第3話 ウチナータイム
明くる日の朝、大海が目覚めると、大輔がベーコンエッグとひじきのサラダ、それに小倉トーストとアメリカンコーヒーを用意してくれていた。
「おはよう。よく眠れた?」
「おはよう。おかげさんでぐっすり眠れたよ。あー、うまそう!朝早くからヘルシーな食事用意してくれたんだ。俺、餡子のトースト大好きなんだ。」
「いやあ、俺もさっき起きたとこだし、あるものだけだから。」
「ありがとう。泊めてもらった上に、朝食まで用意してもらって。やっぱ、持つべきものは友達だな。」
「まあ、そう言ってもらうと作り甲斐があるよ。今度はお前んとこに泊めてもらうから、その時はよろしく。」
「おう、任しとけ。」
そう言い合いながら、二人はゆっくりと流れる沖縄の朝のひと時を満喫していた。
そう言いつつも、大海は今日済ませないといけない用事が沢山あるし、大輔の都合もあるだろうから、食事を終えると手早く身支度を整えて、彼の家を後にした。
「今回は世話になったな。大輔も遠慮せずに家にも遊びに来てくれ。そして、何かあったらすぐに連絡してくれよ。俺の大事な友達なんだからさ。じゃあな。」
「ありがとう。お前が来てくれて俺もほんとにうれしいよ。じゃあ、またな。」
大海は、まず、近くの車屋に立ち寄り、まだ一年ほど車検までの期間が残っている手頃なマイカーを購入した。オフホワイトでジープ仕様の10年落ちの軽自動車だが、整備済みで錆止め塗装も施してある。手続き等に少し時間を要したが、何とか当日渡しで乗って帰ることができた。最寄りのファミリーレストランで昼食を済ませてアパートに戻ると昨日置き配指定で送っておいた荷物が届いていた。早速荷を解いて、部屋を片付け、不足する日用品などを書き留め、スーパーに買い足しに出かけた。
車に乗ろうと駐車場に出ると、中古とは言え買ったばかりのジープのルーフに一匹の猫が昼寝をしている。大海は、トックリヤシの木の細長い葉っぱからこぼれる柔らかな日差しを浴びながら、何だか気持ちよさそうに寝ている三毛猫を追っ払うのも可哀そうな気がして、車を諦めて歩いて出かけることにした。
スマホの地図を見ながら広い通りに出ようと少し歩いて行くと、通りの向こう側に普天満宮の鳥居が見えた。大海は沖縄の神社とはどのようなものかと興味津々で、買い物のついでながら早速参拝させてもらうことにした。
昨日、窓から見えた普天満宮が気になったので、ネットで調べて次のような予備知識を得ていたのである。
『普天満宮は普天満権現とも言い、琉球八社の一つで、主祭神は熊野権現と琉球古神道神とされている。熊野権現と言えば熊野三山を総本山とし、須佐之男命をはじめ、その両親である伊邪那岐神と伊邪那美神、天照大御神などの天神を包括した神様である。一方、琉球古神道神の由来は、首里桃原に女神が出現され、のちに普天満宮の洞窟に籠られたという伝承や、洞窟より仙人が現れ「我は熊野権現なり」と示されたという伝承、また、安谷屋村の百姓夫婦や東恩納村の当ノ屋に黄金のご神徳を授け苦難を救ったという伝承などに散りばめられており、そう言う由緒から普天満の洞窟に琉球古神道神を祀ったことに始まるらしい。旧暦九月には普天満参詣といって、かつては中山王(沖縄を統一した天孫系とされる琉球王朝)をはじめ、御嶽(うたき)という聖域で祭祀を司るノロという祝女(巫女)や、一般の人々が各地より参集し礼拝の誠を捧げたとされている。沖縄戦(※)では迫り来る米軍から逃れて、宮司が御神体を南部の糸満へ疎開させたことで何とか難を逃れたらしい。戦後は、宮司の出身地である具志川村(現うるま市)に仮宮を造って祀り、その後、普天間の境内地が米軍より解放されると、1949年2月、元の本殿に無事還座したようである。そして、不動産屋の主人が言っていたように沖縄の創世神であるアマミキヨがここに祀られている琉球古神道神なのだろうか。』
(※)1945年の沖縄戦では、宜野湾以南に結集して持久作戦を取る方針で強靭な首里城地下壕に司令部を構えて徹底抗戦する旧日本軍に対して、米国・英国の連合軍は、本島中西部の読谷村や北谷町辺りの西岸から上陸して、徐々に南部に向けて制圧して行った。その結果、身を挺して挑んだ特攻攻撃による善戦虚しく、旧日本軍は、首里防衛線崩壊後、南部の喜屋武半島に撤退し、ひめゆりの塔に象徴されるあの凄惨な結末を迎えるのである。沖縄戦では、民間人だけでも約10万人(もしくはそれ以上)が戦死し、米軍上陸前に北部に疎開した民間人などはほとんどが米軍に保護されて生き残ったのに対し、中南部以南の特に軍民雑居地域では犠牲者率が48%にも上る悲惨な状況だったようだ。沖縄住民は、本土決戦を前に、その捨て石となるべく、女・子供も含めて全員が戦闘員として駆りだされ島全体が戦場と化したのである。そして、この戦いで連合軍も多大な人的・物的損害を被ったのである。その影響もあってか、沖縄陥落後は、本土上陸とはならず、広島・長崎にあのおぞましい原爆が投下される結果となったのだ。そして、沖縄県糸満市、広島市、長崎市に平和を祈念するモニュメントが設置され、毎年戦没者の追悼と平和を祈念する式典が催されているのである。そのような歴史によるものかはわからないが、ウチナータイムなどに象徴される南の島の陽気で大雑把な沖縄県民性とは裏腹に、その深層心理には本土の犠牲になったという負の感情が根差しているのかも知れない。
鳥居を潜ると参道の階段の先に拝殿が見える。大海は、手水舎の説明書きを一見していつものように手と口を清めると、本土の神社と同じ要領で良さそうなので、拝殿の前に進み二礼二拍手一礼で参拝した。よく見ると拝殿の両脇にはシーサー風の狛犬が守りを固めていて、ようこそ沖縄へと出迎えてくれているようにも見える。何だか幸せな気持ちになった。そして、ここには洞穴の中に配された奥宮があるのだ。授与所で受付をして琉球の神の由来などが掲示された祈願控室で待つこと十分程度で巫女さんが洞穴へ案内してくれた。本殿を横に見て、約2万年前の琉球鹿、琉球昔キョン、イノシシなどの化石が展示された廊下を抜けるといよいよ洞穴が現れた。大海が鍾乳洞の中に設けられた拝所で拝礼すると、仄かにかぐわしく爽やかな香りが漂い、微かに波の音が聴こえて辺りが白く光ったような気がした。しかし、周りを見渡しても特に何の変化も見つけることはできなかった。
普天満宮を後にした大海は、もう少し先にあるスーパーマーケットで、今晩の食材と、キッチン用品、洗濯用品などの雑貨を買い揃え、それを両手いっぱいにぶら下げて、帰り道を急いだ。
何とかアパートに戻って、コーヒーを飲みながらホッと一息ついてスマホを開けると、1件のLINEメッセージが届いていた。妻の穂乃香からである。娘の那美が夏休みに入ったら、二人で遊びに来るとのこと。
それまでには住居を整えていなければと、大海は思い付いたことを一つ一つメモしてみた。
エアコンは予め部屋に設置されていたが、テレビが無いのでまだスマホとパソコンで世間の情報は入手している状態である。電子レンジと小型の冷蔵庫はあるが夏になり人数が増えると保冷需要が追い付かなくなりそうだし、洗濯機も揃えないとならないな。夏とはいえ布団も必要だし、カーテン、テーブルとイス、・・・。取り敢えず優先順位を付けて休暇の間に買い揃えることにした。
大海は疲れていたので、シャワーを浴びて、缶ビールを開けると、買ってきた総菜やサラダなどで軽い夕食を済ませ、早々に眠りについた。窓の外には丸い月が出て、どこかで三線の音色と愉快な猫の啼き声が響いていた。
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