずに残っている。まったく、この城の使用人はうすのろしかいないのか?


(宮廷より侘しいところだろうとは思っていたが、これほどとは)


この分ではラウラニアのヒステリーはとんでもないに違いない。若い辺境伯の心象も最悪なのはそのせいもあるだろうとフォルテはあたりを付けた。


フォルテは元々ラウラの母カティアに気に入られた小姓だった。最初は美しい皇后に見つめられたことが素直に嬉しく、睨んでくるラウラの顔が面白かった。――母上のご機嫌を損ねないよう気を付けなさいよ、と小声で忠告されたときも、誉ある皇帝の第一子でさえ僕の顔が妬ましいのかと有頂天になったことを覚えている。


実際、フォルテの武器はこの顔しかなかった。彼は顔を誇り、大切に手入れし、すくすくと育った。


淫欲皇后が彼をソファに押し倒したのは十二歳の昼日中のことだった。


彼はそれまでラウラの部屋から聞こえてくる悲鳴を彼女特有の大げさなヒステリーだととらえていた。ああして他人に構ってもらおうとしているのだと。だってカティアは美しく、賢く、頼りない皇帝を尻に敷いて国政の面倒まで見ている才女で、彼に宮廷のしきたりや文化をたくさん教えてくれた。第二の母のように思っていた人だった。絶世の美女。フォルテを下らない片田舎の因習から引き上げ、助けてくれた人。


そんな人を悪く言うラウラはブスのあまり母の美貌を僻んでひねくれた女の子だと思っていた。


ことが終わって鼻歌交じりに皇后が立ち去ると、ラウラはタライと水差しとタオルを持ってきて彼の身体を拭いてくれた。フォルテは起き上がり、ラウラの頬をブッ叩き、二人は乱闘した。


どちらも十二歳、分別はついているはずの歳だったが感情は立場を上回った。結果としてフォルテは皇女に手を上げた罰として鞭打たれたが、ラウラの方もカティアに報復されたようだった。どちらがより悪いのか、より惨めなのかわからなかった。二人は犬猿の仲となった。


貴族は思春期ごろに魔力が覚醒し、魔法使いと呼ばれるようになる。古い時代では覚醒するとすぐ成人の儀式があり、それは平民を一人殺して首を持ってくるというものだったそうだ。魔力を持ち、それを制御して人を殺せるエルフだと証明しなければ社会の一員にはなれなかった。


ラウラは両親のどちらにも似ていなかったので、長い間血統を疑問視されていた。だが彼女は魔力に覚醒してすぐ、血統魔法への適正を見せた。


皇后メイは焦っている。まさか己の息子が魔法の才能を持たない可能性があるとは思いもしなかったのだろう。いくら魔法が衰退しつつあるとはいえ、依然として魔力なしは家から追放するのが不文律だ。皇位継承権以前の問題である。


血統魔法に覚醒することがラウラにかけられた謂れなき疑いのすべてを跳ね返した。


そしてクォート皇家の血統魔法とは……。


「どうか姫様にお目通りさせてください。お話だけでもさせていただけませんか。お母上がご存命の頃より懇意にさせていただいておりました。お元気な顔を拝見いたしたく思います――」


考え事とは別にフォルテの口はするする動く。口八丁くらいはお手の物である。貧乏くじ引かされて辺境への使者に仕立て上げられたときはどうしたことかと思ったが、むしろここに長くいた方が宮廷の魑魅魍魎に手駒にされなくていいかもしれない、と思ってフォルテはにっこりした。グティエルは山猫のような笑顔で応え、ぴくりともしなかった指がわずかに上がって使用人を呼んだ。現れたのは凡庸な顔立ちの中年女性である。


「妻は寝込んでいるので会わせられない。ユルカイアの水に馴染めないらしい。城の中では自由にしてくれて構わない。――マヌエラ、ご案内しろ」

「はい」


女性はフォルテに教科書通りの綺麗な礼を見せる。


「お部屋が整いました。どうぞこちらへ」


このあたりが潮時だろうと判断して、フォルテは笑う。宮廷で話題の少女じみて愛らしい笑顔だった。


「では、お言葉に甘えて。辺境伯閣下、またお時間を取っていただけますか。ラウラニア様の昔のことなどお話いたしましょう」


グティエルはかすかにわかる程度に頷いた。フォルテは侍女のあとをついて応接間を後にした。城はどこもかしこも古びていて薄暗く、気が滅入る。早くラウラの顔が見たかった。

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