第2話 島の夜
大海は、最寄りのバス停で降りて、琉球大学の近くにある友人の大輔の家まで、グーグルマップで入力した住所の地図を頼りに訪ねて行った。
「はいさい(こんばんは)、小出です。」
「めんそーれ(いらっしゃい)、おう、小出君、久しぶり!元気そうだね。荷物届いているよ。」
「ありがとう。俺もとうとう沖縄に来ちゃったよ。山下君も元気そうでよかった。」
前述の通り、小出大海と山下大輔は、海外ボランティアでマングローブの植林プロジェクトに参加して知り合い、それ以来親交を深めていた。
大輔はまだ独身で、琉球大学の農学部で助教として働いており、大海に沖縄の魅力を事あるごとに伝えてくれて、マングローブのことなら沖縄に来いとばかりに誘ってくれ、大海も遂に決心して沖縄移住を決めたのである。
大海は大輔に手伝ってもらい、届いた3個口の荷物を、近くのコンビニまで運んで、今日決めた自分のアパート宛に宅急便で転送する手はずを決めていた。
無事発送を終えると、二人は近くの居酒屋で一杯やることにした。店に入ると中は学生たちでいっぱいだった。それでも、店員に案内されて、奥の一角の掘りごたつ席に何とか腰を下ろすことができた。取り敢えず、オリオンビールの生と地元の海鮮舟盛り、ゴーヤチャンプルー、もずくのサラダを頼んで、二人で乾杯する。
「まずは、沖縄移住おめでとう!」
「ありがとう。君が近くに居てくれてほんとに助かったよ。」
「今日はゆっくり飲もう。俺ん家も豪邸じゃないけど、布団くらいあるから泊って行けばいいさ。」
「助かるよ。色々ありがとうな。」
「大学へはいつから出るんだい?」
「来週の月曜日に挨拶に行くことになっているから、この土日までに身の回りを整理しなきゃと思ってる。」
「そうか、じゃああんまりゆっくりはしてられないな。」
「そうなんだよ。取り敢えず明日車屋に行って中古でいいからマイカーを手に入れないと移動が面倒でさ。」
「そうだな。この近辺にはカーショップも沢山あるから、見て廻るといいよ。」
「でも、この町は中央を米軍基地が陣取っているから、騒音もすごいし、島の西海岸と東海岸の往来も面倒だね。」
「そうだな。沖縄は良くも悪くも米軍の影響が大きいよ。西海岸の北谷町(ちゃたんちょう)に行くともうアメリカの西海岸ウエストコーストって感じでお洒落な店が立ち並んでいるし、基地で経済が潤っているところもあるからね。」
「でも、アパートから鳥居が見えて驚いたんだけど、沖縄にも神社があるし、本土と同じ日本なんだなあと改めて思ったよ。」
「普天満宮のことかな?米軍基地の傍らにあるけど、熊野権現と琉球古神道神を祀る歴とした神社だよ。昔は首里城から普天満宮に通じる参道があって、歴代の王も普天満宮を詣でていたらしい。」
「首里城とも関係あるのか・・・正殿は西の中国の方を向いているって聞いたけど、日本の神様とも関係あるんだね。民間人を巻き添えにして多大な犠牲者を出したあの沖縄戦の時は、首里城の地下に旧日本軍の司令部もあったらしいし、不思議な因縁がありそうだね。今日来るときにさ、途中で首里城に寄って来たんだけど、跡形もなく全焼してて、沖縄の人もさぞかしショックだったろうね。皮肉にも、今では首里城と普天満宮の間を引き裂くように米軍基地が横たわっているってわけだ。普天間基地の辺野古移設では沖縄住民の間で反対意見が多くて揉めているけど、ひょっとしたらこれって神様の意志かも知れないね。」
「おいおい、沖縄住民の考えは間違っているって言うのかい?」
「いや、そうじゃないけど、普天満宮には洞窟があって、そこは沖縄創造の祖霊神のアマミキヨに関係があるんじゃないかって不動産屋の主人も言ってたからなあ。普天満宮の祭神の琉球古神道神ってアマミキヨのことじゃないのかな。」
「そうかも知れないな。そのアマミキヨが最初に降り立ったのは、南部の久高島っていう島らしい。君も落ち着いたら一度行ってみたらいいよ。沖縄ではとても神聖な場所らしいんだ。」
「沖縄にも本土と同じように島の創造神話があるんだね。俺も考古学やってたから日本神話には詳しくなったつもりでいたけど、今度は学生に琉球の歴史も教えなきゃならないから、沖縄の神話もじっくり探求しなきゃなあ。」
そんな話をしていると、どこからともなく三線(さんしん)の音色と共に聴き覚えのある歌が流れて来た。BEGINの『島人ぬ宝』だ。大輔も大海も何となく嬉しくなり一緒に歌いだした。
♪『僕が生まれたこの島の空を 僕はどれくらい知っているんだろう
輝く星も 流れる雲も 名前を聞かれてもわからない
でも誰より 誰よりも知っている
悲しい時も 嬉しい時も 何度も見上げていたこの空を
教科書に書いてある事だけじゃわからない大切な物がきっとここにあるはずさ
それが島人ぬ宝 ・・・』
しばらくすると、また、懐かしい歌が流れて来た。夏川りみの『涙そうそう』だ。
♪『古いアルバムめくり ありがとうってつぶやいた
いつもいつも胸の中 励ましてくれる人よ
晴れ渡る日も 雨の日も 浮かぶあの笑顔
想い出遠くあせても
おもかげ探して よみがえる日は 涙なだそうそう ・・・』
二人はテビチと海ブドウ、それに泡盛を注文して、マングローブ植林時の話に興じていた。
「プロジェクトにいっしょに参加していた奈美恵のこと覚えているかい。」
「そりゃあ、忘れやしないさ。俺はあの子の笑顔に何度癒されたことだろう。親父とおふくろが次々に亡くなり、天涯孤独の身になって、生きる意味を失いかけた頃、彼女がいっしょにマングローブの植林プロジェクトに参加しない?って誘ってくれたのさ。海と大地に根差して僕たちの夢とロマンを乗せ逞しく育っていくマングローブの森は僕たちの未来をも育ててくれていたのかも知れない。」
大輔は思わず涙していた。
「それなのに、なんで彼女まで、帰らぬ人になってしまったんだろう。そう、俺はその日からもう一人で生きていくと決めたんだ。」
大海は、彼女に何かあったのだと悟り、自分の切り出した話を悔いた。
「あれから色んなことがあったようだけど、俺はいつだって君の味方だよ。」
「ありがとう。でも、人の命は儚いよね。自然の驚異に対してあまりにも無力でさ。」
「だからこそ、僕たちは愛の森を育ててきたんじゃないのか。」
奈美恵はあの日、津波に飲まれて帰らぬ人となってしまったのだ。大輔はそれをニュースで知り、やっとの想いで現地を訪れて、血眼になって捜索したが、遺体はおろか彼女の遺品すら何一つ見つからなかった。あれから十年が経ち、町の姿も落ち着きを取り戻してはいたが、まだ、人々の心の中にはあの日の亡霊が浮かんでは消えていくのである。
「でも、沖縄の人々や自然はそんな心の傷を優しく癒してくれるのさ。そこには、激しい戦禍に見舞われても明るく生きて行こうとする人々の温かい笑顔があるんだよ。」
大輔に笑顔が戻ってきたのを見て、大海は少しホッとした。
大海は気分転換にとシークワーサーの酎ハイを大輔にも勧めて一緒に注文した。
「日本古来の柑橘類は、この沖縄特産のシークワーサーとタチバナなんだってさ。」と、大輔が言うと、今度は大海が古事記の橘(たちばな)に関する逸話を語った。
「古事記の垂仁天皇記には、多遅摩毛理(たじまもり)が常世(とこよ)の国から持ち帰ったとされる非時(ときじく)の香の木の実の話が載っているんだけれど、それがさっき君が言ったタチバナらしくて、そのかぐわしく爽やかな香りが時空を超えて垂仁天皇と天照大御神と卑弥呼をつなげているような気がするんだ。次の代の景行天皇記に登場する倭建命(やまとたけるのみこと)の東征の段で、荒れた海を鎮めるのに海に八重畳を浮かべ、后の弟橘比賣命(おとたちばなひめのみこと)が身を賭してその上に降りるという話があるんだが、この女性も同じ『橘(たちばな)』でつながっている。天照大御神は記紀の神話にしか登場しないし、卑弥呼も魏志倭人伝などの中国の史書にしか登場しないんだけど、神話はどうも歴代の主要な天皇のイベントを象徴的に表現しているようなんだ。そして、よーく観察すると、その神話と魏志倭人伝にも接点がありそうなんだよ。それらの情報をつなぎ合わせると垂仁天皇や弟橘比賣命と天照大御神、卑弥呼が同時代の人であることが見えて来る。垂仁天皇と、景行天皇の時代の倭建命に接点があるとは思えないだろう。ところが、日本書紀に記された天皇の即位年の干支を調べると、景行天皇とその次の成務天皇の即位年の干支が辛未(かのとひつじ)で同じなんだよ。干支は六十年で一周するから景行天皇は六十年在位したと考えることもできるが、垂仁天皇が崩御された後、景行天皇と成務天皇が同じ時代に手分けして統治したと考えられないだろうか。そこで考えたんだが、次の代の天皇即位年とほぼ同じ干支なら在位年数を0(ゼロ)として年代の確実な天皇の代から遡って歴代の天皇の在位年数を計算すると、垂仁天皇の次の代となる景行天皇や成務天皇の即位年と卑弥呼の死去年が251年と248年でほぼ一致するんだよ。これって、垂仁天皇である卑弥呼が亡くなった後、景行天皇と成務天皇が分割統治を行ったっていうことじゃないだろうか。天照大御神が岩屋に籠られた後に再び現れるという天岩戸神話は、魏志倭人伝に記された卑弥呼の死と台与の継承を象徴していると巷で噂されているから、この信憑性のある説に従うと卑弥呼=天照大御神となる。さらに、垂仁天皇のお名前は伊久米伊理毘古伊佐知命と言うんだが、その『伊久米(いくめ)』とは魏志倭人伝の邪馬台国の官として記された『伊支馬(いきめ)』という名と類似しているから、それが卑弥呼とすれば、卑弥呼=天照大御神=垂仁天皇ということになる。そして、景行天皇記に登場する倭建命を成務天皇とすると、その后は弟橘比賣命(※)となるので、卑弥呼=天照大御神=垂仁天皇=弟橘比賣命ということになる。つまり、神話に登場する恐れ多い太陽神である天照大御神は実は弟橘比賣命という倭建命の后として東征の旅に登場し、魏志倭人伝に記された狗奴国との抗争という荒れた海を鎮めようとして犠牲になったんじゃないかと思っているんだ。宮崎の同じ読みの生目(いきめ)古墳群の一号墳も卑弥呼の墓じゃないかという噂があるから、そうすると邪馬台国のあった場所は宮崎ということになる。宮崎にはこれまた同じ読みの『橘(たちばな)通り』という地名があるし、伊邪那岐神が禊(みそぎ)を行ったとされる竺紫(ちくし)の日向の橘の小門の阿波岐原も『橘』で宮崎ではないかと思われる。ただし、今話した内容は、実は俺の父親の説の受け売りだけどね。」
(※)古事記には、倭建命の后に弟橘比賣命、成務天皇の后に弟財郎女と記載されているが、倭建命=成務天皇とすると、弟橘比賣命も成務天皇の后となる。
「お前の話は複雑怪奇でよくわからないとこもあるけど、天照大御神が何だか身近で愛おしい人に思えて来たよ。さすが考古学者だな。大海も古代日本には詳しいんだな。ということは、ひょっとしてタチバナを持ち帰った常世の国っていうのは沖縄だったりして。」
大輔がそう返すと、大海がさらに付け加えた。
「そう、沖縄かも知れないし、朝鮮半島かも知れないんだなあ。まあ、その話は次の機会に取っておくことにしようか。ところで、そう言えば、沖縄って何で沖縄って言うか知ってるかい?それに琉球とも言うだろう。僕が前にネットで調べたら、沖縄=浮縄が由来らしい。鹿児島から沖縄に続く島々が縄のように真っすぐに並ぶ浮島のようだから沖縄と名付けられたようなんだ。そして、琉球は龍の宮と書いて『龍宮(りゅうきゅう)』じゃないかと思っているんだ。海神(ワダツミ)の宮が竜宮城だとすれば、琉球は海神の本拠地で、そこには乙(おと)姫ならぬ弟(おと)橘比賣命が居たのではないだろうか。」
すると、浦島太郎を演じる桐谷健太の歌声が竜宮城を慕って流れて来た。
♪『空の声が 聞きたくて 風の声に 耳すませ 海の声が 知りたくて 君の声を 探してる
会えない そう思うほどに 会いたい が大きくなってゆく 川のつぶやき 山のささやき
君の声のように 感じるんだ ・・・』
また、耳を澄ませていると、奄美へと続く海の調べはマングローブの歌に・・・。
遠くの方から、昔聴いたことのある南方の民謡らしい調べが・・・。
あれは元ちとせの『ワダツミの木』だ。
♪『赤く錆びた月の夜に 小さな船をうかべましょう
うすい透明な風は 二人を遠く遠くに流しました
どこまでもまっすぐに進んで 同じ所をぐるぐる廻って
星もない暗闇で さまよう二人がうたう歌
波よ、もし、聞こえるなら 少し、今声をひそめて
私の足が海の底を捉えて砂にふれたころ 長い髪は枝となって
やがて大きな花をつけました
ここにいるよ、あなたが迷わぬように
ここにいるよ、あなたが探さぬよう
星に花は照らされて 伸びゆく木は水の上
波よ、もし、聞こえるなら 少し、今声をひそめて
優しく揺れた水面に 映る赤い花の島
波よ、もし、聞こえるなら 少し、今声をひそめて』
海神(ワダツミ)とは、神話の中で伊邪那岐神から海原を治めるよう命じられた須佐之男命に象徴されるとすれば、その生みの親とされる伊邪那岐神と伊邪那美神、倭建命をも意味するのだろうか。
沖縄から奄美にかけて自生するマングローブ種はヒルギと呼ばれ、その由来は、『漂木』の意味で、果実が浜辺近くの水底に漂着して生育するからといわれる。また幼根の形が蛭(ヒル)に似るので『蛭木(ひるぎ)』とする説もある。
大海には、『ワダツミの木』のこの歌詞が水の底に根を伸ばし、水面に伸びて枝を生やすヒルギの生育する様を擬人化したもののように聞こえてならなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます