第7話


グティエルの言った通り夏は瞬く間に過ぎ去り、収穫期である秋は二週間ももたず、冬が来た。


ラウラの仕事は山ほどあった。城に住む使用人や騎士、そして近隣の村々の住民のため働かなければならなかった。


大部分のやり方はマヌエラが知っていて、十分以上に助けてもらった。使用人の性格を熟知しており、仕事の段取りも知っている。実際に監督に動いてくれたのも彼女だった。凍らないように井戸に覆いをかけ、馬小屋に幕を張り、使用人たちに毛織物を配る。子供や病気の者がいれば僧院で僧に見てもらえるよう取り計らう。


やがて家畜の日がきた。城の裏手にある家畜小屋では、牛と豚が飼育されている。そのうち弱ったものを選別して食肉にしする一大仕事である。城じゅうの女たち、男たちが動員され、近隣の村からも応援がきた。痩せたり年取った家畜を屠り、燻製肉にする仕事をラウラも手伝った。マヌエラはじめ城内の女たちは恐縮したものの、ラウラは頼み込んで仕事に加わった。終わりに燻製小屋を埋める肉の山を見るのは爽快感があり、楽しかった。普段は話せない使用人の様子を観察できるのも面白かったし、何より集団の中で働くことができたのが嬉しかった。


貴婦人の仕事は実際に手を動かすことではなく、誰をどの仕事に割り当てるか決め、そこで生じる揉め事の仲裁、それから褒章を出すことである。だが実際にそうした仕事はマヌエラと、グティエルに分担されていた。使用人たちは皆結束が固く団結しており、何もわからないまま口出しすれば疎まれる可能性が高かった。となるとラウラのできることは、やっぱり新参の使用人にようにとにかく立ち働くことばかりなのだった。


家畜の日が終わると集合した人々も自分たちの持ち場や村に帰り、城内はがらんとした。冬支度も終わりが近づき、そして冬が来た。冬の間、領主は小さな訴訟を捌いたり一年分の金の動き決算したりし、貴婦人はそれを手伝うのが通例である。だがユルカイアにおいてそうした仕事は発生しないかのようだった。ラウラの知らない専門官がいるのかもしれなかったし、まだそこまで内情を見せたくないと思われているのかもしれない。


意図は確認しようがなかった。結婚の日以来、ラウラはグティエルを見ていなかった。ユルカイアの北にある山脈の中、城より小さく頑丈な砦があって、彼はそこに男たちと籠りきりだった。魔物が人の住む方へ行かないよう、討伐する仕事があるのだという。


雪が降るようになるとラウラは外にも行けなくなった。出ようとするたびにメイドか侍女が飛んできて、危ないですと言う。歩き慣れていないのにもし転んで頭でも打ったら、というのである。ラウラは与えられた部屋に篭った。


そうしてみると生活は、朝の礼拝と讃美歌がないだけで大聖堂のそれによく似ていた。そしてそれこそがラウラの望んでいた日々そのものだった。確かにユルカイア人は彼女をいないものとして扱う傾向があったが、悪意を直接向けられたことはない。


心のささくれが徐々に静まっていった。場所が変わっただけで、神と繋がったところがなくなるわけではないとも思った。


結婚の契約を交わした日、初夜はなかった。ラウラを正式に家族として迎え入れるわけではないというグティエルの意志がそこにあるのは明白だった。


宙ぶらりんな立ち位置に不安にならないわけではない。魔法はもう使えず、頼るべき人もいないから放り出されたらしまいである。時折、わあっと叫び出しそうになるときもある。


使用人たちはそれぞれの所属する仕事場で一日働き、夜は使用人部屋で眠る。メイドが持ってきてくれる食事を摂って、排泄して、眠る。することがないので刺繍をしたり、小さな図書室があったので本を読んだりした。


貴婦人というよりは隠居老人のような暮らしだった。想像した結婚生活と違っていたが、それは――素晴らしい違いだった。


ラウラが一番はじめにマヌエラに頼んだのは、カトラリーを全部銀にしてもらうことだった。銀は砒素に反応するからだ。警戒していた、殺されることはなさそうでも身体に取り返しのつかない障害を抱える可能性はある。分厚い絨毯の下で階段の板が外されていないか、釘が飛び出ていないか確認しながら昇り降りをし、暖炉の火がわざと不完全燃焼させられていないか必ず確かめてからでなくてはベッドに入らなかった。宮廷にいた頃のように。ラウラだけではなく、敵を抱える貴族なら誰でも警戒は怠らないものだ。


そういうものだとラウラは思っていた。これまでの人生で唯一、暗殺や悪意に対して気を抜けたのは大聖堂の見習い尼僧の部屋だった。沈黙の掟の元、誰もが慎ましく密やかに暮らしていたあの部屋。


どうやらユルカイアは大聖堂と同じくらい安全らしい、とわかったときラウラはこの日常を、城から見えるユルカイアの土地と人々を愛し始めた。なぜだろう? ただ害されないというだけで、いっぺんに好きになってしまったのだった。


黒髪と灰白色の目をした不気味な、夫に省り見られない新妻。それが今のラウラの立ち位置であり、敵も味方もいない場所で一人でいる、ただ、一人でいる。……僥倖だった。殺されない。害されない。直接の悪意もない。


雪はしんしんと降り積もり、深雪の上をメイドたちがきゃあきゃあ駆け回る声が時折響く。それ以外、部屋の中にあるのは暖炉の爆ぜる音だけ。日々の中に朝の祈りが戻ってきたのは自然なことだった。ひょっとしてラウラは本当に尼僧になりたかったのかもしれなかった。宮廷から逃げるためではなく。


その空気の流れを見つけたのは、登り始めた太陽に反射する雪の白さが部屋のあらゆる色を輝かせる早朝のことだった。冬に入って一月目のことである。ラウラは部屋の中央に跪いて祈りを唱えていた。ふと、頬を撫でる湿った冷たい風に顔を上げた。暖炉から放出される火の熱とは明らかに違った風だった。


不思議に思ってそっちに向かった。タペストリーの裏をめくる。何度も修繕したあとのある石組みの漆喰が緩んでいる箇所があった。床すれすれの箇所である。


ラウラは頬を絨毯にくっつけてその風を受けた。尼僧のヴェールをかぶっていた頃は病人の下の世話までしていたのだ、そのくらい汚いとも思わない。結果として、風が確かにあるのがわかった。部屋付きの侍女が朝食を運んできてくれるまで、まだ時間があった。彼女は石の間に指を差し込んでみた。動いた。ひとつめが外れると次は早かった。ひとつ上、もうひとつ上。石は次々外れてタペストリーの横に積み上がった。屈んでなら通れそうな穴が壁に空いた。


ラウラは扉を見、窓の外の雪を見た。それからまず、燭台に蝋燭を立てて火をつけた。簡素な古い黄色のドレスの上に赤と緑の格子模様のショールを羽織り、朝食はいらない旨を書きつけた紙を扉の外側に張り付ける。実際、胸が詰まって何も食べられそうになかった。


彼女は一息に穴に這い進んだ。


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